余部丸岡城@京都府

2025年8月9日
かなりハードスケジュールで福知山城→丹波亀山城→余部丸岡城へと移動。
亀岡駅近くのレンタカーで車を借りて向かいました。
丹波亀山城からも近く、車があれば10分もせずに移動可能です。
余部丸岡城は聞いた事がない城でしたが、御城印がカッコよかったので行ってみました。

現在、余部丸岡城は遺構が残っておらず、謎に包まれた城となってしまいました。
城があったとされる一帯は住宅地となっていますが、戦後までは水田(湿地帯)でした。
丹波攻略で明智光秀が攻めて落城した城とされており、攻略後に丹波亀山城を築いたとされています。
亀山城築城後も、家臣への書状に度々余部と書いていることから、軍事的な拠点になっていた可能性があります。

城跡に到着。
この辺りには大手門があったとも言われています。
平地が広がっていたエリアでしたが、この一帯だけ不自然に急な坂となっており、城があったとされる場所は高い場所にあるのが分かります。

城があったとされている場所には現在は西岸寺が建立されており、ここに本丸があったとされています。
西岸寺の石垣と土塀によって城っぽさがあります。

まるで城門のような四脚門。

亀岡市の市文化財の薬師堂。
西岸寺は浄土宗で本尊は阿弥陀如来。

西岸寺からの景色。
余部丸岡城はそこまで高い場所にあるわけではないものの、平地が広がる中で小高い場所にあるので亀岡市を見渡す事ができます。

余部丸岡城は、保津川、曽我谷川、犬飼川と水田で三方を囲み、さらに二つの堀切があったとされています。
この場所が城に適しているのが分かります。

季節によって変わる御城印。
夏バージョンは花火。明智光秀の桔梗紋も入っており、とても素敵。
お盆の時期で忙しかったにも関わらず対応して頂き感謝です。
城の遺構は少なくとも、間違いなく明智光秀の足跡はこの地に残っています。