大坂城@大阪府

2025年10月25日

関西方面遠征の2日目は大坂城から!

朝7時15分に大坂城に到着。

大坂城は6月以来で3度目。

前回は本丸東側の高石垣を中心に見て周ったので、今日は極楽橋からの本丸と、京橋口と乾櫓あたりをコンプリートする計画。

昨晩、ライトアップも見ているのですが、それは後ほど。

今回は美しい写真を多く撮れたので大満足。

まずは大手門を目指します。

朝の清々しい空気の中、南外堀の美しいショットを撮影。

隅に鎮座するのは六番櫓。

大坂城には南側に六番櫓と同じ様な櫓が七番櫓まで存在していました。

しかし、戊辰戦争と空襲によって一番櫓と六番櫓を残して失われました。

芸術的な屏風折れの石垣。この全ての角に櫓が上がっていました。

石垣の積み方、大きさ、反り、その全てが最高クラス。

大坂城のメインゲートとなる大手門。

外から見る巨大枡形と石垣で造られた橋。

これもまた大坂城でしか見られないスケール。

 

大手門から見る千貫櫓。

こちらも六番櫓と同様に江戸時代から残る現存櫓。

千貫櫓がクランクして前面に張り出しているのは、大手門から攻めてきた敵を横から迎撃する設計になっているからです。

二重二階。唐破風を施したセンスある櫓です。

高さ13.5mで、二重ながら迫力ある大きさ。

ここが天下の名城の入口。

門脇の石の大きさに衝撃を受けます。

大手門は普段は人が溢れるほどいますが、朝早い時間で人が少ないので、写真を撮るなら絶対に朝早くがお勧め。

大手門の枡形。

日本最高クラスの巨大な枡形で、多聞櫓も江戸時代から残る現存建築物になります。

門は全面的に鉄板が貼られており、堅固な造りをしています。

多聞櫓の下に大手見附石、大手二番石、大手三番石の巨石が綺麗に並んでいます。

真ん中の大手見附石は大坂城内で四番目に大きな石で、23畳分の大きさ!

石の天端にあいた穴は石狭間という、鉄砲で敵を狙うための穴。

壁に狭間を開けている城が殆どの中、大坂城と江戸城と岡山城には石狭間が設けられています。

大坂城には非常に多くの石狭間が設けられています。

大手多門櫓の石垣。

こんなに大きな石で形成された城門石垣は他にはありません。

二代将軍 徳川秀忠により天下普請で全国の大名が集められて造られた大坂城は、江戸幕府の権威の象徴と言えます。

大手門を抜けて本丸に向かうと北仕切門跡があります。

二の丸と本丸は完全に分断されており、この北仕切門を通過して本丸へと向かうことができます。

当時は太鼓櫓もありましたが、戊辰戦争時に焼失。

奥には最初に見た六番櫓が見えます。

いよいよ本丸。

本丸の南側は空堀となっています。

基本的には大坂城は幅の広い水堀で囲まれているので、南側内堀の空堀は近くで石垣を見れる個人的には隠れたスポット。

美しい算木積みの隅石。

これは間違いなく芸術の領域。

何度来ても大坂城には圧倒されます。

むしろ、訪れる度にその凄まじさを実感します。

本丸に直結する南側を守るのが桜門。

桜門も貴重な現存の城門で、門の両脇を固める均整の取れた巨石が特徴。

門の奥には天守も見えます。

桜門を抜けると巨大な枡形になっており、現在は石垣のみが残ります。

さすが本丸を守る最後の城門だけあって、石垣だけでもかなりの迫力。

桜門の枡形で一際異様な雰囲気を放つのが、正面にある蛸石。

左側の模様が蛸に似ていることから、そう呼ばれる様になりました。

高さ5.5m、幅11.7m、重さは108t!

表面積は36畳ということで、ワタクシの家を遥かに超えた大きさ。

もはや、石というよりも岩です。

備前岡山藩の池田忠雄が担当しました。

どうやって運んだのか不思議です。

清々しい朝に映える天守。

ずっと雨予報だったにも関わらず、朝は晴れてくれて良かった。

大坂城の天守は市民の寄付によって昭和6年に再建されました。

寄付が殺到し、およそ半年で600億円ほど集まったというは驚きです。

天守の復興は全国で初で、さらに鉄筋コンクリート造での再建でした。

大坂城の最初の天守は豊臣期で、築城から32年後に大坂夏の陣で焼失。

二代目は徳川期の天守ですが、築城から36年後に落雷によって焼失。

現在の大坂城は三代目で、豊臣と徳川のMIXした天守となります。

大坂城の石垣は、大坂夏の陣後に改修した徳川期のものとなります。

豊臣期と徳川期では天守の位置も異なります。

天守台も大きく、当時の城では江戸城の次に大きく、14m前後の天守台を含めると当時は約58mもありました。

横目地が揃い、一つ一つの石材が綺麗に加工されています。

算木積みの隅石の迫力も凄い!

天守台北側には戦争の爪痕が残ります。

終戦前日の8月14日に大阪は空襲に見舞われ、大坂城も標的になります。

天守北側に落とされた1t爆弾の爆風によって石垣のズレが生じました。

その他、空襲によって京橋門、二番櫓、三番櫓、伏見櫓などが焼失。甚大な被害を受けました。

日本は戦争によって多くの命、文化も貴重な遺産も失いました。

小天守台上にあるのは金明水井戸屋形があります。

天守の目の前にあるのですが、この小さな屋形建築物は国の重要文化財に指定されています。

歴史的価値としては天守よりも高いと言えます。

井戸時代も水面まで33mとかなりの深さを誇ります。

調査の結果、1624年に徳川幕府による大坂城の改修の際に掘られ、1626年に創建されました。

落雷で天守は焼失しましたが、井戸屋形は残ったので大変貴重な遺構となります。

さらに本丸に残る現存建築は金蔵。

読んで字の如く、徳川幕府の金貨・銀貨を保管していた蔵。

1751年に築造された際は二階建でしたが、1837年に平屋建に改造されています。

今回の大坂城訪城の目的の一つは、今年オープンした豊臣石垣館に行くこと。

三國無双と言われた豊臣期の石垣の一部を見ることができます。

館内唯一、写真撮影が許された石垣。

石の積み方が織豊系と呼ばれる自然石を多用した野面積み。

まだ算木積みの技術も発展途中。

石垣の技術発展は本当に目覚ましいものがあります。

有名な話ではありますが、豊臣秀吉が築城した大坂城は大坂夏の陣によって焼失。

豊臣家が滅亡し、江戸幕府が大坂を統治しました。

昭和初期まで今の大坂城は豊臣秀吉が造ったものと考えられていましたが、昭和34年に地質調査でボーリング調査を行った際、思いがけない発見がありました。

地下9mあたりで花崗岩と思われる石垣が発見されたのです。

石垣の上端は粘土が張られており、火災による火を受けていました。

翌年、さらなる偶然で東京で豊臣大坂城の本丸図が発見されます。

さらに偶然は続きます。

昭和59年に金蔵の水道工事による調査で、またもや地下石垣が見つかりました。

絵図との石垣の位置が一致したことで、豊臣期の大坂城石垣と断定されました。

まさかの豊臣秀吉が築いた大坂城は、さらなる盛土と石垣で地中に埋められていたのです。

今でも地中深くで静かに豊臣大坂城の石垣は眠っています。

豊臣石垣館を出て、本丸東側を見て周ります。

高層ビルと石垣とのコラボレーション。

大阪城ホールも見えます。

本丸東側の石垣は日本一の高さを誇ります!

山里丸には豊臣秀頼と淀殿の自刃の地として石碑が置かれています。

人が多い大坂城ですが、この辺りは人も少なく静かに時が流れています。

極楽橋を渡って内堀沿いから日本一高い石垣となる、本丸東側石垣を見に行きます。

本丸東側石垣。

やはりこの石垣は別格!

水の中の根石からの高さは圧巻の32mです。

その高さにも驚かされますが、曲線がとても美しい。

石垣に草が生い茂っているのは気になりますが、凄まじさは十分伝わります。

水面から天端までは24m、水堀の深さは6m、さらに根石までは2mあるそうです。

水堀の観光船の大きさと比べると、石垣の高さが分かると思います。

当時は出隅の石垣の上には、右から糒櫓、月見櫓、馬印櫓の三重三階の櫓が並んでおり、平屋建ての多聞櫓が三重櫓を繋いでいました。

しかし、戊辰戦争の大火により焼失。

大坂城には11基の三重櫓が上がっていたので、江戸城を凌ぐ軍事施設でした。

続いて内堀沿いを歩いて京橋口方面へ向かいます。

京橋口門は大手口のように立派な多聞櫓があがっており、戦前まで現存していました。

残念ながら空襲によって消失してしまいました。

石垣の上から見た枡形も大手口に劣らぬ規模。

巨石の宝庫の大坂城で二番目に大きな石はこの肥後石。

蛸石同様に岡山藩主、池田忠雄が担当しました。

高さ5.5m、幅14mで畳36畳分。蛸石よりも僅かに小さいくらい。

この肥後石は香川県の離島、小豆島から切り出された石となります。

京橋口から一度外堀に出て、再び大手門方面へと向かいます。

その途中にあるのが乾櫓。

二重二階の櫓で、幾多の戦火を切り抜けた現存櫓で国の重要文化財に指定されています。

1620年に造られた櫓なので、400年を超えています。

横長で珍しい形をしています。

内側から見るとL型をしています。

外堀沿いを歩き、大手口に戻ってきました。

このアングルのショットは最高にかっこいい。

千貫櫓と大手門。

見る角度によって、全く異なる建築物に見えるのが不思議。

再び大手口に戻ってきたのは、櫓の特別公開が行われていた為。

大坂城に幾つか残る櫓の中で今回は、千貫櫓と多聞櫓が公開されていました。

多聞櫓の入口。

石狭間に建築物が乗っかるとこんな感じになります。

銃の可動域を大きくするために、銃口の先端は細く、手元は広く石を切り欠いています。

さらに刻印石という大変レアな石狭間を発見。

多聞櫓の内部。

やはり木造は良いですね。

最大70畳敷の部屋を含めた部屋が4室あり、多聞櫓では日本最大級となります。

多聞櫓から見た続櫓。多聞櫓はL字型になっており、枡形を形成しています。

続櫓の内部。

太い横架材が幾つも並んでおり、これは木造の中でも歴史的建築物でしか見ることのできない、日本の技術。

廊下の脇は部屋になっており、9畳、12畳、15畳の部屋が6室あります。

続櫓から見た多聞櫓。

多聞櫓から見た枡形。

多くの人が行き交いますが、手に取るように上から見ることができます。

特別公開中の千貫櫓にも潜入です。

美を感じる格式ある千貫櫓ですが、内部はゴリゴリの軍事施設。

千貫櫓から見た大手門。

大手門を通過する人は正面の塀と、この千貫櫓の両方から狙われます。

最後は南外堀を通って、森ノ宮駅を目指して再び歩きます。

南外堀の石垣も素晴らしく、日本で二番目に高い石垣は南外堀の高さは30mになります。

どこから見ても大坂城は絵になります。

天下の名城は47大名が召集されて、これだけ巨大城郭にも関わらず、僅か9〜10年で完成しました。

外堀に現存する一番櫓。

六番櫓と共に江戸時代から残る現存櫓です。

約4時間ほど散策して、和歌山県へと向かいます。

昨晩、ライトアップも見に行きました。

23時を過ぎていたので、ライトアップは終わっているかと思いましたが、こんなに深夜でもバッチリ照らされていました。

写真は大手門口!

大手口枡形と巨石。

夜は雰囲気がガラリと変わります。

白漆喰が闇の中に浮き出て、幻想的になります。

桜門と奥には天守も見えます。

深夜でも本丸まで入れるのは驚きました。

当然、大坂城で一番大きな石となる蛸石もライトアップで照らされていました、

天守もカッコいい!

この時間でも人が割と多いのが衝撃でした。

天守台石垣。

綺麗に揃った切込接で、横目他を揃えた布積み。

当時の最高技術で積まれています。

今回は3回目の大坂城ですが、それでもまだ全部周り切ることができていません。

市街地化が進むに連れて遺構が減ったり、立ち入り禁止エリアが多い城が増える中、大坂城は建築物は焼失しても、城郭の形はそのまま残っているので、見るポイントが多いのです。

次来た時は、晴れていれば観光船に乗って間近で石垣をみたいと思います。