【長野県】小諸城

CASTLE DATA FILE.30
登城日:2024年1月2日
交通手段:車 小諸ICより車で8分(有料駐車場あり)
ステータス:日本100名城・国指定史跡
ジャンル:平山城
遺構:城門・天守台・石垣・空堀
国の重要文化財:大手門・三之門
スタンプ:城内の懐古園事務所内にて押印
御城印:本丸の懐古神社で購入

戦国時代も江戸時代も重要な拠点として防備を固めた城

年が明け2024年、おそらく激動の一年が始まることでしょう。石川県の能登地震で被災された地域の方々の無事を祈り、一日も早い復興を願っております。

昨年2023年7月から始めた城めぐりは今年も継続。新年最初の城めぐりは、長野県小諸市にある小諸城からスタートすることになりました。

個人的に小諸市自体、あまり馴染みがなかったので地図でチェックしてから車で向かいます。
ちょうど長野市と群馬県高崎市の中間くらいでしょうか。電車の場合は信濃鉄道「小諸駅」の目の前に城跡があります。
小諸ICからも近いのでアクセスが良く、駐車場も多いので大変便利な城です。

小諸城は日本100名城に選定されている名城。

最初に向かったのは大手門。
大手門は小諸駅北口にあります。本丸や二の丸のある曲輪と大手門を付随する三の丸は、しなの鉄道の線路が貫通しているため分断されています。

こちらは大手門公園として独立した広場となっています。
完全に街の一部に溶け込んでいて、市民の為の広場となっています。

ゆったりとした時間の流れがとても心地良いです。
大手門脇の石垣は展望できる場所となっています。公園となっている広場は、当時三の丸がありました。

肝心の大手門は迫力満点の櫓門形式。国の重要文化財に指定されています

慶長17年(1612年)に仙石秀久によって建造された門で、当時は瓦葺は珍しかったらしく瓦門とも呼ばれていました。

鏡柱も巨大で、城の玄関口として申し分のない威厳さを備えながらも華麗な外観。
書院造のテイストが入っていて、内部は畳張りの居間になっているようです。
普通は天守や櫓も含めて、城の建築物は木の板で床を構成することが多いので、かなり珍しい櫓門といえます。

今回は中に入れませんでしたが、限られた日に内部公開され観覧することもできるようです。

表口の城門は城の顔なので個人的には一番好きです。

ちなみに小諸城の大手門。他の城と比べて何か違和感にお気付きでしょうか。
よく見ると小諸城は門と石垣が独立しており、さらに櫓門よりも脇の石垣の方が高いという不思議な造りをしています。

江戸城の外桜田門。
比べると違いがハッキリ分かります。
小諸城は城下町よりも城郭が低いところに造られた穴城であり、日本で唯一の造りをしています。

主郭部を守るのは国の重要文化財三の門」

分断された三の丸と主郭のある二の丸は、線路の下を潜り抜けて接続されています。

その先にあるのは三の門。こちらは石垣の上に土塀を建て、その土塀と櫓門が接続しています。
ちなみに、門に掲げられた懐古園と書かれた文字は16代徳川家当主の徳川家達公の筆らしいです。

三の門を内側から見たショット。城門でありながら、どこか古風な感じがかっこいいです。

チケット売り場の脇を通って本丸に向かいます。
立派な石垣がお出迎えします。他の城よりも一つ一つの石材が大きいので、迫力があります。

振り返っての一枚。
堅固な石垣と三の門のコラボショットがカッコいいです。

坂を登り切るとニの門跡があり、石垣で造られた虎口になっています。
この二の門跡の石垣にどんな建築物が建っていたのか、当時の様子がすごく気になります。

二の門跡を抜けるとすぐに二の丸の入口と枡形になっています。

二の丸入口。階段を上がると二の丸になります。

階段の脇には大きな鏡石があります。

二の丸跡は見晴らしが良く、三の丸方面から侵入する敵を見渡すことができます。

第二次上田合戦時に、徳川秀忠率いる徳川本陣はこの二の丸に置かれました。そして上田城を舞台に、戦国史上でも歴史に残る戦いが勃発します。

二の丸から見た二の門跡。
上から見下ろすことが無いので、この角度から見れるのはレアかも。上から見る二の門跡も美しいです。

二の門跡から本丸方面に直進すると、左手に南の丸が現れます。

南の丸は少し高めに置かれています。

一方、右手には北の丸があります。
北の丸は現在、弓道場になっています。

防御機能性を兼ね備えた曲輪が、綺麗に配置されています。

黒門橋を渡ると本丸へと続きます。

二の丸と本丸は完全に分断されていて、本丸に入るには黒門橋を渡るしかありません。容易に攻め込むことができないようになっています。

黒門橋の下は地形を削り落としたような、大迫力で巨大な堀切になっています。
下から攻略することも不可能とすると、やはり本丸を攻めるには黒門橋を渡るしか無いようです。
しかし、数千数万の軍勢がこの橋に集結したら、一気に攻撃を受けて甚大な被害は免れないですね。

いよいよ本丸主郭となる本丸へ

黒門橋を渡ると、本丸を目の前にして最後の虎口となる黒門跡が現れます。

いよいよ本丸跡です。

本丸も一段上がっていて、直線的に三の丸→二の丸→本丸と段になった連郭式の城郭なのが分かります。

本丸跡は現在、懐古神社となっています。
こちらで御城印を購入することができます。神殿の脇の細い道から天守台跡に行くことができます。

天守台はコンパクトですが、豊臣秀吉が天下統一した時代には金箔瓦の三層の天守がありました。
秀吉の子飼でもある仙石秀久の城だったので、金箔瓦が許されたものと思われます。
金箔瓦は限られた城にしか使うことが認められていませんでした。

天守台から見た石垣!

柵がないので少し怖いですが、この角度から天守台の石垣を撮れるのもレアです。

ちなみに天守は寛永の初めに落雷で焼失してしました。
その後、江戸幕府からの許しが出なかった為に再建はされませんでした。

石垣は野面積みで高さは約6m。
天守が隅に置かれ、本丸を囲むように石垣で取り囲んでいます。さらに、この石垣の上を歩くことができます。

天守から見た景色。
先には北アルプスの絶景を望むことができます。
いつも通り、昔もこの景色を眺めていたのだろうと妄想します。過去も現代も、そしてこれからも変わることなく人を魅了し続ける景色です。

本丸跡を下から確認!
下から見ると、より一層美しい石垣を眺めることができます。

馬場跡から見た本丸西側の石垣。高さ6mの石垣が本丸を囲んでいます。

下から見た天守台。
先ほどの上から見下ろす石垣も良きですが、やはり石垣は下から見上げた方が個人的に迫力が伝わり好きです。

天守台と本丸の石垣。天守台だけは少し張り出しています。

富士見台からの眺望。

目の前には千曲川が流れており、小諸城は千曲川の断崖を利用し、さらに浅間山の田切地形の深い谷を空堀として活用しているので天然の要害によって堅固な城となっています。

二の丸、本丸はこんな断崖の上に配置されています。
小諸城は武田信玄の命を受けた、軍師山本勘助が縄張りをして城郭を整備したと伝わっています。

武田氏が滅びると織田信長の家臣、滝川一益の持城となり、織田信長が倒れると北条氏が侵攻。その後は徳川、北条、上杉、真田による争奪戦になりました。最終的には豊臣秀吉の仲裁があって徳川の所領に。

しかし、豊臣秀吉が天下を統一すると徳川家康は関東に移封。仙石秀久が小諸五万石の大名として城主になります。
江戸時代、小諸藩初代藩主となった仙石秀久は大手門や石垣を含めた城郭整備、城下町や街道の整備も行いました。

その後、小諸城の城主は徳川氏・松平氏などに変わり、元禄15年(1702年)与板藩(新潟県長岡市)から移封された牧野氏が十代・170年に渡り藩主を勤めました。

小諸城の歴代城主を見ても、戦国時代に重要拠点だったことが分かります。
まるで山城のような天然の遺構と、近世の石垣などの遺構が同時に見ることができて魅力ある城でした。