小諸城【日本100名城】
浅間山から千曲川に至る、小諸の地勢を存分に活用した天然の要塞を駆使した城郭。
仙石秀久の居城として知られており、江戸時代に入った後も極めて要衝な領地であったため、譜代大名が歴代藩主を務めた。現在は天守台や石垣のほか、2つの重要文化財が残されている。
小諸城は城郭が城下町よりも低い場所に位置する「穴城(あなじろ)」であり、日本で唯一の特殊な構造をしており、日本100名城にも選定されている。
城址にはソメイヨシノが多数植樹されており、日本さくら名所100選に選定されています。
Contents
小諸城の見どころ

小諸城は石垣や威厳ある城門など、近世城郭の姿を幾つも見ることができますが、目の前を流れる千曲川と、城の南・西・北側は大地を切り裂いたような深い谷で三方を守っています。戦国期と近世をMIXした縄張りと立地は必見です。

日本で唯一の城郭形態となる「穴城(あなじろ)」で、本来の城は軍事施設として、また街のシンボルとして、高い場所に築城される中で、小諸城は城下町よりも城郭の方が低い構造をしています。城下町を歩けば、城下町に向かって上り坂になっているのが分かります。風情ある城下町も見どころ。
名城スタンプと御城印
■日本100名城スタンプ設置場所
・城内の懐古園事務所 入園時間:9:00~17:00
■御城印販売
・懐古神社社務所
小諸城 周辺の天気
| 別名 | 酔月城 穴城 白鶴城 鍋蓋城 |
|---|---|
| 城郭構造 | 平山城 |
| 天守構造 | 望楼型3重3階(1585年築・非現存) |
| 築城主 | 武田信玄 |
| 築城年 | 1554年(天文23年) |
| 主な改修者 | 仙石秀久 |
| 主な城主 | 武田氏、仙石氏、牧野氏など |
| 廃城年 | 1873年 (明治6年) |
| 遺構 | 大手門、三之門、天守台、石垣、 空堀 |
| 指定文化財 | 重要文化財(大手門、三之門) |
写真で見る小諸城
レポート
小諸城について
長享元年(1487年)に大井光忠によって築城されたと考えられている。戦国時代、武田信玄の東信州経営のために現在の縄張りとされた。現在残っている城跡の元になったものは信玄の軍師であった山本勘助の縄張りだと言い伝えられているが、根拠となる史料はない。
安土桃山時代から江戸時代にかけて、石垣を構築した近世城郭に改修された。現在のような構えとなったのは仙石秀久の改修によるもので、
城郭は城下町である市街地よりも低地に縄張りされ、市街地から城内を見渡すことができ、このため穴城とも鍋蓋城ともいう別称がある。また、浅間山の田切地形の深い谷を空堀として利用しており、西側の千曲川の断崖も天然の防御として利用されている。
縄張り

※こもろ観光局オフィシャルHPより
小諸城の歴史
天文23年(1554年)に竣工する。小諸城主は武田家の親族衆である武田信豊であるとする説があるが、黒田基樹は信豊が小諸城主であったことを示す確実な記録はないことを指摘している。勝頼期には御一門衆の下曾根浄喜が城代を務めており、天正10年(1582年)3月の織田・徳川連合軍の甲斐侵攻に際しては小諸城に逃れてきた信豊を浄喜が打ち取り首を織田信長に進上したが、浄喜も誅殺されたという。
武田氏が滅んだ後に上野国と信濃佐久郡・小県郡は織田家臣の滝川一益が領し、城代は道家正栄が務める。天正10年6月2日の本能寺の変により相模国の後北条氏が上野へ侵攻し、6月19日に一益は後北条氏との神流川の戦いで敗退する。敗走した一益は箕輪城を経て碓氷峠を越え、6月21日に小諸城へ入城する。6月21日には佐久郡の国衆・依田信蕃が小諸城において一益と面会し、一益は木曽郡の木曾義昌とも交渉し、6月27日に小諸城を退去して佐久・木曽両郡を通過して本国の伊勢国長島へ帰還した。これにより小諸城主は依田信蕃となる。
後に徳川氏に引き渡された。その後小田原征伐後に依田氏が徳川氏に従って関東地方に移ると、代わって小田原征伐での功労が認められ5万石で再び大名に列せられた仙石秀久が天正18年(1590年)に入城した。秀久は関ヶ原の戦いでは東軍についたが、その後も元和8年(1622年)に2代忠政が上田城へ転封となるまで居城した。
寛永3年(1626年)6月 に落雷によって天守が焼失した。
江戸時代には小諸藩の藩庁が置かれ、その後は松平氏、青山氏、酒井氏などが封じられたが、元禄15年(1702年)に牧野康重が移封された後は国替えは行われず、牧野氏10代康済の時に明治を迎えた。明治6年(1873年)に廃城令によって廃城処分となった。
国の重要文化財

大手門
現存する大手門は五間櫓門、入母屋造、本瓦葺きで、慶長17年(1612年)の建立である。門は、小諸市の所有となる前は料亭などとして使用されていたため、一部に改造もあるが、建物の根幹部は建立時の状態をとどめている[7]。平成16年(2004年)から同20年(2008年)にかけて解体修理が実施され、改変部分は旧状に復している[8]。

三之門
三之門は1615年に建てられたが、寛保2年(1742年)に起きた「戌の満水」と呼ばれる大水害によって大手門、足柄門と共に損壊した。現存する三之門は明和3年(1766年)に再建されたもので、三間櫓門、寄棟造、桟瓦葺き。門の所有者は懐古神社である。
懐古園
城跡は、明治13年(1880年)に旧小諸藩士らが、旧三の門から本丸址までの払い下げを受けて取得し、大正15年(1926年)には、本多静六の指導を受け、当時の小諸町が園地の拡張を行い、史跡の自然景観を活用した公園とした。現在は市営公園小諸城址懐古園(こもろじょうし かいこえん)として整備、公開されており、入場は有料である。
園内には小諸市動物園をはじめ小諸市児童遊園地、小諸市立小山敬三美術館、小諸市立郷土博物館、小諸市立藤村記念館、懐古神社、徴古館があり、また園に隣接して小諸寅さん記念館、鹿嶋神社、小諸義塾記念館などの施設がある。
旧城郭の馬場跡を中心にソメイヨシノが多数植樹されており、日本さくら名所100選に選定されている。4月下旬の桜の開花時期には多くの花見客でにぎわう。また紅葉の名所としても有名であり、こちらも春に負けないほどの多く観光客でにぎわう。
懐古園の入り口は、旧三の門を利用しており、徳川家達の筆による『懐古園』の扁額が掲げられている。この三の門は小諸市のシンボルとしてフジテレビのアニメーション『サザエさん』の旅行編やオープニングにも複数回登場している。
MEMO
本丸の裏にあたる西側には千曲川に抜ける山道からは、深い谷や堀切を目の前で見ることができます。
さらに、酔月橋から見る地獄谷を見れば、小諸城が鉄壁の軍事要塞であることを実感できること間違いなし。石垣や現存の城門も素晴らしいのですが、特に酔月橋からの景色は絶対に押さえて欲しいスポットです。
マップ
アクセス
■公共交通機関
・JR小海線/しなの鉄道・「小諸駅」より徒歩5分
■車
・上信越自動車道・小諸ICから約8分
※有料駐車場あり
小諸城 周辺スポット
釈尊寺(布引観音)

岩窟の中にあり、拝殿部分は朱塗りの懸崖(けんがい)造りの舞台となっています。拝殿を支える12本の太柱は6丈8尺(20.6メートル)の高さがあります。
宮殿は懸崖造りの観音堂の岩屋の中に安置され、兵火の難をまぬがれて鎌倉時代の1258年建立のまま現在に至っています。
光岳寺

小諸市の城下町にある寺院。お寺の入口となる門は小諸城の足柄門を移築した門となります。
小諸城からも近く、風情を感じる街並みを巡りながら立ち寄れるのでおススメのスポットです。
小諸城 周辺宿泊施設

小諸城 周辺グルメ
グルメMEMO
やはり信州といえば日本蕎麦。小諸城の周辺にも老舗や有名店が集結しています。くるみ蕎麦は小諸市が発祥の地です。また、郷土野菜などを煮た鍋の汁で食べる「お煮かけそば」も必見。
長野県の城を攻める
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