広島県
広島の由来は、1589年(天正17年)からの毛利輝元による広島城築城の際に、1591年(天正19年)命名されたものである。
中世の戦国時代、毛利氏の勢力は一気に拡大し、安芸国を中心に最盛期には、山陽・山陰十四か国(中国地方一帯)百四十数万石と九州の一部を領地とし、西日本最大の勢力を誇り、中央の織田信長の勢力と対峙した。
これらの実績により、毛利元就は今日でも広島を代表する人物として人気が高い。
関ヶ原の戦いで毛利輝元が、西軍の総大将として反徳川方についたため、全領土を没収された。
しかし支族吉川氏のとりなしにより、周防・長門(山口県)へ転封。輝元が長州藩の実質上の藩祖となる。輝元はわずか三十九万余石では膨大な人数を養う自信がなく、家来に「ついて来なくてもいい」と幾度も言ったが、みな聞かず。
家来はほぼ全員長門国に移った。
江戸時代の藩については備後国の福山藩、安芸国の広島藩、広島新田藩。また備後の家老浅野家の広島藩の支城三原城が置かれた。
広島県
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| 福山城【日本100名城】 福山城【福山市】 水野勝成が毛利氏など西日本の有力外様大名に対する抑えとして築いた城。一国一城令が徹底されていたこの時期としては異例の築城だった。城郭建築の最終形態とも言われている。 ![]() 遺構:伏見櫓・筋鉄御門・鐘楼、石垣 国の重要文化財:伏見櫓・筋鉄御門 復元建築:天守・月見櫓・御湯殿 城郭構造:輪郭式平山城 【データベース】 | |
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![]() | 亀居城 亀居城【大竹市】 関ケ原の戦いの後に、安芸国を与えられた福島正則が毛利氏への押さえとして築いた城。築城当時は海に面して港を備え、山陽道を城内に取り込む構造となっていた。広島城の支城としては、非常に巨大な堅城であった。 ![]() 遺構:天守台・曲輪・石垣・土塁・堀切・井戸 |
| 新高山城【続日本100名城】 新高山城(にいたかやまじょう)【三原市】 小早川隆景によって築かれた城で、1596年に三原城へ移るまでの45年間、小早川氏の本拠として使われた。三原城の築城および修築の際に石垣などを持ち去ったため、遺構はわずかに残るのみとなっている。 ![]() 遺構:石垣・堀・土塁 移築建築:市内の宗光寺に城門が移築現存 | |
![]() | 多治比猿掛城(たじひさるかけじょう) 多治比猿掛城【安芸高田市】 毛利元就の父である毛利弘元によって築かれた城。元就が青少年期を過ごした城として知られており、この城で毛利隆元や五龍局が生まれた。 遺構:曲輪・土塁・堀切・竪堀・畝状竪堀 |
![]() | 小倉山城(おぐらやまじょう) 小倉山城(おぐらやまじょう)【庄原市】 小倉山城は吉川経見によって築かれた城です。現在も多くの遺構が残っており、「吉川氏居館跡」として駿河丸城、日野山城、吉川元春館跡とともに国の史跡に指定されている。 遺構:曲輪・礎石・空堀 |
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![]() | 吉川元春館(きっかわもとはるやかた) 吉川元春館【北広島町】 吉川元春によって築かれた城館で、1582年に家督を譲った元春が翌年、隠居所として築いた。1591年に吉川広家が月山富田城へ転封となり廃城。 遺構:石垣・曲輪・礎石・土塁・空堀・庭園・井戸 復元建築:土塁・台所・付属屋(物品庫)・庭園 |









