【宮城県】岩切城

CASTLE DATA FILE.23
登城日:2023年12月2日
交通手段:利府城から自転車で30分程度
ステータス:国指定史跡
ジャンル:山城
遺構:曲輪・空堀・堀切
スタンプ:ー
御城印:「奥州王」ネットショッピングで購入

奥州の覇権が揺れた!留守政景が居城とした岩切城。

午前中に利府城に登城し、自転車で岩切城に移動。
本日はローカルな城を攻めていきます。

岩切城は仙台市宮城野区にある城ですが、仙台市と利府町の境にある城で、現在は県民の森として整備されています。
岩切城は国の史跡に指定されています。宮城県ではかなり貴重な城跡です。

歴史としては、鎌倉時代に陸奥国の留守職に任命された伊沢氏(のちの留守氏)によって築かれました。以後、戦国時代まで約400年にわたり留守氏の本拠地として栄えました。有名なのは伊達氏から留守氏養子として入った留守政景(伊達政景)。

留守政景は伊達政宗の叔父にあたります。

JR岩切駅方面から岩切城に向かいます。
完全な峠道で意外と車も多く走っています。

岩盤を切り裂いたような道が続きます。

まるで岩の壁です。
よく観察したいのですが、車が多いので怖くて長く停車するのは危険です。

登城口までの道が既に迫力あります。

利府城からはゆっくり自転車で走って40分程。
車なら15分程度で到着できると思います。

本丸跡は現在、公園となっているので道中はアスファルトで整備されています。

ちょうど紅葉の時期とハマり、紅葉が綺麗に色付いています。
左側には曲輪群が連なります。

振り返っての一枚。
右側が曲輪群で左側は急な崖になっています。

左側には見どころポイントとなる堀切があります。

東日本大震災で、この辺りは崩れてしまったらしいので、形は少し変わっているかもしれませんが、綺麗に整備されています。

堀切とは山の尾根を切り落とすことで、防御機能を高める中世の山城では定番で、堀切を発見するとテンションが上がります。

堀切から曲輪群に登ってみます。
左側は一段高い場所に細長い曲輪があり、右側にはさらに堀切となっています。

下には腰曲輪のように高い方の曲輪を囲んでいます。

曲輪の先端。舌状のように突き出しており、見晴らしが良好。さらに、辿ってきた道を見渡せるので、物見櫓などあったのでしょうか。防御機能もかなり高いように思えます。

先端から振り返り、一段高くなっている曲輪は主郭。堀切で分断されているため直接主郭に行くことできません。

一度曲輪群から降り、登ってきた道に戻ります。
右側が登ってきた道。90度周り込むように道が曲がり、中間は谷のようになって下まで続いています。

さらに整備された道を進むと、主郭に到着です。
曲輪が右側と左側に分かれており、右側は雛壇のように段になった曲輪が広がります。

岩切城は現在、宮城県では有名な花見スポットになっています。
紅葉の季節も素晴らしいですが、きっと春も魅力的だと思います。

細長く段になっているので、航空母艦みたいな感じです。

先端が突き出しており、見晴らしが凄く良いです。

こちらからは多賀城や利府城の景色を楽しむことができます。
留守政景が岩切城を居城としている時には、利府城は村上氏が居城としていました。

伊達派の留守政景と、代々留守家を支えてきた村上氏は対立して戦になりました。

勝利した留守政景は利府城に移るのですが、この岩切城から見える利府城を見ると、距離感や広がる平野や地形を見て当時の状況を妄想せずにはいられません。

分岐の左側はこの山の山頂部で、標高は106mです。山頂なので主郭になると思われます。

こちらもかなり広めの曲輪で、ひょうたんように真ん中が少しキュッと絞って先端はまた広がっています。

先端には少し張り出したスペースがあります。
やはりこちらも下の道を見渡せるので、物見の役割を果たしていた可能性があります。

主郭から見た、曲輪群。
この下にある堀切を撮影したかったのですが、草が多くて上手く撮ることができず。

山頂から見る景色は絶景。
カメラをズームにすると仙台港が一望。太平洋の雄大な海が見えます。

仙台市内もハッキリ見えます。
一番高いビルは仙台駅近くのトラストタワー。

その背後に見える山々は伊達政宗の居城、仙台城がある青葉山になります。

岩切城の廃城年が1570年か1573年頃とされています。

伊達政宗はまだ米沢城にいて、1577年に父の伊達輝宗から家督を譲られ伊達家17代当主になっているので、まだ伊達家当主にもなっていない時代です。

景色を存分に楽しみながら、持参したおにぎりを食べて下山しました。

改めて登城口から見た岩切城。
谷になっているので、そびえるように主郭があります。
岩切城はまだまだ広い城郭なのですが、全て周ることができませんでした。また改めて訪城したいと思います。

1351年、足利幕府の内紛に端を発し、岩切城は東北を二分する大きな戦いの舞台となりました。尊氏方の畠山氏らが岩切城に籠城しましたが、激戦の末に落城。100名以上が自害したと伝えられる、東北の中世史において非常に重要な城です。

一国一城令や廃城令、世界大戦の空襲によって、日本の城は多くを失ってしまいました。
建築物だけでなく、堀なども徹底的に破壊された城もあります。

しかし、廃城によって歴史の表舞台から姿を消したことによって、遺構がそのまま多く残っているケースもあるのかもしれないと感じました。

元の姿は分からないのですが、震災で壊れた遺構も上手く整備されているように思えました。