山中城@静岡県

2025年11月22日
三連休の初日となる土曜日に、静岡県にある日本100名城の山中城に初訪城。
ずっと行きたいと思っていた城ですが、秋のタイミングを狙っていました。
11月25日から土砂崩れを起こした遺構の復旧工事の為に、一部城内の通行止めが行われます。
行くなら今しかないと思い決行!
山中城は箱根山西麓の標高580mに築かれた中世の山城。
旧箱根街道と国道1号線が城内を通過しています。
小田原合戦時に北条氏が小田原城の防衛戦線としての改修を行なった為、交通を押さえて迎え撃つ準備が進められました。

無料の駐車場もあり、駐車場の前には売店があります。
売店に日本100名城スタンプや御城印も売っています。
山中城の見どころの一つとなる障子堀には、駐車場脇が登城路となります。

無料駐車場の脇は早々に三ノ丸堀となっており、見事な空堀を見ることができます。

この三ノ丸堀は通路の両側が堀となっており、二重堀になっています。
長さ180m、最大幅は30m、深さ8mという大きな堀でした。

三ノ丸堀の先には田尻の池と箱井戸があります。
水は何よりも貴重で欠かすことができません。
特に山城は水は生命線ともいえます。
箱井戸は飲用水として使用され、田尻の池は馬の水飲み場や洗い場となっていたようです。

登城路から見た二ノ丸の堀。
かなり深く切り込まれています。
山中城といえばSNSでも雑誌でも障子堀がピックアップされますが、障子堀がある西ノ丸に到着するまでに、既に圧倒されました。
横堀で曲輪を分断して独立させる形式は、北条氏の城でよく見る築城術となります。

いよいよ西ノ丸を囲む畝堀に足を踏み入れます。
入口は土砂崩れによって山肌が露出してしまっています。
11月25日から工事が入る為、ルート規制が入ります。

西ノ丸と西櫓の間に現れるのは障子堀!山中城といえば、やはりこれ!

西櫓から見た障子堀と、向かい側に見える曲輪は西ノ丸。
この畝を配した独特な形状をした堀が、ぐるりと西櫓と西ノ丸を取り囲みます。
ここまで見事な障子堀は、他では見ることができません。

登城口の売店でワッフルを買うのが大定番!
いい歳したおじさんが一人でやるには少し恥ずかしさを感じる、西櫓からのショット。

雲が多かったものの、富士山も見ることができました。
関東方面は火山灰質の粘土となる関東ローム層によって覆われています。
関東ローム層は滑りやすく、防御面で優位な為に関東では石垣よりも土の城が発展したという話を聞いたことがあります。
この堀に落ちたらよじ登るのは難しそうで、さらに上から集中攻撃されることを考えると恐怖です。

西櫓には掘立建物の跡が発掘調査で発見されています。
武器を立て掛ける施設と考えられています。

西櫓は土塁で全面囲まれています。
土塁としては珍しく、ほぼ垂直に立ち上がっており、まさに土の壁ともいえます。
完全に戦うための城で、中世山城の魅力でもあります。

堀沿いを周回し、西ノ丸にも登りました。
西櫓よりもやや高くなっており、西ノ丸も曲輪全体を土塁で防備しています。
先ほど、西ノ丸の周りを周回してから登ってきましたが、西ノ丸を囲む障子堀も当然ながら凄いのですが、北東あたりは絶壁の切岸となっており、山城に来たという実感が湧きます。

西ノ丸から見た西櫓跡。
曲輪と曲輪の間は障子堀となっています。
綺麗に整備されており、中世の山城でここまで美しい城郭の姿形を見れる城は無いです。

続いて山中城で一番広い面積を誇る二ノ丸へと向かいます。
元西櫓と二ノ丸の空堀と、曲輪を繋ぐ二ノ丸橋。

二の丸から見た元西櫓と二ノ丸橋。この空堀も障子堀になっています。
元西櫓は、先ほど周った障子堀が美しい西ノ丸、西櫓は豊臣軍の襲来を見据えて造成した曲輪で、本来の山中城はこの元西櫓が西端だったことに由来しています。

横から見た二ノ丸橋と空堀。
二ノ丸側は土塁が高く盛られており、上から攻撃しやすくなっています。
復元された二ノ丸橋は遺構を保護する目的で、盛土で本来よりも高い位置に架けられました。

二ノ丸の土塁上から見た二ノ丸。
山中城最大の曲輪で、傾斜のついた曲輪です。
二ノ丸の下には箱井戸と田尻の池があるため、そこに排水するための傾斜と考えられています。
櫓台もあり、堅固な造りであったと考えられます。

二ノ丸虎口と大手道。
道全体が土塁に囲まれて、カーブを描いた造り。
攻めてきた敵がすぐに奥の状況や城郭構造を把握できないように計算されています。

二ノ丸と本丸を遮る堀。
クランクしており、死角や各方面から攻撃できる設計になっています。
石垣の城ではよく見る形態ではありますが、中世の土の城で見ると一層芸術性を感じます。

いよいよ本丸跡。
天守曲輪と共に山中城の中枢となります。

本丸の中で、一際高い曲輪が天守曲輪。
この辺りが豊臣軍と激突した山中城の戦いで最後の戦場となった場所。

本丸は二ノ丸の他に北ノ曲輪の接続されています。
本丸と北ノ曲輪の空堀も見事で、伐採して土塁がより見やすく整備されています。

本丸と橋で繋がった北ノ丸は、北側から攻めてくる敵から本丸を守るための施設だったと考えられます。
造りとしては馬出のような役割がありそうです。
60m×30mの方形の曲輪となっています。
何気ない普通の曲輪のように思えるのですが、個人的には山中城の中で一番防御力を誇る曲輪だと感じました。

北ノ丸から見た堀底。
見事な程に垂直に切り落とされており、土塁の上までの高さは12m以上はありそうです。

右は北ノ丸で左は本丸にある天守曲輪。
奥には架橋があり、本丸と北ノ丸を接続しています。

北ノ丸の脇から西ノ丸方面へと下ることができます。
左側は本丸で右側は北ノ丸下の堀底あたり。
二重堀となっていて、尾根のように細い道となっています。

北ノ丸の空堀。
先程、上から見ても凄い迫力ある高さでしたが、下から見ると、この場所からは絶対に攻めることはできないと感じます。
400年の歳月の中で、堀底は当時よりも2mほど高くなっているようなので、本来はもっと深い堀だったようです。
木が無ければ、かなり迫力ある景色なのは間違いなさそうです。
本丸までしか周らない人が多いので、北ノ丸と北ノ丸の空堀は必見です!

最初に登ってきた登城口に戻り、山中城のもう一つの顔、岱崎出丸へと向かいます。
出丸へと入口は旧箱根街道となっており、石畳の道が続きます。
北条氏の本城となる、小田原へと続く重要な箱根街道は山中城を貫通する形で通っており、豊臣軍のとの決戦に備えて、拡張して出丸を増設。
箱根街道を取り込む形で敵を迎え打つ役割がありました。

岱崎出丸は山中城の一部ではありますが、全く別の城といっても過言ではない性質をもっています。
豊臣軍襲来に備えて造った出丸でしたが、完成しないまま豊臣軍と激突して、山中城は圧倒的な兵力差によって、わずか半日で落城します。
豊臣軍の40000に対して、北条軍は4000という兵力差がありました。

日が沈む間際、海と夕日、そして巨大な空堀。
素晴らしい景色を見ることができました。
堀は御馬場堀と呼ばれ、西ノ丸や西櫓と同様に畝堀となっています。

御馬場堀の堀底幅は2m、堀底から土塁の上までは9mなので、立派な空堀です。

一ノ堀は東海道に沿って設置された畝堀。
西から攻めてくる敵を意識した防備設備となります。
綺麗に整備されており、山中城の中で見どころスポットの一つ。

駿河湾と夕日、さらには富士山と畝堀。
こんな絶景を眺めていたら、当時もこの同じ景色を見ていたのだろうと、考えてしまいます。
しかし、豊臣軍の大軍勢が襲来したときは恐怖だったに違いありません。

築城途中と伝わる曲輪跡。
遺構としては土塁があるのみで、緩やかな傾斜になっています。
豊臣軍に備えて3ヶ月の突貫工事で整備された出丸ですが、完成を待たずに戦闘に突入したとされています。

出丸の先端にあるのがすり鉢曲輪見張台です。
土塁と接続されており、三島市や沼津市を一望できます。

最後はすり鉢曲輪。
上から見るとすり鉢によく似ていることから、すり鉢曲輪と呼ばれています。
兵を隠す武者だまりと考えられている曲輪。
緩やかな傾斜から曲輪の縁は急勾配の土塁となっており、本当にすり鉢のようになっています。

最近多忙により、1ヶ月間も城に行くことが出来なかったのですが、ご褒美と言える素晴らしい遺構と絶景を見ることが出来ました。
時代は変わっても、山中城から見る景色は変わらない。






