鳥取県

今の鳥取県は山名氏の領国であったが、戦国時代末期には毛利輝元と織田信長の係争地となり、信長配下の羽柴秀吉が鳥取城を攻略。

伯耆国においては東部は羽柴氏傘下となった南条元続が、西部は毛利方の吉川氏が所領を安堵された。

江戸時代の因幡国では関ヶ原の戦い以前から鹿野城主であった亀井氏に関しては加増、それ以外の大名は転封された。

伯耆国においても関ヶ原の戦い後は加藤貞泰、市橋長勝、関一政の3大名に分割された。

その後、元和4年、池田光政が鳥取城に入部し、因伯2国からなる鳥取藩が成立した。このほか、鹿奴藩・若桜藩の2つの新田藩があった。

鳥取県

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鳥取城【日本100名城】: 35.507295, 134.237609
米子城【続日本100名城】: 35.424869, 133.324561
若桜鬼ケ城【続日本100名城】: 35.337039, 134.398305
鹿野城(しかのじょう): 35.456790, 134.062643
太閤ヶ平(たいこうがなる): 35.510972, 134.256191
尾高城: 35.421047, 133.412197
江美城(えびじょう): 35.282352, 133.487073
羽衣石城(うえしじょう): 35.437282, 133.898921
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鳥取城【日本100名城】
鳥取城【鳥取市】

羽柴秀吉による兵糧攻めの舞台となった城として有名。江戸時代には鳥取藩主・池田氏により近世城郭として改修された。大手門にあたる「中ノ御門表門」が2021年の春に復元された。



遺構:石垣・堀・井戸

復元建築:大手門(中ノ御門表門)
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米子城【続日本100名城】
米子城【米子市】

米子城は中村一忠の居城で、山陰で最初に築かれた近世初期の城郭となる。山陰一の名城と呼ばれた。四重の天守があったが、さらに四重の天守が築かれ全国でも珍しい天守が双頭の天守の城だった。



遺構:天守台・曲輪・石垣
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若桜鬼ケ城【続日本100名城】
若桜鬼ケ城【若桜町】

鳥取城や鹿野城とともに因幡三名城に数えられている。播磨・但馬両国に通じる街道の結節点に位置しており、1617年(元和3年)に廃城になるまで因幡の重要拠点として栄えた。



遺構:郭・石垣・虎口・竪堀・櫓台
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鹿野城(しかのじょう)
鹿野城【鳥取市】

鹿野城は因幡国守護の山名氏に属していた志加奴氏によって築かれたとされる。1581年に羽柴秀吉が鳥取城を攻めた際に旧尼子家臣の亀井茲矩によって落城。現在は鹿野城跡公園として整備され、天守台などの遺構が残っている。

遺構:曲輪・石垣・土塁・堀
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太閤ヶ平(たいこうがなる)
太閤ヶ平(たいこうがなる)【鳥取市】

1581年に羽柴秀吉の軍勢が吉川経家らが籠城する鳥取城を包囲して、「鳥取の飢え殺し」と呼ばれる兵糧攻めを行った際、秀吉が本陣を敷くために造営。国指定史跡に選ばれている。

遺構:土塁・堅堀・空堀
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尾高城
尾高城【米子市】

行松氏によって築かれた城で、尼子経久の攻撃で奪われるが、毛利元就が奪回し行松氏がふたたび城主となる。米子城の完成とともに廃城となる。現在は土塁や空堀などの遺構が残っている。

遺構:土塁・曲輪・堀
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江美城(えびじょう)
江美城(えびじょう)【江府町】

蜂塚氏の居城で、蜂塚氏滅亡後は毛利氏によって支配された。本丸の中心部に天守台が残っており、発掘調査では山陰では初めてとなる金箔鯱瓦や桐葉紋軒瓦が出土したため、江美城が重要かつ大規模な城だったと考えられている。

遺構:石垣・土塁

復元建築:天守(模擬天守)
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羽衣石城(うえしじょう)
羽衣石城(うえしじょう)【湯梨浜町】

羽衣石城は南条貞宗によって築かれた城。関ケ原の戦いで西軍についた為、領地没収となり廃城となるまでの約250年間、南条氏の拠点となっていた。羽衣石城にはもともと天守が存在せず、模擬天守の元祖ともいえる。



遺構:石垣・井戸

復元建築:天守(模擬天守)