徳川御三家の城

徳川御三家とは

御三家はいずれも江戸幕府初代将軍徳川家康の男子を始祖とし、家康の血を引く親藩(一門)の最高位にあり、将軍家や御三卿とともに徳川姓を名乗ることや三つ葉葵の家紋使用が許された別格の大名家であった。

将軍家を補佐する役目にあったとも言われているが、制度・役職として定められたものではない。

なお、室町幕府においても「御一家」と称された吉良氏・石橋氏・渋川氏の3氏は、具体的な職掌はないものの足利将軍家の後嗣が絶えた時に継承する権利を有しており、御三家はこれを参考にして設けられたとする見方もある。

徳川御三家の領地と城

◼︎尾張徳川家【尾張藩】

初代藩主:徳川義直(徳川家康の9男)

石高:62万石

居城:名古屋城

1615年(慶長20)、徳川家康によって建てられた名古屋城。 黄金の鯱を頂き、史上最大の延床面積を誇った大天守、絢爛豪華な本丸御殿、さらに鉄壁の守りを固めた要塞としての機能を備え、城郭として国宝第一号に指定された名城。

戦災で焼失後も、国内屈指の城郭として国の特別史跡に指定され、天守や本丸御殿が復元。

名古屋城データベース


◼︎紀州徳川家【紀伊藩】

初代藩主:徳川頼宣(徳川家康の10男)

石高:55万5千石

居城:和歌山城

豊臣秀吉が弟の豊臣秀長に命じて築城させ、浅野幸長(あさのよしなが)が改築。

1619年(元和5年)に徳川家康の10男・徳川頼宣(とくがわよりのぶ)が入城して以来、紀州徳川家の居城として長い歴史を刻む。

天守閣は和歌山大空襲で焼失。市民の熱い要望で1958年(昭和33年)に、鉄筋コンクリートで再建。


◼︎水戸徳川家【水戸藩】

初代藩主:徳川頼房(徳川家康の11男)

石高:35万石

居城:水戸城

水戸城は日本最大級の土造りの城で平安時代末期に馬場氏が築城し、佐竹氏、そして1609年に徳川頼房が入城して以来、水戸徳川家の居城となる。

城には天守がなく、石垣も用いず土塁と堀で構成された堅固な構造が特徴です。

現在は一部の土塁や堀が史跡として残り、復元された大手門や二の丸角櫓、そして国指定特別史跡の弘道館などが見学できる。