【埼玉県】菅谷館

CASTLE DATA FILE.93
登城日:2026年1月10日
交通手段:東武東上線「武蔵嵐山駅」下車→レンタサイクル
ステータス:続日本100名城・国指定史跡
ジャンル:平城
遺構:曲輪・土塁・空堀・虎口
復元建築:木橋
スタンプ:「嵐山史跡の博物館」で押印
御城印:「嵐山史跡の博物館」で購入

出桝形土塁などダイナミックで芸術的な遺構に釘付け!

本日の2城目は続日本100名城の菅谷館です。朝一で武蔵嵐山町で自転車をレンタルして杉山城に行き、菅谷館に移動。
移動時間は自転車で20分〜25分程度。
武蔵嵐山駅からは自転車で5分くらいで到着します。

この近距離に続日本100名城が点在しているのも珍しいです。

菅谷館は源平合戦や、その後の鎌倉時代に活躍した鎌倉時代の有力武士「畠山重忠」の館跡とされています。しかし、発掘調査では菅谷館の遺構は発見されておらず、300年後の戦国時代に改修された菅谷城の姿が現在の姿となります。

昭和48年に国の史跡に指定され、平成20年には松山城・小倉城・杉山城と共に「比企城館跡群菅谷館跡」として名称が変更されています。
比企城館群とは近接した下記4城を指します。
・杉山城
・菅谷館
・武蔵松山城
・小倉城
この他にも、この地域の一帯には多くの城跡が残っています。
戦国時代のはじめ、関東管領山内上杉氏と同族の扇谷上杉氏による「長享の乱」と呼ばれる抗争があった。現在見る城郭遺構は、このときの改修による築城と推測されています。

三ノ郭には嵐山史跡の博物館があります。
博物館内にはパンフレットなども置いてあり、続日本100名城スタンプや御城印もここでコンプリートできます。三ノ郭は東西約260m、南北130mの長方形の郭で菅谷館で一番広い曲輪です。

博物館の裏から城郭に出ます。
博物館を出てすぐに建物跡があり、発掘調査で発見された柱穴を復元したレプリカがあります。井戸跡も残っています。

博物館の前の道は綺麗に整備されています。

博物館を出て東側方面に早速、土橋らしきものを発見。特に虎口の説明なども無いのでこれが遺構なのかは不明。

土橋らしき場所から見た左側の空堀。

右側は空堀と川が流れています。
菅谷館の東面は都幾川に繋がる川で守られています。この脇にある道から本郭の方へと向かいます。

三ノ郭の土塁。空堀になっています。

空堀沿いを進むと、更に深い空堀と土塁に突き当たり、T字の空堀となっています。

三ノ郭を通り、本郭に入ります。
入口には菅谷館跡の石碑が建っています。

本郭の虎口と土橋。綺麗な状態で残っており、高い土塁であることが確認できます。

土橋から見た左側。堀底から本郭の土塁上までは6mはありそうです。空堀の先は一番最初に見た小川に繋がっており、先ほどのT字型の空堀はこの空堀と合流しています。

土橋から見た右側の空堀。
高い土塁はクランクするように張り出しているため、土橋を渡る敵を真横から攻撃することができる設計。

本郭内部から見た虎口。

本郭は東西150m、南北約60mの長方形の郭です。地元の伝承では、ここに畠山重忠の館があったといわれていますが、発掘調査を行っていないようなので確かなことはまだ不明。

しかし、間違いなくこの本郭が高い防御力なのは間違いなさそうです。

本郭内部から見た土塁。3m程の土塁が本郭全体を囲んで防備しています。

先ほどの虎口の反対から南郭に向かいます。

本郭裏も空堀となっており、綺麗に整備されています。

本郭の裏は南郭が広がります。
南郭は細長い曲輪で本郭の裏手を守っています。

南郭の端部。整備された道がT字路になっており、右側に進むとニノ郭に、左側に進むと城外に繋がります。

城外には虎口跡から階段を降ります。

菅谷館は全体的な平地に造られていますが、南側から城外に出ると菅谷館の全体像を理解できます。
菅谷館は高い場所に築城されており、南側は20mほどの崖になった天然の要害になっています。
草木が生い茂っているため、写真では分かりずらいですが、深い谷のようになっています。

階段を下りて一度場外に出ると、都幾川が流れています。菅谷館の南側は都幾川の崖上に造られた天然の要害で守られているので、中世の城館というよりは限りなく城に近いといえます。

一度、南郭に戻り二ノ郭に向かいます。階段を上がって、二ノ郭から振り返った一枚。
階段の下は南郭で、二ノ郭よりもかなり低い場所に位置しています。

左側は本郭、右側は二ノ郭で土塁と空堀で仕切られています。
空堀はちょうど本郭の角になります。

二ノ郭は館跡の中央部分に当たり、東西約250m、20~50mの細長い形の郭で、全体を土塁と空堀で囲んで防備しています。

本郭の空堀と土塁。本郭は二ノ郭よりも一段高くなっており、上から攻撃しやすくなっています。

本郭の空堀と土塁。先はL字にクランクしているのが特徴。

見事にクランクした土塁。堀底から土塁までは、およそ5m~6m程でしょうか。
菅谷館の見どころのひとつで、出桝形土塁と呼ばれています。凸状に突き出しているので横矢掛かりで十字に攻撃ができるのが特徴。

綺麗にクランクしているのが分かります。
本丸虎口を守る個所になるので、高い防御力になっています。

本郭から見た土塁。
土塁が張り出してZ型にクランクしているのが分かります。続いて二ノ郭→三ノ郭→西郭の順で周っていきます。

ニノ郭の土塁で階段があり、登れる場所があります。

階段の上には、畠山重忠の銅像が建てられています。
菅谷館は全体的に遺構保存のために土塁の上に登ることは禁止されています。唯一?この銅像が鎮座する土塁だけは登ることができます。

土塁の上から見た三ノ郭と空堀。ニノ郭の土塁も高いです。
このまま西側の三ノ郭に向かいます。

奥に見える高い土塁は先ほどの銅像が建っている土塁。この空堀を隔てて三ノ郭となります。

三ノ郭の空堀。当時はもっと深い空堀だったと思われます。

三ノ郭の正拈門跡と木橋を渡ると西ノ郭に出ます!
間口9mでかなり幅は広め。中央には木橋があります。

正拈門跡脇の土塁。

復元された木橋。発掘調査で石積みも見つかっており、橋が架かっていたと判明し復元されました。

木橋を横から見ます。左側が三ノ郭で右側は西郭。三ノ郭の方が高くなっています。

木橋下の空堀は城外を取り囲む空堀と接続されています。

木橋から見たニノ郭側の空堀。木橋が架かる空堀はニノ郭の空堀と接続しています。

西ノ郭は、菅谷館の北西部分にあり本郭から一番離れています。西ノ郭は大手門跡とされる虎口があります。

一度、博物館方面に戻り搦手門跡から城外に出ます。
搦手門跡は現在の菅谷館のメイン入口となります。駐車場に繋がっている為、道は舗装されて改造されているものの、喰違いなど痕跡はしっかりと残っています。

城外から見た搦手門。土塁をくり抜いた門跡がしっかりと残っています。

搦手門の左側の土塁と空堀。二重の空堀となっており、バイパス沿いに空堀が続いています。

外部の空堀沿いに沿って西方面に歩いてみます。
高めの土塁と空堀、左にはバイパスが通っています。

右側は三ノ郭の土塁。土塁の下には小川が流れています。

城外の道路沿いを歩くと、先ほど通った木橋が現れます。
左の曲輪は三ノ郭、右の曲輪が西ノ郭で奥に小さく見える木橋でつながっています。幾つもの土塁と空堀で厳重に守られている菅谷館は、間違いなく立派な「城」です。

本日周った杉山城と同じ戦国時代初期に改修されたとされていますが、菅谷館の方が曲輪も大きくダイナミックなので、北条氏の時代に手を加えられたのではないかと個人的には考えてしまします。
これだけ広い曲輪が幾つも展開されていると、守る人数も相当数いないと守り切れないよな・・・などと考えながら周っていました。

菅谷館の近くにある寄居町の鉢形城は、信濃や北陸からの侵攻を抑える重要拠点として北条氏照が居城としました。そして豊臣連合軍と激戦が来る広げられた歴史があります。
いずれにしても、いつの時代もこの一帯は関東への侵攻を食い止める上で重要なエリアでした。

2時間半ほど歩き回って自転車で駅に戻りました。続日本100名城を2城攻略する計画は無事に遂行できました。
2城とも綺麗に整備されており、天気にも恵まれゆったりと周ることができ最高の時間でした。
次は同じ比企城館群の武蔵小倉城と武蔵松山城を近いうちに攻略したいと思います。