【埼玉県】杉山城

CASTLE DATA FILE.92
登城日:2026年1月10日
交通手段:東武東上線「武蔵嵐山駅」下車→レンタサイクル
ステータス:続日本100名城・国指定史跡
ジャンル:山城
遺構:曲輪・土塁・空堀・虎口・馬出し・土橋
スタンプ:「嵐山町役場庁舎」で押印
御城印:武蔵嵐山駅「観光ステーション嵐なび」で購入
[戦国期城郭の最高傑作][築城の教科書]と称される技巧派の城
今回は埼玉県の続日本100名城の2城を巡るために電車で嵐山町に来ました。
比企エリアには城跡が多く存在するのが特徴。
今回は同じ嵐山町にある杉山城と菅谷館の2城を攻略します。
その他、日本100名城の鉢形城もありますが、昨年攻略したので、今回はこの2城に決定しました。
武蔵嵐山駅に嵐なびという観光ステーションがあります。こちらで1日1000円で電動自転車が借りれるので、電車で来た方はレンタサイクルをお勧めします!

電動なので最強!怖い物なしです!
杉山城と菅谷館に行くと言えば、嵐なびのスタッフさんが詳しく道などを教えてくれます。
まずは杉山城に向かいます!ちなみに、杉山城の御城印は嵐なびで購入できます。
武蔵嵐山駅から杉山城までは、ゆっくり走って約15分ほど。続日本100名城スタンプは杉山城には無く、役場の庁舎にあるので注意が必要です!自転車で10分ほどの場所にあります。

嵐山町玉ノ岡中学校に入り、校舎裏から入城します。
体育館の前にトイレもあり整備が整っています。無料駐車場もありますので、車でも安心して攻城することが可能です。

入城すると広い敷地となっており、中央にポツンと看板が設置されています。
この広い敷地は杉山城の出丸となります。
看板の横に無料パンフレットがあるので、絶対にここで入手した方が良いと思います。

杉山城は複雑に曲輪が展開されている為、城内のパンフレットは見やすいので持ち歩きした方が断然楽しめます。
縄張りを見ても曲輪一つ一つが変形した形状をしています。

外郭から見た南側の景色。標高98mの頂上部に本郭を置き、南・東・北側の尾根に段々の曲輪が並びます。

大手の土橋から城郭に入ります。
両側が空堀になっており、土橋を渡って直進すると土塁の壁に突き当たるので、左に90度曲がる喰違いとなっています。

大手土橋から見た左側。
球体の様に土塁が張り出しています。大手から攻めてくる敵を真横からでも攻撃できるように造られています。この設備は横矢掛かりといわれています。

上から見た大手の土橋。
戦国期城郭の最高傑作と称されている杉山城。その片鱗をこの時点で感じることができます。あらゆる角度から大手を通過する敵を狙うことができます。
土橋の先は外郭という曲輪が配置されています。

外郭から見た空堀と出丸。外郭側がかなり高さがあります。陰で分かりにくいのですが、大手の右側の空堀は二重堀になっています。

外郭は横長の曲輪で、堀で分断されています。

外郭から見た馬出郭と南三の郭。
左側の小さな曲輪が馬出郭で、土橋で南三の郭へと繋がっています。

近くで見ると土橋も分かりやすい。
外郭と馬出は空堀で分断。土橋の先にある虎口を守るために馬出が設けられています。

堀底に入ることもできます。奥の右側が馬出郭、手前左側が南三の郭、左側が外郭になります。
堀底からの景色も秀逸。

反対側から見ると高い土塁になっているのが分かります。手前が外郭、空堀で仕切られた奥の曲輪が馬出郭になります。

同じく堀底から見た南三の郭の空堀。
ここは屏風折れの芸術的な土塁になっています。続いて外郭から南二の郭を目指します。

外郭を隔てる屏風折れの土塁と空堀は南二の郭→南二の郭へと続いています。

外郭の切岸。急角度で切り落とされています。
この先を進むと南二の郭に向かうことができます。右側は崖のように切り落とされており、石垣の城に負けないほど壮麗な景色。

上から見た南二の郭の入口。
小さな曲輪の様な土塁を中継して、土橋を渡って南二の郭に入ります。土塁は堀切の様に完全に堀で分断されています。

土塁を分断している空堀は、そのまま下の斜面まで落ちていて竪堀となっています。

南二の郭も複雑な形状をしており、南三の郭と井戸郭を結ぶ中継地点の様な曲輪になっています。

南二の郭と外郭を隔てる空堀。
クランクした形状が特徴です。ちゃんと計算された造りで、土塁がクランクすることで十字で攻撃することができます。

いよいよ本郭へと向かいます。

本郭の虎口下からの一枚。右側は本郭、奥には南二の郭。杉山城は土造りの城の魅力が、ギュッと濃縮されたような城です。

本郭の東虎口跡。

土塁の上から見た東虎口跡。
発掘調査で方形に区画された石積みが発見されました。今は土しか見えないので、おそらく今は遺構保存のために埋め戻しがされているのかと思います。

階段を登ると本郭の平地が広がります。周りは土塁で囲まれています。

本郭にある石碑。
本郭は杉山城で一番高い場所にあり、石碑の裏は少し高めの土塁となっています。

本郭から見た井戸郭。

井戸郭と本郭を仕切る空堀。
本郭を囲む東西南北の全ての方向に攻撃を仕掛けられる様に、本郭も正方形ではなく張り出しを多用した複雑な形状をしています。

本郭と井戸郭の空堀。
右側が本郭、左側が井戸郭。クネクネとクランクした屏風折れの土塁は芸術的です!

井戸郭と本郭の空堀の堀底を歩き、突き当たりは90度に折れ曲がります。
見ての通り、右・左・正面の三方から狙われています。

井戸郭も土塁で囲まれています。

井戸郭から南二の郭を経由して南三の郭へ。南三の郭から馬出郭を抜けて外部をぐるっと周って北側へと向かいます。
写真は南二の郭から撮影した南三の郭。

南三の郭の周りも興味深い遺構が残っています。
曲輪の周りには帯状の土塁が北側にまで続いています。

南三の郭の周りも屛風折れになっています。抜かりのない堅固は造り。

右側が南三の郭、左側は井戸郭で空堀で曲輪を分断。

井戸跡には現在、蓋石が置かれています。現在でも水は湧き出ていると言われています。

外部側にはいくつも竪堀を確認できます。

山の斜面側は木の伐採がされていないので、まだ未発掘の可能性もあります。
本来はもっと深い竪堀だったのではないかと思われます。

この面だけで4つほど竪堀を確認できました。

斜面に沿って堀が落ちる様に下がっていくのが竪堀。山城でよく見られる築城スタイル。
現状でも杉山城はハイレベルな城跡ですが、竪堀も含めた未整備エリアも整えたら凄いことになりそうです。

本郭北側の虎口。

本郭から見た北側の虎口。

左側が本郭で、奥に見える土橋の先が本郭北虎口になります。

本郭と北二の郭。右側の本郭がかなり高くなっており、防御性が高いのが一目瞭然。

北二の郭。北側は全般的に木が生えています。
奥に見える一際高い場所は本郭。

北二の郭の虎口。空堀に架かる土橋はクランクした喰違いになっており、敵襲のスピードを遅くする役割があります。

非常に興味深いのが、右側は山の斜面となっており、草木が生い茂っています。しかし、斜面の一段下に明らかに土塁と空堀があります。
上から見たのみですが立派な空堀を確認できます。

大手がある南側に比べて北と西はやや防備が薄い様に思っていましたが、未整備なだけで本来はもっと強力な防御力があったのではと考えられます。

右側が北二の郭、左側は北三の郭。

北三の郭から反対側に周って、同じ空堀を撮影。
右側が北三の郭、左側が北二の郭。空堀が綺麗に残っていて薬研堀のようなV字型。

北三の郭の空堀。

北三の郭は北二の郭の3倍くらい大きな曲輪になっています。

搦手側の登城路。

10分ほど下ると、もう一つの登城路に到着します。
こちらからだと、パンフレットが置いてないので、やはり学校側の大手から登城する方がベスト。
再び同じ搦手の道を登って、まだ未攻略の東側の曲輪に向かいます。

本郭から見た東二の郭と東三の郭方面。馬の背中の様な長い土塁が本郭からずっと伸びています。

東二の郭から見た本郭の巨大な土塁。切り立った形状で、まるで軍艦の様な威圧感が満載の佇まい。

東二の郭と東三の郭を結ぶ虎口。

本郭から伸びている馬の背のような土塁の先端は空堀で囲まれており、まるで三日月堀のように綺麗な円弧を描いています。

この馬の背のような土塁と空堀が本郭まで伸びています。上にそびえる曲輪が本郭。

東三の郭から撮った虎口。東三の郭よりも東二の郭は一段上がっており坂虎口となっています。
虎口下は土橋となっており、両側は空堀を張り巡らしています。
東三の郭は東二の郭の虎口を守るように前に置かれているので、馬出のような機能かあったように思えます。

東三の丸の土塁。
東三の丸の先にも曲輪の様な平場が続いていますが、普請の形跡が見られない様で、尾根の地形をそのまま利用していると考えられています。

東三の郭から見た主郭部。
曲輪一つ一つが複雑な形状をしていて、中央は竪堀と切岸で幅広い谷となっています。
迷路ような杉山城を3時間程度で一通り攻略することができました。
杉山城の資料が少ないため、謎多き城で築城年代や廃城年代も詳細は分かっておらず、築城術などから北条氏の時代の城と考えられていたようです。
これだけの防御機能を持ち合わせた城なので北条氏の城のようにも思えますが、曲輪一つ一つが小さいので北条氏の時代よりも少し古い時代の城郭なのかなと考えながら周っていました。
後から調べると戦国時代の初めころ、関東では関東管領山内上杉氏と同族の扇谷上杉氏による抗争があり、長享2年(1488)には須賀谷原(嵐山町)で多くの戦死者を出す激しい戦闘がありました。発掘調査で杉山城跡から出土した遺跡の年代はこの戦いの少し後にあたるため、杉山城は山内上杉氏が扇谷上杉氏に対抗して築城したというのが有力なようです。
しかし、1500年頃にこのような技巧的な城が造られていたことにも驚きです。
発掘調査で曲輪では大量の焼けた壁土とコマイの炭化竹が出土し、南2の郭・南3の郭からも焼土と炭化物が出土していて、土器なども焼けた痕跡が多くみられたようです。
このことから杉山城では城の広い範囲で火災があった後に廃城になったと推測されています。

役場に飾られている杉山城の縄張り模型。高低差も分かるので、分かりやすい!
今では各地からお城ファンが訪れる人気の城ですが、ボランティアの保存会の方や玉ノ岡中学校の生徒さんが、草刈りなど整備をして頂いているお陰で今の素晴らしい姿が維持できています。
城を守る方々がいる事で名城は名城でいられます。
本当に感謝しかないです。
次は自転車で菅谷館に移動します。









