【山梨県】甲府城

CASTLE DATA FILE.88
登城日:2025年12月29日
交通手段:JR中央線「甲府駅」徒歩5分
ステータス:日本100名城・国指定史跡
ジャンル:平山城
遺構:石垣・堀
復元建築:櫓・門
スタンプ:「稲荷櫓」内部で押印
御城印:甲府駅前「甲府市観光案内所」で購入

圧巻の総石垣と唯一無二「甲府盆地」のロケーション

山梨遠征の3城目は甲府城。
新府城→要害山城→甲府城で18時頃に到着。

甲府城に来るのは9年ぶりくらいでしょうか。その時は特に城に詳しくなかったので、武田信玄の城だと思っていました。

感想としても天守台からの景色が綺麗だなと思うくらいで特に印象が無かったので、今回は存分に甲府城を周る計画を立てました。
29日が年末年始期間の為、山手御門と稲荷櫓が開放されないので、実は山梨到着してすぐ新府城に行く前にも、山手御門と稲荷櫓にだけは先行して訪城していました。

そして夜にはライトアップを見て周り、翌日の朝一も甲府城からスタートするフルコースでした。
翌日29日に周った順路をベースにご紹介していきます。

到着は8時半頃で素晴らしい程の快晴でした。
水堀沿いを歩くと幾つもの曲輪で、段々になった石垣の要塞の姿が綺麗に見ることができます。

遊亀橋より城内に入城

甲府城には現在5つほど入城ルートがあります。
絵図ではこの場所は水堀と石垣がつながっており、橋は架かっていなかったので後世で新しく造られたルートと考えられます。

遊亀橋から見た左側。朝なので空気が澄んでいて水堀に石垣と土塀が美しく映ります。

遊亀橋から見た右側。
本来は城郭全体を水堀で囲んでいましたが、現在は城の南側にのみ残ります。

入城すると広場が現れます。この広場は鍛冶曲輪で江戸時代の後半の絵図には役所が設けられ、年貢や作事・普請(現在の工事)に関わる事務を扱う場所と考えれており、建築物の遺構も多く残っています。

明治時代になるとこの場所に葡萄酒酒造所が造られ、全国で初めてワインの量産に成功します。

鍛冶曲輪からみる主郭部は石垣がとても美しさに魅了されます。

拡大写真。
下段の高石垣は天守曲輪で上の一際高い石垣は甲府城の天守台になります。
天守曲輪の脇には稲荷曲輪門があります。稲荷曲輪門は明治初年までは残っていたようで平成11年に復元されました。

鍛冶曲輪から数寄屋曲輪に行くには階段があります。当時は右側に数寄屋櫓があり、階段の上には門で仕切られていました。

続いて天守曲輪の周りを通って本丸へと向かいます。

まずこの天守曲輪の石垣が素晴らしい。甲府城は元々、岩盤を切り崩して築城されたらしいので石材ひとつひとつが大きいのが特徴。他の城の鏡石クラスの石が普通に使われています。

甲府城は豊臣政権下では徳川方を牽制する役割を担い、江戸時代には逆に江戸侵攻を食い止める城軍事的に重要な位置にありました。1590年頃に豊臣秀勝によって築城開始されたのが有力で、石垣もベースはその時に積まれたものでしょうか。

徳川期に改修され、その際に石垣も今の甲府城のように変わったとも言われています。

石垣の隅石を見ると江戸時代の隙間なく積まれた算木積みではないので、豊臣期の少し古い時代の積み方のように思えます。勾配も緩やかな曲線です。

坂下門あたりはナイスアングルで写真を撮ることができます。

天守曲輪沿いを進むと坂下門跡に出ます。本丸、二の丸に繋がる門で築城前からこの地にあった一蓮寺の門を移築したそうです。
クランクした喰違いの門になっています。

坂下門の石垣。隅石に見られる横長の石には矢穴を見ることができます。

矢穴の一つの大きさが4寸(約12cm)程。このクサビの大きさはやや古い時代の大きさらしく、石の積み方だけでなく矢穴からも時代を読み取ることができると甲府城の資料を見て知りました。大変、勉強になりました。

坂下門を抜けると中の門跡を通過します。中の門の先には天守曲輪が展開されています。

中の門跡の階段の中間には礎石が残っています。絵図には柵の門として描かれています。

中の門跡の左側石垣には岩盤がむき出しになっている場所があります。

これこそ、この場所が岩盤であったことを証明しています。甲府城には至る所にこのように岩盤がそのまま石垣と同化して生かされています。

中の門跡から見た鉄門。甲府城は石垣が凄いので、どこから見ても絵になります。

中の門から見た本丸の石垣。鏡石といっても過言ではないほどの大きな石が随所に見られます。
甲府城を全体見た中で、この謝恩碑の下で見られる石垣が一際大きいように思えます。

2012年に復元された、本丸を堅守する鉄門

個人的にお気に入りのショットは、中の門を抜けて天守曲輪からの一枚。
9年前に来たときも同じ景色を見ているはずなのに、特に感動もなくあまり記憶もありません。

しかし、城めぐりを始めて幾つもの城を見てきた中で、改めて甲府城を見ると日本屈指の石垣の要塞だと感じました。
石垣の美しさに感動すら覚えます。

鉄門は本丸を守る最後の門なので、格式と防御力を兼ね備えた櫓門です。
発掘調査、絵図、古写真を元に復元され、現在の甲府城のシンボルのような城門です。

礎石はそのまま使用され、石垣に残った梁跡から高さや形を特定したそうです。柱や横架材には鉄板が貼られています。

本丸は広場になっており、さらに本丸の隅には天守台が現れます。

かなり巨大な天守台です。しかし、実際に天守が上がっていたかは不明となっています。
甲府城は文献や資料があまり残っておらず、少なくとも江戸時代には天守は無かったと考えられています。
ただ、天守の発掘調査で鯱の破片と金箔瓦が出土したことで、豊臣期には天守があったとも考えられています。

実際に天守台に登ることができます。

天守台から見た愛宕山。そして稲荷曲輪の先端。
甲府城の石垣は、甲府城内と愛宕山から切り出されたそうです。石が豊富だったこともあり、甲府城はこれだけの石垣の軍事要塞になりました。

本丸や天守台からは山梨県の素晴らしい山々を見ることができます。

続いては本丸と、元々は二の丸を繋いでいた銅門跡。当時の礎石も残っています。

門跡のワイドの大きさや、脇の石垣を見ると櫓門形式だったのかなと思ったりもします。甲府城は資料が少ないからか、どんな建築物だったのかイメージするものが無いので真相は謎。

上から見た銅門跡。
曲がりくねった複雑な形状をしているのが分かります。階段を降りると内松陰門へとつながります。

銅門は本丸を堅固するための大きな城門があったのは間違いなさそうです。

城内唯一となる復元櫓「稲荷櫓」は2004年に復元

稲荷曲輪の隅には稲荷櫓があります。
土塀や門の復元建築が多い甲府城の中で、唯一となる櫓の復元建築。

木造で復元された稲荷櫓の内部は、資料や展示物のスペースとなっています。

日本100名城のスタンプは稲荷櫓の内部にあります。
12月29日は年末年始で稲荷櫓は閉鎖されるので、12月28日の内にスタンプを押しにきました。

稲荷櫓付近から見た天守台。青空とのコントラストは最高です。
天守台から出土した鯱の破片を復元すると132cmあったことから、大きな天守が建っていた可能性が有力となりました。

稲荷曲輪を周っていると、時代の異なる石垣を見ることができます。
ゴツゴツとした自然石が特徴の甲府城石垣ですが、この個所は切込接の綺麗に整形された石材を使っています。

時代の異なる石垣のつなぎ目。左側は大きさも形も異なる石を積み上げていますが、右側は石と石の隙間がなく横目地も揃えられています。

縄張りが拡張されたのか、改修されたのかは不明ですが右側の積み方は江戸時代のものと思われます。
慶長初期から中期くらいの、自然石を使った野面積みの方が個人的には好きです。

一度、稲荷櫓の脇から下って道路から石垣を見ていきます。

稲荷櫓の形状や構造については鉄門と同じく、絵図や古文書や古写真、発掘調査を基に江戸時代初期の1664年の築城当初の姿で復元されました。

真っ白に輝く稲荷櫓。かっこいい!
入母屋の張出には石落としが実装されています。

稲荷櫓は二重二階で高さ10.8mの建築物。それに加えて、この高石垣ですから凄い迫力です!
石垣の勾配も美しい。

城郭東側は甲府城で最も迫力ある石垣を堪能できるスポット

東側稲荷曲輪の石垣は甲府城の中でも一番高い石垣です。
築城当時の野面積みで高さ17m!当時の石垣では最先端の技術を用いられています。

これだけ技術を持った石工職人を動員できたのは、天下に名を轟かせた豊臣秀吉の命によって築城されたからだと考えられます。

稲荷曲輪から一段下がって数寄屋曲輪となります。

東側は複雑に曲輪が折れ曲がったりしており、こんなカッコいい写真も撮ることができます。
手前は数寄屋曲輪の隅石。奥は稲荷曲輪の高石垣。
手前側の石には矢穴も確認できます。

さらに数寄屋曲輪から一段下がって鍛冶曲輪になります。

鍛冶屋の石垣。
城郭を出て東側の石垣は皆さん見ないで帰る方が多いようですが、個人的におすすめのポイントは間違いなく東側です!

そして、再び遊亀橋の水堀に出てきます。
奥には山梨県庁がありますが、当時は山梨県庁のあたりは楽屋曲輪という甲府城の一部でした。

県庁の前を通って甲府城の西側を歩きます。
まずは鍛冶曲輪門が復元されています。

今は山梨県庁になっている楽屋曲輪と鍛冶曲輪を隔てる門で、明治初めまでは残っていました。発掘調査と絵図から平成8年に復元されました。

鍛冶曲輪門を内側からも見てみます。
控え柱を設けた薬医門形式。

先ほど本丸から見た内松陰門。
ちょうどヨドバシカメラあたりにある門になります。ヨドバシカメラは当時、屋形曲輪という場内の一部でした。

本丸から見た内松陰門。高麗門形式の門になります。

山手御門は2007年に復元

内松陰門を通過するとJRの線路の上を渡る高架橋に出ます。
線路の反対側には山手門が出現!一帯が甲府市歴史公園として整備されています。
高さ約6m、幅約5mで甲府城にあった3つの出入り口の一つになります。

高麗門の山手門を抜けると桝形になっており、山手渡櫓門が現れます。
山手門と山手渡櫓門を合わせて山手御門と総称されています。

現在山手渡櫓門の内部は展示室となっており、展示室を抜けると山手御門の桝形を上から見ることができます。

山手渡櫓門は高さ約12m、幅約14m。明治の廃城令によって山手御門の一帯も市街地化が進み、堀は埋められ石垣も崩されました。
平成10年の発掘調査で石垣の一部が発見され、当時の石垣を土台として野面積みで石垣も復元されました。

陸橋からの一枚。手前には山手渡櫓門、奥には稲荷櫓と土塀が見えます。
そして山手御門と奥の主郭の間にはJR中央本線が貫通しています。
元々、甲府城は20ha(東京ドーム4個分以上)の大きさを誇っていましたが、今は線路で分断されています。

城郭の雰囲気があって、ここからのショットもなかなか良い感じです。

山手渡櫓門の展示室を抜けると、目の前で櫓門を見ることができます。

ここからは前日のライトアップされた甲府城を紹介!鍛冶曲輪からの主郭部。ライトに照らされた石垣は幻想的。

天守曲輪の石垣。
天守曲輪の下を進み、坂下門跡→中の門跡の順路で本丸に向かいます。

天守曲輪の石垣は一つ一つの石垣大きい!

中の門跡からの鉄門。

白漆喰の鉄門は夜の闇に浮かび上がるように照らされ、昼間とは違った顔を見せてくれます。

鉄門を抜ければ本丸。そして天守台はと向かいます。

天守台は別格に美しい!

天守台は穴蔵になっており、地下部分から階段を登って上がることができます。

天守台からの甲府市内。

稲荷櫓。
曲輪側から見るとすごくシンプルな二重櫓です。

内松陰門も幻想的に照らされています。

最後に鍛冶曲輪門。
甲府城は夜も見どころ満載です。
豊臣政権下でも徳川政権下でも重要な位置付けだった城だけあって堅牢な造りで、特に石垣は見るものを圧倒します。

9年前くらいに来た際は、ほぼ記憶がない甲府城でしたが、城に対する知識が付いた現在は当時の何十倍も何百倍も楽しむことができました。
城めぐりは知れば知るほど楽しくなります。

これからも城が好きになる方のためも、頑張って書き続けたいと思います。