【広島県】福山城

2025年9月6日
朝から広島城→三原城に行き、最後は福山城へと向かいました。
三原駅から福山駅までは山陽本線で約30分で着くのでセットで周ることができます。この三つの城は山陽新幹線の停車駅でもあります。
さらに三原城も福山城も駅を出た瞬間、目の前が城なのでアクセスが抜群!
到着は13時頃。荷物を駅のコインロッカーに入れて早速福山城へと向かいます。

駅のロータリーに出ると、目の前には巨大城郭が現れます。
高さ10mの石垣と土塀の上には左から月見櫓、鏡櫓があり、奥には大天守も見えます。
福山城は徳川家康の従兄弟の水野勝成が、備後の国10万石の領主として入封し築城。西国の抑えとなる前線基地として築城されました。
ちなみに、高石垣の下は現在一般道となっていますが、当初は内堀がありました。

このハイクラスの高石垣を駅の目の前で見ることができます。
福山城は三原城同様に城郭内(三の丸)を線路が貫通しているので、このロケーションを見ることができます。
加工された石材を使用した打込接の石垣。
石垣の上に土塀があるだけでも、雰囲気がガラリと変わります。今回は東側から入城します。

入城してすぐに、東坂三階櫓と櫓に接続していた二階付きの多聞櫓の石垣を見ることができます。

手前が東坂三階櫓の石垣。真ん中には当時、櫓門形式の東上り楯御門がありました。
現在は石垣が残るのみとなっていますが、ここに三階櫓と城門が行く手を阻んでいるのを想像すると、城は軍事施設だということを再認識させられます。

東上り楯御門跡。
右側が東坂三階櫓の石垣。門の入り口が狭く石垣で囲まれ、当時の築城技術では最高クラスの厳重な造りでした。

東上り楯御門跡を抜けると、90度折れ曲がり天守へと続く道へと繋がります。
先に進むと本丸石垣の前で左右に分かれています。
天守への最短ルートだと思い、東から入城しましたが、本丸石垣に行く手を阻まれて結局ぐるりと西側まで周りました。
軍事施設なので簡単には、天守に辿り着くことができません。

北側には当時の天守の礎石がそのままの配置で移されています。
真ん中には心柱の礎石があり、その周りを18個の礎石が並べられています。
この礎石が大天守の柱を支えていました。

本丸からの天守。
唐破風と多くの千鳥破風が配され、建築技術と美的センスを感じます。また、権威の象徴としても十分なほど威圧感があります。
その全てを含めて、天守はやはりカッコいい!大体の日本人が想像する城とは、福山城天守のような形だと思います。

五重六階 地下一階の層塔型。
天守の高さは26.3m。東側には二重三階の小天守が接続された複合型天守。
日本が誇る福山城天守は、明治の廃城令後も存続し国宝に指定されていましたが、1945年8月8日に空襲によって消失。
終戦の7日前という悲劇でした。
その後、1966年に鉄筋コンクリート造で外観復元されました。

空襲で焼失してしまったのは悲しい出来事でしたが、当時の姿を現代の我々に伝えるため復元して頂いたことに本当に感謝です。
行政、そして地域の方々の気運がなければ復元はできなかったと思います。
この美しい天守を古写真の中でしか見れなかった可能性もあるので、この目に焼き付けられたことが幸せだと、つくづく感じます。

天守台石垣。
隅は綺麗に加工された算木積み、中間部は加工された石を使用した打込接の技術で天守を支えています。
天守が大きいので天守台石垣が低く感じますが、近くで見ると7mほどの立派な天守台石垣です。

本丸に残る井戸 黄金水。
福山城を築城した水野勝成が、井戸の中に黄金を埋めて水気を清めたことから黄金水と呼ばれました。
大正時代の調査で深さは13m、水深約5mで水質が良好と記されていました。

天守内部は博物館となっており、様々な展示品を見ることができます。
また、福山城はシアターも充実しており、歴史や初代福山藩主の水野勝成について分かりやすく学ぶことができます。
天守最上階からは福山市を一望できます。

福山城は当時は内堀、外堀で鉄壁の守備を誇っていましたが、現在は埋め立てられて市街地化しています。
現在残っている部分は、福山城のほんの一部となります。

天守最上階から見た伏見櫓。
福山城に行きたかった理由の一つとして、この伏見櫓を見ることでした。
日本には現存三重櫓が12基しか残っておらず、その内の1基がこの伏見櫓になります。
詳細は後ほど。

天守から見た鐘櫓。
二階建ての櫓で当時は鐘と太鼓を吊り、時と知らせる他にも、緊急時に武士を招集する役割がありました。
明治以降、度々修復されましたが、原型を留めないほど荒廃したので、屋根が銅板葺きで修復されました。

本丸内にある御湯殿。
藩主が使用するための風呂で、本来は本丸御殿と廊下で繋がっていました。
御湯殿も国宝に指定されていましたが、空襲によって焼失。1966年に外観復元されました。

御湯殿の魅力の一つとして、懸造とよばれる前面に迫り出した建築様式が特徴。

土台となる横架材が石垣よりも張り出し、建物自体が全面に出ています。
懸造といえば京都の清水寺が有名。城郭建築としてはかなり珍しい様式となります。

本丸南側を守る筋鉄御門は福山城の正門となります。
その名の如く、柱の角と扉に縦筋の鉄板が貼られています。
築城当時から残る現存の貴重な城門となります。伏見城からの移築と言われており、年代や真実は不明ではありますが、転用材が使用されていることが確認されています。

筋鉄御門の前には伏見櫓があり、筋鉄御門から入城する人達を上から見下ろします。
下から見る伏見櫓もカッコよく、間柱や長押が外装見えてくる真壁造り。
伏見城松の丸 東櫓を移築したと言われています。
解体修理をした際に、二階の梁から松ノ丸ノ東やくらと墨書が発見されたことで、伏見城からの移築櫓と立証され、熊本城の宇土櫓と並ぶ最古の現存櫓となりました。
伏見城は豊臣政権時代、徳川政権時代に政治の拠点とされていた巨大城郭でしたが、徳川家康が廃して二条城を建築。
現在、遺構はほとんど残っていないので、この伏見櫓は大変貴重といえます。

新幹線ホームから見た伏見櫓は格別です。
入母屋造の上層階にちょこんと独立した望楼部を乗せた、慶長初期の建築様式。
長手方向は15m。天守相当の規模を誇ります。
福山城の天守も素晴らしいのですが、こんなに価値のある貴重な伏見櫓をスルーしたら勿体ないので、福山城に来た際は是非このフォルムを目に焼き付けて頂きたい。

本丸南東隅にあるのが月見櫓。
二層二階建の櫓で、二階には高蘭と廻縁という現代のバルコニーがあるのが特徴。
月見櫓は廃城令で取り壊されましたが、天守と共に復元されました。本丸の石垣も見事です。

鏡櫓は本丸東側に位置し、月見櫓とは塀で繋がっていました。
月見櫓と同様に廃城令で取り壊されましたが、外観復元されました。

鏡櫓下から見た天守。どこから見ても絵になります。
見る角度や天気、季節によって顔が変わるのも城の魅力。

福山城の見どころのポイントは天守北側にあります。
東西南は美しい白亜でしたが、北側だけは重厚感のある黒色という全国で唯一の天守でした。

現代ではアートに感じますが、福山城全体の中で天守が北側に寄っているので、外部から天守を直接攻撃されることを想定して、北側だけ鉄板を貼ることで防御機能を高めていました。
城は藩にとって最後の砦となるので、実戦を想定して工夫した造りをしています。
水野家が藩主だった頃から鉄板貼りをしていたことが資料に残っています。
天守が昭和に復元された時は、鉄板貼りはありませんでしたが、2022年 築城400年に向けて耐震工事と併せて、当時の姿を取り戻しました。

本丸西側の石垣。
福山城には三重櫓が6基、二重櫓が16基、平櫓が2基もありました。
殆どの建築物は廃城令や空襲で失われていますが、櫓台の石垣は今でも至る所で見ることができます。

大・中規模の城郭の中で、福山城は城造り最後の城なので、築城技術を集結したと言っても過言ではありません。

最後は城郭南側から階段を降りて駅へと戻ります。
高石垣の上部から下部まで、間近で見ることができます。この石垣の臨場感は特別です。

最後は新幹線ホームから見た福山城。
福山城は3段の石垣によって形成されており、堅固な造りを一望することができます。
どこを見ても技術の高い石垣を拝むことができます。
総石垣と巨大天守を持つ城は、織田信長によって築城された安土城から始まり、
約40年の時を経て福山城が最後の城となりました。

このロケーションを駅から見れるとは、贅沢の極み。
電車で1日3城を周るのはいつもハードですが、最高の時間でした。
福山城はまだまだ見るポイントがありますが、全てを周りきることができなかったので、また訪城したいと思います。









