【兵庫県】姫路城(再訪)

CASTLE DATA FILE.08
登城日:2024年3月3日
交通手段:山陽本線「姫路駅」徒歩15分
ステータス:日本100名城・国指定特別史跡・国宝・世界遺産
ジャンル:渦郭式 平山城
遺構:天守・櫓・門・塀・石垣・堀・土塁
復元建築:ー
スタンプ:2023年9月22日に押印済み
御城印:2023年9月22日に購入済み
前回訪城:2023年9月22日
未攻略だった西の丸エリア&姫路城NO1の高石垣を攻める
昨年2023年9月以来の姫路城に再訪城。
姫路城は世界文化遺産で国宝。日本が世界に誇るKing of castleです。
前回訪問してから幾つもの城を訪問したことで、改めて姫路城の凄さを実感できると思い、また前回は時間の都合上周りきれなかった場所を見たいと思い訪問することにしました。
今回は一人で訪問したので、じっくり自分のペースで周ります。
朝6時に家を出て、姫路の到着が11時頃。駅を出ると直線的に姫路城の天守が見えます。

この堂々とした出立ち。
この景色を見るだけで痺れます。
姫路城は城下町も城に取り込んだ惣構えだったので、姫路駅あたりまで城となっていました。

はやる気持ちを抑え、歩いて城郭を目指すと長く伸びた土塁が現れます。

街に溶け込んで、こんなに立派な石垣も残っています。

この土塁は姫路城の中豪跡で目の前を通る大通りは、中豪を埋めて造られました。
惣構えの片鱗を見ることができるので、駅から歩いても全く苦ではないですね。
駅から歩いて15分ほどで姫路城の内堀に到着。

美しい白亜の天守。桜門橋を渡って入城です。

姫路城は特別史跡で、国宝、世界遺産と、歴史的・文化的価値の称号を全て手にしている城郭です。

内堀もとても綺麗に残っています。
この水堀が姫路城全体を囲んでいて、防御を強化していますが、平和な現代では美しい景観を与えてくれます。
大手門から入城します。

大手門を抜けると巨大な広場に出ます。
この広場は姫路城の三の丸跡。
そして、何よりもこの大天守を始めとする、小天守や櫓など城全体の迫力が凄まじい。

三の丸跡左手には西の丸が見えます。
西の丸だけでも十分貴重な城跡。
前回は時間の都合上、西の丸に行けなかったので、今回はマストです。

券売機付近からのショット。
正面からの姫路城も素晴らしいですが、少し斜めの大天守と手前のリの一渡櫓、土塀がハッキリと見えるこの角度も素晴らしい。

主郭部に向かう最初の門は菱の門。
巨大な櫓門ですが、寺院などで使用されている華頭窓などの装飾もされており、威厳と華やかさを備えた門。
城内最大の門で、おそらくこんなに綺麗な門は現存も復元も含めて他にないかもしれません。

菱の門を裏から撮った一枚。
門とは思えないほど立派な建築物。菱の門は国の重要文化財に指定されています。

菱の門脇の土塀裏。
菱の門は枡形虎口になっていて、敵が攻めてきて際に門前を囲んだこの土塀から十字放火します。
昨年菱の門が特別公開されていました。
姫路城は天守に目が行きがちですが、隅々まで貴重な遺構だらけです。

菱の門を抜け、右手には三国堀。
ここからは大天守と、左の乾小天守、右の西小天守の天守群が綺麗に見えます。
大天守も横から見ると全く違う姿に見えます。
もし敵であれば、攻める気が無くなるほど威圧感がすごいです。

菱の門を抜けるとすぐに いの門が現れます。
菱の門と、いの門の間にも巨大な空間があり、もし菱の門を突破されても再びこのエリアの枡形で迎撃することができます。
枡形の巨大な空間からキュッと絞り込まれたいの門を通過するには、大軍勢も足止めされるので一網打尽は間違い無いです。

いの門脇の石垣。
多角ではなくアーチを描いてカーブした芸術的な石垣。

姫路城を現代の姿に改築したのは池田輝政なので、いの門の屋根瓦には池田家の家紋、揚羽蝶が刻印されています。

いの門を通過すると90度折れ曲がり、敵はここでも侵攻のスピードを落とすことになります。

石垣上の狭間から見た いの門。
こうして銃や弓矢で狙います。

いの門から90度折れ曲がると左手は西の丸入り口、右手は天守閣に通じます。
まずは天守方面へ向かいます。

将軍坂。ドラマや映画の撮影でも使われるスポット。
左手には石垣、右手にも高めの土塀がある為周りの景色が全く見えず、かなり圧迫感があります。
さらに極度に狭められた通路なので、数万の軍勢が攻めてきても、ここでは一列か二列でしか進軍することができません。
そんな状態の敵兵を石垣上にある土塀の狭間から狙います。
ここまできたら後ろに下がることもできないので、前に進むしかありません。

こちらは はの門。
見るからに堅牢な城門です。

はの門内が階段になって、登り切るとすぐにまた90度折れ曲がります。石垣の中を通過していくイメージ。

はの門を抜けると巨大な石垣と土塀、石落としが現れます。
奥には天守群が見えますが、まだ先です。
石落とし下の石垣、上部だけグッと外側に張り出しているのが分かります。
石垣沿いを進むと今度は180度折り返して先に進みます。

さらに180度折り返して、近づいたはずの天守を背にして、先ほど見上げていた石垣の上を通過します。
ここも極度に絞られた通路になっていて、先には にの門が現れます。

にの門は石垣の中を通過します。
天井も低くて圧迫感があります。
これも敵を阻む仕掛けで、これだけ天井が低いと長い槍をもった兵は進むことができません。

にの門裏からのショット。
にの門内部で90度に折れ曲がり、階段を上がります。
出口は大人の頭が当たるほど低いです。
まるで迷路のように、姫路城は何度も曲がったり折り返したりを繰り返します。

やっと天守群が近づいてきました。
下から見上げるとより一層、迫力ある天守群ですが、写真の天守は三層の乾小天守なので、大天守はさらに奥にあります。
小天守なのにこの迫力!

続いて見えてくるのは ほの門。
かなり頭上が低く、大人はかがんで通過する必要があります。

石垣で両脇は完全に防備され、どれだけ大群が押し寄せても、通過できるのはこの小さなスペースのみです。

ほの門を抜けると180度折り返して、水二門を抜けます。
姫路城といえば白漆喰の壁が印象強いですが、ここの土壁だけは白漆喰ではありません。
この壁は油壁と称され、貴重な豊臣秀吉が築城した際の土壁。
実は姫路城を近世城郭にしたのは豊臣秀吉で、大阪城完成の前は姫路城にいました。
その後、池田輝政が現在の姫路城の姿に改築。

前回入城した時は至る所で修理がされていました。
瓦の目地に塗られた漆喰も新しいものと思われます。
姫路城は城壁や屋根瓦も白く見えるので、別名白鷺城と呼ばれています。
これはデザイン性だけではなく、瓦からの漏水で建築物の劣化を防ぐ為に漆喰で隙間を埋めています。
建築物において、水閉まいは現代も昔も課題なのは変わりません。

水二門の軒丸瓦には池田家の揚羽蝶と桐紋、菊花紋章などを同時に見ることができます。
格式高い家紋が並ぶので、当時の姫城の位置付けが何となく浮かび上がってきます。

続いて水の三門。

水の三門を抜けて見上げると天守群が建ち並び、完全に狙われています。
もちろん角には石落としもあり、完全なる防御機能を備えています。

天守入口に向かう最後の門となる水の四門。
どこまでも厳重な造り。それが姫路城の魅力!
そして忘れてはいけないのが、見たもの全ての建築物が江戸時代より前に造られた現存建築という点。
ここまで現存建築が残っている城は、全国で他にありません。

水の四門を抜けた瞬間、一気に景色が広がり圧巻の高層建築が目の前に現れます!

水の四門も石垣の中を通る埋門形式。

西小天守と大天守を繋ぐ渡櫓の下から入城します。
この天守直結の門は、水の五門。
この角度から見て分かる通り、大天守の一層目は石垣の上です。
姫路城の大天守は5層7階で地下1階の構造です。

門を抜けると石垣の中。
石垣の中を歩いているようで、探検している気分です。

姫路城は連立式で写真の通り、天守群と渡櫓で囲んだ構造。
中間部が吹き抜けになっています。

水の五門からクランクして水の六門となり、やっと天守内部です。
石垣に立てかけるように建てられた柱が特徴。

こちらは地下。
かなり暗いですね。外観から見るとここは石垣の中ということになります。
写真の大柱は、この大天守を支えるファクターとなります。

写真では分かりづらいですが、敷居の大きさも見たことがないほど巨大!

当然、鴨居も巨大。
普通の城の梁くらい太い木材を加工しています。

姫路城は日本で12城しか残っていない、貴重な現存天守です。
1609年に大天守は完成しました。
平成に大天守の保存修理工事を行い現在に至ります。

これだけの建築物が現代でも残っていることは奇跡です。

東大柱と西大柱は高さ24.6m。地階から6階まで伸びています。
老朽によって姫路城を支えきれなくなっていたこの柱を昭和の大修理で新しく建てられました。
歴史的建築物は当時と全く同じ技術で修理するのが難しいところ。

隣の柱と比べて、その大きさが伝わると思います。
およそ、幅95cmの大柱。
建て替えの際、この大きさの木材がなかなか見つからなくて難航したそうです。
日本中を探し回って、樹齢760年の樹木と樹齢670年の樹木を見つけて当時と同じ工法で、3階で継ぎ合わせています。

西大柱と東大柱。
姫路城の天守という巨大建築物を支えている2本の柱は、まさに大黒柱です。
建築物とは職人の技術の結晶です。

左側には破風の内側、右には石打棚があり、兵が登って応戦する台となります。

手前が西大柱、奥は東大柱。
5階から6階へ。
並行する二つの階段。天守に階段がふたつ存在すること自体が珍しいことで、姫路城の天守の大きさを象徴する造りです。

外部の大きな入母屋の箇所は踊り場となっています。

最上階のみ天井があり、書院造りになっています。

天守から見た備前丸、二の丸、三の丸。

帰りのルートの2階は展示物が多く飾られています。

姫路城内部には武器掛けが多く設置されて銃や槍を保管しています。
天守は殿様が住んでいるとイメージされがちですが、天守の役割は武器庫だったり籠城戦の最後の砦でした。
姫路城を見ると軍事施設に相応しい建物なのがよく分かります。
ちなみに、天守に住んでいたとされる武将は織田信長のみ。
織田信長は安土城の最上階に住んでいました。

連立式の天守群。
自然災害も多い日本。地震で倒壊したり落雷で焼失した城も数多く存在します。
その他、一国一城令・廃城令・世界大戦で日本の城の殆どが姿を消しました。
これだけの苦難を越えて姫路城が現存していることは本当に奇跡です。

第二次世界大戦で空襲の標的にならないよう、黒に擬装した写真も記載されています。
姫路市は空襲に遭い、街は焼け野原となりました。
陸軍が駐屯していた姫路城も当然狙われましたが、不発弾だった為に戦火を免れました。
姫路城だけが残った街の写真もあり感慨深いものがありました。

昭和の大修理の記録が天守内にあります。

ロの渡櫓はやはり迫力があります。
天守を出て再び姫城の外から楽しみます。

天守下の備前丸からのショット。

備前丸正面からのショット。
池田輝政時代は備前丸に池田輝政の御殿などがあったようですが、本多忠政時代には御殿は三の丸に移動されました。

遠くから見ても近くで見ても威圧感が凄いです。
天守台の石垣は15m。天守と合わせると46.5mもあります。
天守自体が地上から45mの高さの丘のような山の上に築かれているので、地上から90m以上の高さとなります。

帰りは備前門から退城します。

備前門を抜けて振り返ってのショット。
雲がでてきて天気が怪しくなってきました。

門の脇には巨石があり、綺麗な長方形に加工されています。
この石は転用石で、近辺の古墳を破壊して石棺を転用したと見られています。

備前丸の石垣。

備前門と次の りの門までの石垣の中に、長方形の石材が確認でき、おそらく転用石と思われます。
こういった発見は宝を掘り当てた感じで楽しみ方の一つです。

天守下の備前丸と二の丸の道を仕切るのが、りの門。

二の丸から見た りの門。
クランクして門脇を櫓で防備を固めています。

二の丸から見た備前丸の石垣。

二の丸から見た天守。
中央には井戸跡があります。

二の丸跡にはリの一渡櫓があります。
内部は大名行列などの資料館となっています。ここは以前行ったので、内部観覧は今回はしませんでした。

二の丸から見た、西の丸。これも全て現存建築です。

リの一渡櫓下をくぐり抜ける ぬの門。
ぬの門前も枡形で菱の門に次ぐ立派な城門のように思えます。

ぬの門前には姫路城の魅力の一つ、扇の勾配石垣が現れます。

緩やかな勾配から上部はほぼ垂直にそそり立ちます。
隅は加工した石材を使用した算木積み。
大きな長方形の石材を交互に積み上げることで、上からの荷重を分散できるので高い石垣を積むことが可能となりました。
これも時代によって進化した我が国の技術です。

扇の石垣と ぬの門。
観光客で溢れている姫路城でこのショットを撮るのは至難の業です。
人がいなくなるのを、ずーっと待ち続ける必要があります。

そして再び いの門前のアーチ状の石垣前に出てきます。
やはりこの石垣は芸術的。
これで主郭部は周りました。
見どころ満載で、何度訪れても新しい発見がある城だと思います。
しかし、今日はここで終わりません。

続いて西の丸にやってきました。
前回、西の丸を見る時間が無かった為、今回の目的の一つでした。
徳川家康の息子、徳川秀忠の娘である千姫は豊臣秀頼の正室でしたが、大坂の陣で豊臣家は滅亡。その後、本多忠刻の正室となり姫路城にやってきます。
その際に将軍家から送られた10万石の化粧料の一部を使って建設されたのが、化粧櫓を含む西の丸エリア。

天守最上階からの西の丸。
二重の櫓と続櫓が何度も折れ曲がって連なっているのが上から見ると分かります。

端部の化粧櫓は千姫が、姫路城近くにある千姫天満宮を遥拝する際に休息したとされる櫓。

135度くらいに折れ曲がった続櫓。
西の丸長局と称され、トータル240mの非常に横に長い建築物。
巨大な天守群に目が行きがちですが、西の丸だけでも見どころが多いです。

西の丸から見た天守群。
もう美しすぎて、言葉は必要ないレベル。

西の丸長局にも入ることができ、端部のワの櫓から階段を登ると百軒廊下に繋がります。

折れ曲がった廊下。

城で240mの幅をもつ現存建築物は他では見ることができません。

ヲの櫓から見た一枚。から見た西の丸長局。折点にルの櫓。

どこまでも続く渡櫓。

長局は右側が部屋になっており、千姫をお世話する女中達の部屋になっていたようです。
千姫が江戸に引っ越して以降は確か倉庫になったと書いてあったと思います。

化粧櫓内部。
化粧櫓は二重で二階室内は畳敷で間仕切りには襖を利用。
完全に住宅様式の設計になっています。

奥には千姫の着物の復元が展示されていました。
江戸時代が終わり、明治期に入ると陸軍が姫路城に駐屯しました。しかし、西の丸は完全に放置されて、倒壊しかけていた写真が残っています。

化粧櫓からのショット。
この壮大な景色を千姫も昔、見ていたことでしょう。

西の丸を下から眺めたショット。
西の丸に行く方は多くいますが、下から眺める人は意外と少ないのではないでしょうか。
右側はカの櫓、左側はワの櫓。櫓間を土塀で繋いでいます。
エグいほど石落としと狭間があり、千姫や女中達の生活する曲輪と言えど、外部から見上げると軍事施設感が満載です。

三の丸まで戻り、姫路城東側へ移動します。
観光で姫路に来た海外の方、ツアーの方など常に人で賑わう姫路城ですが、おそらく東側も観覧する人は少ないと思われます。

今回は絶対にこの東側を見たいと思っていました。
姫路城は総石垣の城ですが、この帯の櫓の石垣は高さ23.3m!
姫路城で一番高い石垣。
西の丸と高石垣を前回見なかったことを激しく後悔していたので、今回はコンプリート。

石垣が高いだけでなく、石垣の上部両端が反り上がっています。
櫓の屋根の反り返りと石垣の反り返りが重なり、芸術的な見栄えになっています。

最後は城郭東側と、四門後からのショット。
どこから見ても姫路城は美しい。水堀の周りを歩いて今回は終了です。

帰りは大手門前の売店で、姫路おでんを食べました。
姫路城大天守を眺めながらの食事は格別です。
建築物は生き物。寿命が必ず来ます。
400年前と同じ工法で新しく生まれ変わり、新しい命が吹き込まれる。
姫路城という建築物を残し生かす為に、数えきれないほどの職人や関係者が今までに命を注ぎ込んだと思います。
そして今があり、未来に引き継がれていく。
二回目の登城でしたが、改めて思うのはこれだけの大城郭を現代まで保存してきた関係者の方達に感謝しかありません。
姫路城があるということは我が国の誇りであると実感。次来た時はまた違った発見があると思います。
その時を楽しみにしています。










