広島城【再訪】@広島県

2025年9月6日

今年3月以来の広島城。

前回訪問した際は、不覚にも足を捻挫しており杖をついての訪城でした。

広大な広島城を捻挫した足では周り切ることができず、とても心残りでした。

前回は天気が曇りでしたが、今回は快晴で天気にも恵まれました。

広島城は日本三大平城の一つに数えられており、とにかく巨大です。

今回は二の丸側から水堀の周りを歩いて、裏御門から入城します。

二の丸には復元された、表御門、平櫓、多聞櫓、太鼓櫓があります。

太鼓櫓側からのショット。

奥にはサンフレッチェ広島のスタジアムも見えます。

広島城は広大な本丸を内堀で囲み、三の丸は内堀の外側にあります。

そして、二の丸は内堀の中に浮いており、馬出の役割をしていました。

左側が二の丸で、右側は本丸。

馬出は重要が虎口(門)を守るために、兵を駐屯したり応戦するための施設です。

前回の投稿の際に使用した上空写真。

二の丸は本丸からの完全に分離しており、堀の中に浮いています。そして、その先の本丸に続く道を防御しているのが分かります。

本丸の石垣。

かつての広島城は櫓が88基もあったと言われ、国内最大級の巨大城郭でした。

そして、他では天守台並みの大きさはありそうな櫓台も多く見ることができます。

本丸だけでも、相当数の櫓台石垣が残っています。

裏御門の石垣。

当時はこの石垣の上に櫓門形式の門がありました。

本丸内部からみた裏御門。

前回周ることのできなかった、本丸内の堀沿いを歩きます。

本丸北東側の石垣。

広島城は毛利輝元が築城、その後福島正則、浅野氏が納めました。

加工された石材で積まれたこの石垣は福島正則時代のものと思われます。

本丸北東の石垣は端部が崩れています。

福島正則は広島城を無断で修復したことで、咎められた際に、自ら取り壊したとされています。

その後、福島正則は改易となり浅野氏が幕末まで広島城の城主となります。

東小天守の石垣。

広島城は連結式の天守で、東と南に小天守が建っており、大天守と連結していました。

現在は大天守のみが復元。

大天守の東側天守台石垣。

自然石を使って無骨さを感じる野面積み。

石垣城郭の初期に近い積み方。天守台は毛利氏時代の石垣。

現在は、天守台の手前までしか入ることができません。

南小天守の石垣。

明治初期まで小天守は存在していたことが明らかになっているので、小天守の貴重な情報が発見され、復元されることを願っています。

続いて、中御門跡。

二の丸から橋を渡って中御門を抜けると本丸になります。

今回は本丸からの二の丸へと向かいます。

中御門の石垣は赤く変色しています。

これは、原爆による被曝時の火災の熱によって石材も赤く変色し、ひび割れています。

二の丸側からの中御門跡。

どれだけ大軍が攻めてきても、この細い橋を渡らなければ本丸へと進むことはできません。

そして、中御門にも櫓門形式の堅牢な門が設置されていました。

右側が二の丸。左側が本丸。

二の丸と本丸は水堀で、完全に分断されています。

二の丸には表御門が復元されています。

脇に接続された平櫓と多聞櫓と太鼓櫓も復元され、中に入ることができます。

二の丸は毛利氏の時代から福島氏の時代に造られたと考えられています。

多聞櫓の内部。

二の丸の復元建築物は木造で復元されています。

多聞櫓は明治初期に半分が取り壊され、もう半分は原爆被曝で倒壊炎上しました。

平櫓の内部。元々、接続された表御門の監視の役割があり、畳敷になっているのが珍しい。

太鼓櫓から見た多聞櫓と平櫓。

多聞櫓は67mあります。

本丸を囲む内堀。西南側の内堀の幅は104.4mと巨大!

しかし、当時は中堀と外堀もあったので、さらに大きな城郭でした。

現在は内堀のみが残りますが、内堀の周りを歩くだけでも

前日の夕方に内堀の外側から撮った広島城の天守。

月も見え素晴らしい写真です。

位置は天守の北西側。

前回は足が痛すぎて、堀の外から写真を撮ることができなかったのですが、この写真を撮りたくて再訪問しました。

こちらは天守の南西側。

美しいの一言。

広島城の周りには木が生い茂っているため、本丸からだと天守があまり見えません。

堀の周りからのショットが一番天守がカッコよく見えます。

天守北東からのショット。夕暮れのシルエットが絶妙。

夜になり、ライトアップの天守。

白く浮かび上がった漆喰と下見板がいい感じのコントラスト。

天守を斜めから見ると、均整の取れた破風を見ることができます。

天守北側からのショット。

月夜に照らされた広島城天守。

ライトアップも見ることができて大満足です。

300枚くらい写真を撮り続けました。

広島城は昭和6年に国宝に指定されました。

しかし、昭和20年に原爆の衝撃波に耐えきれなかった天守は倒壊。

現在の天守は昭和33年に鉄筋コンクリート造で復元されました。

再建から62年が過ぎ、耐震診断によって地震の振動、衝撃で倒壊の危険性があると診断され、来年には解体されます。

現在、木造での復元が計画されています。

しばらく、この景色も見ることができなくなるので、今回の訪問は大きな意味を持っていました。

ホテルに帰る途中、二の丸の表御門からのショット。

快晴だったので、月も綺麗です。

素晴らしい旅となりました。