【宮城県】仙台藩 唐船番所

2025年8月14日

石巻市内から車で約1時間程の牡鹿半島の鮎川港。

真夏のお盆の真っ只中に訪問。

鮎川港からは金華山や網地島への船が出航しています。

宮城県の特殊な形状をしているリアス式の牡鹿半島は、海に浮かぶまさに半島なのが分かります。

こんな仙台市内からも遠く離れた地に、仙台藩の貴重な史跡があります。

朝の鮎川港。朝6時からのんびりと釣りを楽しみました。

牡鹿半島は水が透き通っていて、魚が泳いでいるのも目視できるほど。

そして、昼過ぎにお目当ての仙台藩唐船番所に向かいました。

港から車で5分程度で、現在は御番所公園という名で親しまれています。

駐車場の前には天の川橋が架けられています。

駐車場に車を停め展望塔へ登ります。

猛暑日だったにも関わらず、ここには涼しい風が吹いていて暑くても心地よさがありました。

頂上では牡鹿半島随一と呼び声がある絶景が待っていました。

金華山も美しい。

見渡す限りが海!

もはや言葉は必要ない。

ほぼ360度が壮大な海!

展望塔の脇から番所跡へと向かいます。

山の尾根沿いを進みますが、なんとなく山城感があります。

振り返っての一枚。

尾根になっているのがよく分かります。

展望塔から歩いて5分ほどで番所跡に到着です。

番所は二代仙台藩主 伊達忠宗の時代に造られました。

目的としては外国船の来航の監視です。

仙台藩の唐船番所は5ヶ所設けられました。

唐船番所は監視の他に、貿易や港湾管理などの役割も担っていました。

鎖国により220年以上、外国船は来航しませんでしたが、1739年に牡鹿半島沖に3隻の外国船が現れたようです。

この美しい絶景や静かな時間、心地よい風は今も昔も変わることがないのでしょう。

大阪の陣ので豊臣を滅ぼした後、徳川家康が伊達政宗討伐の書状を全国の大名に送ります。

伊達家滅亡の危機に対し、伊達家は福島の阿武隈川を決壊させて向かい撃つ計画をたてます。

白石城→仙台城、そして最後は石巻で戦うというプランでしたが、伊達政宗は駿府城で徳川家康に直接会い、戦は免れました。

幻の迎撃作戦はどんな戦況を想定して石巻を最後の決戦の地と考えたのか?

美しい海をボーッと眺めながら、一人で妄想。

今回は城ではありませんが、そこには確かに仙台藩の足跡が残っていました。