【埼玉県】鉢形城

CASTLE DATA FILE.56
登城日:2025年1月25日
交通手段:関越自動車道「花園IC」から車で15分
ステータス:日本100名城・国指定史跡
ジャンル:連郭式 平山城
遺構:土塁・堀・馬出・虎口
復元建築:城門
スタンプ:城内の鉢形城歴史館で押印
御城印:城内の鉢形城歴史館で購入
小田原征伐で1ヶ月の籠城戦を展開!断崖絶壁の堅城。
仕事休みの土曜日、埼玉県寄居町にある鉢形城に初訪城しました。
土造りの中世城郭で、日本100名城かつ関東7名城のひとつ。
鉢形城の築城は1476年。関東管領 山内上杉氏の重臣となる長尾景春によって築かれました。その後、関東地域で勢力を伸ばした北条氏康が占領し、三男の北条氏邦が城主となります。
鉢形城は北陸、信濃の抑えとして重要な役割を担っていました。小田原城を本城とする北条氏の支城ネットワークとして、山中城、八王子城と同じく鉢形城も有名な城です。
今回は練りに練ったルートで幾つかの城を周るため、車で6時半に自宅を出発。8時半に到着して活動開始です。
鉢形城には幾つか駐車場があります。
今回は鉢形城歴史館に車を停めて、泉水坂から大手側に回り込み入城します。
登っている泉水坂の右手には、起伏に富んだ曲輪が広がります。
綺麗に整備された堀が多いです。
右手に見える小さな島のような場所は、弁天社跡。このあたりには水堀のように広い池となっていて、弁天社は水に浮いているようでした。お城好きの方であれば、この堀や曲輪を見ただけでテンションが上がるのは必至かと思います。
坂を登るとJR八高線の踏切があり、大手となります。その線路に沿って空堀があります。
八高線の列車と空堀のベストショット。
電車本数が少ないので、レアな一枚になりました。
この線路脇あたりの空堀は深く広く見応えあります。これがまだ登城の出だしというのが逆に怖い。
これからどんな遺構が待ち受けているのか。今日中に周り切れるでしょうか。
線路脇の空堀は土橋とぶつかっています。
土橋右側の空堀。
保存度が良好で巨大な空堀を目の前で見ることができます。
土橋左側の空堀。奥には三の曲輪が広がります。
曲輪から見た空堀。
北条氏の城郭を幾つも見ていますが、現代でいう土木工事が異次元です。空堀一つにしても規模が大きいし、範囲が広い。
重機もないこの時代に、どのくらいの人員を動員したのだろうかと考えてしまいます。
大手を進むと休憩所があり、その近くに三の曲輪の虎口があります。
発掘調査では、柱跡などの遺構が見つからなかったことから、礎石を使用した門である可能性が高いようです。
虎口の前には諏訪神社があります。
この場所は諏訪曲輪と呼ばれ、馬出となっていました。重要な虎口の前に角馬出を設けるのは、北条氏の築城に見られる特徴です。
虎口から入城すると、復元された四脚門があります。
この辺りは畑だったので、耕すのに上部は削られ、石積みの土塁が検出されています。
そして、その後復元されました。虎口の左脇には櫓があった可能性があるそうです。
四脚門は発掘調査の結果、幅5mで6段の階段や門跡の礎石が見つかったことで、復元にこぎつけました。
屋根が板敷なのが、中世の城らしさを出しています。
実際のディテールは不明ながらも、可能な限り当時のイメージを実際に復元することは、これから後世に語り継ぐツールとして重要だと個人的には思っています。
復元された四脚門と櫓跡、虎口のショット。中世の城をここまで整備できたのがすごい。
三の曲輪内部は4段の石積み土塁になっています。
全長100m、高さ4.2mの遺構が状態良く発見されました。
裏込石がなかったことを考えますと、石垣技術としては西国の名城に及ばないものの、関東で石垣を使用した城は珍しいので、とても貴重です。
裏込石がないと厳密には石垣ではなく、石積みに分類されます。
三の曲輪には庭園や掘立の建築物跡が、調査で発見されています。
板敷の建築物が復元されています。
礎石を持たない掘立建築。その建築物の前にも、もう一つの建築物の跡が発見されています。
この曲輪では宴などが行われていたとされています。
復元建築の裏手には井戸があります。底は埋まっているものの、石積は残っていて見ることができます。
三の曲輪と二の曲輪を繋ぐ空堀付近には、復元された馬出があります。伝承では御金蔵とされていましたが、発掘調査によって馬出と判明しました。
馬出からのショット。やはり北条氏の特徴となる角馬出。鉢形城は一つの曲輪が大きく、異次元の城郭の広さ。伴って、空堀なども大きくて見応えがあります。
馬出しを囲む深い空堀。ほぼV字の形状をした薬研堀で形成されています。
馬出から見た、三の曲輪(右)と二の曲輪(左)を分断する空堀。
元々、なだらかな傾斜がある場所に空堀を掘っているので、三の曲輪側がかなり高低差のある絶壁になっています。
三の丸と二の曲輪前の道を挟んで、向かい側には広大な曲輪が残っています。
写真の手前に見える曲輪は、巨大な馬出。応戦する為の兵士を置いておく重要な曲輪になります。
上のアングルから見た馬出。樹木が立ち並んでいるところは崖になっていて、下に川が流れています。
左側は先ほど見て周った二の曲輪。広大な堀で曲輪を分断しています。
御殿曲輪の土塁は壮大!
高低差もあり堅固になっているので、重要なエリアであることが分かります。
御殿曲輪上からのショット。
上から見ると空堀なのが分かります。当時はもっと深かったのではないかと思われます。
御殿曲輪にも登りました。
曲輪は2段になっていて、三の曲輪、二の曲輪も含めた城郭のほとんどを眺める事ができます。
御殿曲輪の巨大な土塁の反対側は、荒川を望む絶景。
20m以上の崖となっており、天然の要害を巧みに利用しています。
ここから攻めることはまず不可能。
先ほどの荒川と深沢川に囲まれていています。
深沢川は鉢形城内を流れていて、三の曲輪、ニの曲輪、御殿曲輪などの重要な曲輪を独立した曲輪にして防御を計っています。
写真は搦手橋からのショット。搦手側で荒川と深沢川が合流します。
字の如く深沢川は、所々が深い沢になっていて、二つの川と空堀で守りを固めています。
笹曲輪は鉢形城の北東部に位置していて、張り出した細長い曲輪。
こちらは大手口に対して、搦手側となります。
搦手側の防御としての最前線と考えられています。
笹曲輪を見た後は、本郭方面へ少し戻り歴史館へ向かいます。
御殿曲輪の道を挟んだ前にはシルバー人材センターがあり、このあたり一帯も空堀や土塁などが張り巡らせた曲輪があります。
この辺りの土塁も迫力があります。
綺麗に整備されているので、遺構の形がハッキリ、クッキリ見えて分かりやすいです。
歴史館に向かうための坂を下り、左側には先ほどの空堀があるのですが、右側には写真のような、広い敷地と土塁があります。
しかし、案内板にはこの辺りの曲輪の名前は記されていません。主郭やニの曲輪に比べると一段低い敷地。
そして、高い土塁で周囲で囲んでいる。
重要な主郭などの曲輪の付近に位置していることから、とても重要な役割を担っていたのではないかと推測します。
例えば、突破した敵兵を迎え撃つ為の曲輪など。
曲輪を分断する天然の要害、深沢川。
この深沢川を境に曲輪を展開しているので、完全に水堀のような役割を果たしています。
左側は歴史館。左側に大きくせり出した四角い曲輪が見えます。
見た感じは完全に馬出なのですが、このあたりも案内板が無く謎が深まるばかりです。
気を取り直して川を渡り外曲輪に出て、開けた土地が広がります。
鉢形城の現在残っている城跡は当時の一部ですが、それでも十分な程に広大な城跡といえます。
周っていて飽きることがありません。
外曲輪も立派な土塁で囲まれています。
外曲輪には下級武士の住まいがあり、外側には城下町が形成されていました。
土塁の上は整備されて歩けるようになっています。
スタート地点の歴史館に戻り、先ほど気になった曲輪を確認!
やはり、長方形の曲輪がせり出しています。
歴史博物館のテラスから見ると四角の曲輪が、前面に飛び出しているのが分かります。
しかも、近くで見ると結構広い!兵を駐屯して戦うには十分な広さ。
歴史博物館の中には、復元された櫓門があります。
戦うためだけに生み出された防御施設なので、武骨なのがまたカッコいい。近世の櫓門とは、建築物としての骨格は似ていても全く異なります。
しっかりと、木造で造られていて中世城郭の雰囲気を感じる門。
復元とはいえ、この時代の門はほぼ見れないので貴重です。
裏側からのショット。
江戸期の櫓門の前進形態。威圧、迫力共に十分感じることができます。
御城印や100名城スタンプも歴史博物館内にありますので、是非寄って頂きたいスポット。
その他、北条氏の歴史や模型でより深く学ぶことができます。
模型では鉢形城の全体像を立体的に見ることができるので分かりやすい。改めて天然の要害によって防御力を高めているのが分かります。
幾つもの曲輪を堀と土塁で防御しています。
鉢形城はこれだけ防御力に長けた城でしたが、豊臣秀吉による小田原征伐の対象となり、上杉軍、前田軍、真田軍が包囲。
その後、本多忠勝軍なども合流して、圧倒的兵力差に開城を余儀なくされます。
その後、戦国を代表する北条氏の滅亡と共に鉢形城も廃城となります。
400年以上の時を経て、鉢形城は大規模な発掘調査によって城は蘇りました。
この広大な城を整備するのは大変だと思いますが、とても綺麗に整備がされており土造りの城がこんなにも美しいのかと実感できました。
そこまで高低差もないので攻城しやすいかと思います。最近、北条氏に関わる城を連続して攻めています。
石垣も、天守も、城門も全てが大好きですが、中世城郭の魅力を伝えてくれたのは、北条氏の城。
約2時間半ほど歩いて周って、次の城に向かいました。



























































