【山梨県】要害山城

2025年12月29日
午前中に新府城を攻略し、新府城がある韮崎市から甲府市にある要害山城へと移動です。
到着は14時20分頃。無料の駐車場に停めて急ぎまで向かいます。
要害山城は武田氏の居城だった躑躅ヶ崎館(武田氏館)の、緊急時の詰城として武田氏三代によって使われた城です。武田信玄の生誕の地としても有名です。
標高780mに築かれた山城のため、遅い時間になると攻略ができなくなるので、急いで本丸を目指すことにしました。本来はもう少し早く登城する予定でしたが、予想以上に新府城に長居をしてしまった為、遅い時間になってしまいました。

石碑が建っている脇から登っていきますが、最初の入口となるこの坂で既に急勾配なので、体力消耗が激しいです。
この先で山の中に入っていきますが、終始急な山道となりますので、トレッキングシューズなど動きやすい靴をお勧めします。

至る箇所で石積みを見ることができます。

登城路には倒木もあるので注意が必要です!

またしても倒木!行く手を阻ばまれ、簡単には攻略させてはくれません。

土塁と竪堀跡が現れますが、草木が生い茂っている為に竪堀跡を確認することは難しかったです。

なんとなく竪堀っぽいのは確認できます。

さらに先に進むと門跡が出てきます。
V字に切り込まれており、門跡なら少しながら石が積まれています。

門跡の上には平坦な曲輪が設けられています。
攻めてくる相手を上から攻撃する為の防御施設かなと思います。

再び門跡。
ここからの要害山城は本当に凄いです!

門跡の先は枡形になっており、門を抜けると土塁の壁になっており90度曲がるように設計されています。

そして、門脇の石垣!
この要害山自体が岩山なので、この山で採取された石なのかなと考えます。所々に石垣が残っている中で、この門跡に残る石垣は一際大きものが残っています。

上から見た門跡。攻めてくる相手を上からも攻撃できるようになっています。

門跡正面の土塁上からのショット。
枡形になっており、90度曲がるようになっているのが、お分かり頂けると思います。
正面のこの土塁の上からも相手を狙っています。ここから主郭まで、門跡と枡形が連続します。

段々になって曲輪が形成されており、その全ての曲輪に虎口と枡形が形成されています。
想像していたよりも遺構が残っていて、なかなか先に進めません。

門跡!

門跡!

門跡!

門跡!
門跡だらけです!どれがどこの門跡だったのか忘れてしまいました。しかし、どの門跡にも枡形と喰違いが形成されていて鉄壁の防御になっています。

主郭に入る最後の門跡!

主郭の門跡にも石垣が形成されています。
最後の最後でまたしても倒木によって道が塞がれています。

主郭部の土塁。主郭は長方形で周りは土塁で囲んでいます。

武田信玄の生誕の地なので、主郭には武田信玄の石碑もあります。
1521(大永元)年、駿河勢が大挙して甲府盆地に攻め入った際、懐妊中だった武田信虎の妻、大井夫人は要害山に逃れ、そこで信玄を出産したと言われています(積翠寺で出産した説もあり)。
山頂となる主郭までは約50分程でした。ワタクシは写真を撮ったり、土塁に登ったりしていたので、通常であれば30分ほどで登頂できそうです。

登っている時間よりも急な登城路で疲労感がありましたが、主郭部 反対側の虎口と門跡も確認です。

主郭裏側の門跡。片側は高い土塁です。

主郭の裏側は急な下り坂になり、土橋というか尾根が続いています。
疲れている身体も、これを見たら行かないわけにはいかないです。主郭裏側の方がアドベンチャー感があり、一気にボルテージが上がります。

人工的に深く切り込まれた堀切!城マニア必見の遺構はゴールとなる主郭の裏側です!達成感で登頂して引き返したら勿体無い。

左側が主郭で土塁によって高くなっており、上からから敵を迎え打ちやすくなっています。

堀切からみた主郭は、もはや聳え立つ山の頂。

堀切を更に進むとまた土橋が現れます。まさに戦国時代の山城!

土橋の脇は竪堀です!山の急斜面に沿って、ストンと空堀が下に伸びています。

この堀が山の斜面方向までずっと伸びています。
ここまで綺麗な竪堀は初めて見ました。

竪堀は幾つも連続していて、より強固な防御となっています。

他の竪堀は写真ではやや分かりづらいですが、ハッキリと遺構を確認することができます。

主郭の裏手は細い道や崖も多いので注意が必要です。

堀切の底から撮った写真。奥には土橋があり、エグるように掘り込んで分断しているのが分かります。

堀切の石垣。
特徴的なのは堀切や竪堀の縁の部分には、所々に石垣が形成されている点。

自然石をそのまま使用した野面積み。

こちらも堀切の石垣。苔で見えにくくなっていますが、石垣仕様となっています。
要害山城には至る場所で石垣を見ることができました。
武田信玄が没した後、武田勝頼が後継ぎとなります。その後、武田軍は織田・徳川連合軍に長篠の戦いで惨敗し、武田氏館と詰城の要害山城から新府城に居城を移します。
1582年に武田勝頼は織田信長による甲州征伐によって敗れ、天目山の戦いで自刃。400年続いた名家 武田氏は滅亡します。
その後、躑躅ヶ崎館と要害山城は織田氏・徳川氏・豊臣氏によって甲斐国の統治拠点として再整備され、その後甲府城が築城されるまで使用されたと考えられます。
その際に城は改修されているので、石垣に関してはその時のものという見方があります。
ただ、全体的な土木工事による縄張りなどは武田氏の時代に造られたのかなと個人的には考えています。
下山するときには16時くらいでした。そこから約30分程度で登城口に到着です。本当はもう少し遺構を見たかったのですが、安全が何よりも第一。ついついテンションが上がると、あと少しあと少しとなってしまいますが身の安全が確保されて初めて城めぐりは楽しめるものなので無理は禁物です。

帰りは武田氏館の近くにある、太宰治も通ったとされる銭湯、喜久乃湯で疲れを癒しました。
番台もあるレトロな銭湯で、風呂上がりの瓶牛乳が最高でした。
疲れが取れたところで、甲府城のライトアップを見るために甲府市内へと移動します。









