広島県

広島の由来は、1589年(天正17年)からの毛利輝元による広島城築城の際に、1591年(天正19年)命名されたものである。

中世の戦国時代、毛利氏の勢力は一気に拡大し、安芸国を中心に最盛期には、山陽・山陰十四か国(中国地方一帯)百四十数万石と九州の一部を領地とし、西日本最大の勢力を誇り、中央の織田信長の勢力と対峙した。

これらの実績により、毛利元就は今日でも広島を代表する人物として人気が高い。

 関ヶ原の戦いで毛利輝元が、西軍の総大将として反徳川方についたため、全領土を没収された。

しかし支族吉川氏のとりなしにより、周防・長門(山口県)へ転封。輝元が長州藩の実質上の藩祖となる。輝元はわずか三十九万余石では膨大な人数を養う自信がなく、家来に「ついて来なくてもいい」と幾度も言ったが、みな聞かず。

家来はほぼ全員長門国に移った。

江戸時代の藩については備後国の福山藩、安芸国の広島藩、広島新田藩。また備後の家老浅野家の広島藩の支城三原城が置かれた。

広島県

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広島城【日本100名城】: 34.401574, 132.459776
三原城【続日本100名城】: 34.401290, 133.082628
福山城【日本100名城】: 34.491049, 133.361138
吉田郡山城【日本100名城】: 34.673617, 132.709571
神辺城: 34.538030, 133.385042
亀居城: 34.240606, 132.216489
新高山城【続日本100名城】: 34.419560, 132.976370
多治比猿掛城(たじひさるかけじょう): 34.678994, 132.663517
小倉山城(おぐらやまじょう): 34.878714, 132.951393
駿河丸城: 34.778518, 132.461107
日野山城(ひのやまじょう): 34.743129, 132.485933
鈴尾城: 34.635062, 132.665362
吉川元春館(きっかわもとはるやかた): 34.716659, 132.466063
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広島城【日本100名城】
広島城【広島市】

毛利輝元によって築かれた城で、完成当初は当時の大坂城に匹敵する規模の城だった。当時は88基の櫓を備えた巨大城郭だったが、原爆の爆風で天守や城門などは倒壊。その後、天守は再建された。



遺構:石垣・堀

復元建築:表御門・平櫓・多門櫓・太鼓櫓・天守

【広島城データベース
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三原城【続日本100名城】
三原城【三原市】

現在、本丸には山陽新幹線が貫通しているが、天守台と堀が残る。三原湾に浮かぶ大島と小島を石垣でつないで築かれた海城で、小早川水軍の母港の役割も果たす海賊城でもあった。広島城の支城として幕末まで軍港の機能を果たした。



遺構:石垣・堀

移築建築:市内の極楽寺に三原奉行所門・順勝寺に御作業奉行所門が移築現存

【データベース】
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福山城【日本100名城】
福山城【福山市】

水野勝成が毛利氏など西日本の有力外様大名に対する抑えとして築いた城。一国一城令が徹底されていたこの時期としては異例の築城だった。城郭建築の最終形態とも言われている。



遺構:伏見櫓・筋鉄御門・鐘楼、石垣

国の重要文化財:伏見櫓・筋鉄御門

復元建築:天守・月見櫓・御湯殿

城郭構造:輪郭式平山城

データベース
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吉田郡山城【日本100名城】
吉田郡山城【安芸高田市】

毛利氏が勢力拡大をして、大大名へと駆け上がる礎となった城。



遺構:曲輪、石垣、土塁、堀切、井戸
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神辺城
神辺城(かんなべじょう)【福山市】

1591年には毛利元就の子、毛利元康が城主となったが、関ケ原の戦い後は安芸国広島城主として入封した福島正則の家老、福島正澄が神辺城主となった。この際、近世城郭として整備され天守も築かれた。福島氏の改易にともない、神辺城は廃城となる。

遺構:曲輪・空堀・石垣

移築建築:市内の實相寺に惣門が移築現存

 
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亀居城
亀居城【大竹市】

関ケ原の戦いの後に、安芸国を与えられた福島正則が毛利氏への押さえとして築いた城。築城当時は海に面して港を備え、山陽道を城内に取り込む構造となっていた。広島城の支城としては、非常に巨大な堅城であった。



遺構:天守台・曲輪・石垣・土塁・堀切・井戸
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新高山城【続日本100名城】
新高山城(にいたかやまじょう)【三原市】

小早川隆景によって築かれた城で、1596年に三原城へ移るまでの45年間、小早川氏の本拠として使われた。三原城の築城および修築の際に石垣などを持ち去ったため、遺構はわずかに残るのみとなっている。



遺構:石垣・堀・土塁

移築建築:市内の宗光寺に城門が移築現存
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多治比猿掛城(たじひさるかけじょう)
多治比猿掛城【安芸高田市】

毛利元就の父である毛利弘元によって築かれた城。元就が青少年期を過ごした城として知られており、この城で毛利隆元や五龍局が生まれた。

遺構:曲輪・土塁・堀切・竪堀・畝状竪堀
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小倉山城(おぐらやまじょう)
小倉山城(おぐらやまじょう)【庄原市】

小倉山城は吉川経見によって築かれた城です。現在も多くの遺構が残っており、「吉川氏居館跡」として駿河丸城、日野山城、吉川元春館跡とともに国の史跡に指定されている。

遺構:曲輪・礎石・空堀
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駿河丸城
駿河丸城【北広島町】

駿河丸城は吉川経高によって築かれ、小倉山城に本拠を移すまでの約70年間、吉川氏の本拠となった城だと伝わっている。国の史跡に指定されており、現在城址には二の丸の背後に大堀切があり、本丸下段に土塁を確認することができる。

遺構:曲輪・堀切・土塁
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日野山城(ひのやまじょう)
日野山城(ひのやまじょう)【北広島町】

吉川氏によって築かれた城で毛利元就の次男・元春が吉川家に養子に入り家督を継ぐと、1550年に小倉山城から居城を移した。現在は「吉川氏城館跡」のひとつとして国指定史跡に指定されている。

遺構:曲輪・空堀・石垣・土塁・井戸
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鈴尾城
鈴尾城【安芸高田市】

鈴尾城は福原氏の居城で、毛利元就誕生の城(諸説あり)として知られている。関ケ原の戦いに敗れた毛利氏の移封に従い廃城となる。

遺構:曲輪・空堀・石垣・土塁・井戸
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吉川元春館(きっかわもとはるやかた)
吉川元春館【北広島町】

吉川元春によって築かれた城館で、1582年に家督を譲った元春が翌年、隠居所として築いた。1591年に吉川広家が月山富田城へ転封となり廃城。

遺構:石垣・曲輪・礎石・土塁・空堀・庭園・井戸

復元建築:土塁・台所・付属屋(物品庫)・庭園