府内城@大分県

2025年6月14日
朝イチの中津城から大分県大分市へと移動。
JR日豊本線特急ソニックで約1時間、12時30分頃に大分駅に到着です。
乗り心地も良く快適な旅です。
快晴の時はもっと海が綺麗に見えるはず。

大分駅を降りてアーケードを通って府内城に向かいます。
大分駅は凄く綺麗で、ゆっくりと見て周りたいのですが、本日は1人弾丸ツアーで今日中に東京に新幹線で戻るため、ひたすら府内城を目指します。
府内城は豊臣秀吉は家臣である福原直高を豊後守として築城を命令。
1597年に府内城を完成させました。
何度か城主が変わり、最終的には江戸幕府の譜代大名の石川忠総が城主となり、幕末まで納めます。
大分駅から歩いて15分〜20分程。

石川氏の時代に内堀、中堀、外堀を設けた近世の平城となります。
現在は内堀と石垣、復元と現存を含めた櫓や土塀が残ります。

府内城の大手門から入城します。
大手門よりも出た位置に二重の櫓があります。
ここからだと、着到櫓、大手門、宗門櫓、西之丸隅櫓を同時に見ることができるベストポジション。

着到櫓は大手門の前に、せり出して作られており、監視と大手門の防備の一つとして築造された櫓かなと思います。
空襲により消失してしまったので、鉄筋コンクリート造で復元されました。

大手門も復元されました。外観復元ですが当時の形はやや違っていたようです。
櫓門形式で本丸へと続く大事な通路を防備していました。

威圧と威厳を示す鏡石も鏡石も見ることができます。

大手門を抜けて振り返っての一枚。
大手門は小さな続櫓と接続しているのが裏から見ると分かります。
大手門の先には、西の丸へと繋がります。
当時は大手門を抜けると内内堀ががあり、本丸に行くには西之丸か東之丸をグルりと通過する必要がありました。
コンパクトながらも水堀を駆使した、防御性に優れた造りとなっていましたが、現在は内内堀は埋め立てられて広場となっています。

大手門から続く土塀と接続しているのは宗門櫓。
宗門櫓は貴重な現存櫓で、県指定文化財となっています。
扉が二つあり1/3は石垣の上、残りは地上から立ち上がっているのが珍しい。

内堀から見た宗門櫓。
外からは完全に平櫓にしか見えません。
外部からは一重、内部からは二重の不思議な櫓です。

本丸の天守台。
1602年に四重四階の高さ16mの天守が築かれました。
しかし、1743年に大火災で焼失。
以降は再建されることなく現在に至るまで天守台が残ります。

大きめの石を使った、加工をしていない自然石を生かした野面積み。
ゴツゴツとした無骨な感じが良いですね。

天守台の上には階段から登ることができます。
かなり急な階段です。

天守台上から見た櫓台石垣。
石垣の先には二重の櫓がありました。
二重櫓と天守は渡櫓で接続され、連結型天守を想像させる石垣の形です。

天守台上から見た人質櫓。
人質櫓も現存の二重櫓で、県指定重要文化財。
人質場と呼ばれる本丸から突き出した曲輪に建つ櫓です。

天守と接続する二重櫓の櫓台石垣。
奥には人質櫓が見えます。
この場所には人柱の逸話も残っていますが、長くなるので今回は割愛させて頂きます。

芸術的な本丸二重櫓台の石垣と、人質櫓のアップ。
この写真がお気に入り。

西之丸と北之丸を繋ぐのは廊下橋。
北之丸にな現在松栄神社が鎮座。
廊下橋は敵が攻めてきた際には、床を外して侵入を防ぐというハイブリッドな役割もありました。

内堀から廊下橋を撮影。
右手には二階建ての櫓がありましたが、現在は石垣のみが残ります。
廊下橋があるのと無いのとでは全く雰囲気が異なるので、復元に感謝です!

北之丸跡、現在の松栄神社が撮影した人質櫓と内堀。
府内城で一番迫力ある石垣は、ここからのショットかな。奥には天守台見えます。

人質櫓前からのショット。
人質櫓は負傷中なのか、シートで一部が覆われています。

本丸東側の石垣はコンパクトにした大阪城のように、屏風折れの石垣を見ることができます。
その先には東之丸の復元された二重櫓があります。

手前側が本丸の石垣で奥は東之丸の石垣。
本丸の石垣は鋭角にクランクしていて、角には菱櫓と扇櫓という平櫓が上がっていました。

内堀の対岸には本来は細長い帯曲輪が内堀を囲むように造られており、さらにその外側にも水堀がありました。
現在は埋め立てられています。

東之丸南側には復元された二重櫓があります。
当時は平櫓で、奥にある張り出した櫓台には三重の櫓が上がっていました。

南側の水堀沿いを歩き、再び西之丸の角にある西之丸角櫓に戻ってきました。
奥には宗門櫓と大手門、着到櫓が綺麗に見ることができます。
左側は土塀の修復工事中のため、足場が組まれて見らことができませんでした。
日本100名城スタンプは大手門にあるのですが、御城印は近くのセブンイレブンで販売中。
セブンイレブンの前には藩校跡もありました。
1945年の7月16日と8月1日の空襲によって、大分市街地の大部分が消失し、府内城も甚大な被害を受けました。
これからの時代、幾つもの出来事を乗り越えた貴重な遺産を守っていくのは、我々のミッションだと改めて感じました。
初めての大分の電車の旅は弾丸でしたが楽しむことができましたが、府内城の近くにはまだまだ魅力的な城があります。
またいつの日か、大分県を巡る旅を必ず計画したいと思います。