【千葉県】久留里城

CASTLE DATA FILE.20
登城日:2023年11月23日
交通手段:館山自動車道「木更津東IC」から約15分
ステータス:ー
ジャンル:連郭式 山城
遺構:土塁・空堀・井戸
復元建築:天守(模擬)
御城印:君津市久留里観光交流センターで購入

北条氏の大軍勢に完全包囲!占拠され、奪還した里見氏の居城。

千葉県 城めぐりの旅、3城目は君津市に移動して久留里城にやってきました。

久留里城の起源は不明とされていますが、康正2年(1456年)に上総武田氏の武田信長によって築城されたのが始まりとされています。その後、戦国時代には里見氏が北条氏との最前線拠点として居城としました。
江戸時代は久留里藩の藩庁となり、明治維新後の廃城令まで存在しました。

戦国時代の山城と、江戸時代の近世城郭を性質を持ち合わせた貴重な城となります。

久留里城には天守があったとされ、天守台跡がしっかり残っています。昭和53年に天守台の脇に天守が建てられ、天守台は大事に保存されています。

車で久留里城の入口を上がると無料の駐車場があります。
駐車場には売店があり、御城印も売っています。

まずはゆっくりと歩きながら二の丸跡に向かいたいと思います。
整備されたアスファルトの急な勾配の上り坂です。

ちょうど紅葉の時期なので、紅葉も綺麗に色付いています。

坂を上がってすぐに堀切を見ることができます。
崖崩れを起こさないように、舗装されていますが、尾根がV字に掘削されています。

保存の仕方が、まるで博物館です。こんなに堀切の形がハッキリと分かりやすく、真下から覗くことは普通ならできないのでこれはレアスポットです。

当時はこの堀切がある尾根が登城ルートであったと考えられます。

振り返っての一枚。急な勾配の道である事が分かります。

登城路から突き出したように設けられた久留里曲輪。

二の丸跡の下にはお玉ヶ池があります。

二の丸跡の向かい側には鶴の曲輪という名称の曲輪があります。
鶴の曲輪も突き出した形状。
細長い形をした曲輪なので、鶴の頭に似ているからという理由でしょうか。

鶴の曲輪の周りは全て切岸となっていて、急な崖になっています。

二の丸跡には無料で入れる資料館があります。
ここまで登って気付いたのですが、令和5年の地震によって天守の鯱瓦などが破損落下したことにより天守には入場禁止。

さらに令和6年の台風によって天守に向かう道が崩落したことにより、天守に向かう二の丸から先は立ち入り禁止区域となっていました。

二の丸の先端に突き出した曲輪が薬師曲輪。
ベンチが置かれた展望台になっています。

薬師曲輪からは久留里市内を一望できます。二の丸の標高は128m。

田んぼの中に残る林のあたりは里見氏と小田原北条氏が戦った古戦場です。
相模、武蔵、下総を支配下に置いた北条氏は上総に侵攻。安房を納める里見氏と久留里城で衝突します。

1554年に北条軍 約2万が久留里城を包囲。守りの堅い久留里城に北条氏は撤退。
1560年に北条軍は再び攻撃。
里見氏は上杉謙信に救援を要請し、謙信は出兵。北条氏は久留里城の包囲を解きました。

1564年頃 久留里城は落城し、北条軍が占拠します。しかし、里見義弘が反撃し三船山の戦いで北条軍を破り久留里城を奪還。

当時ここから2万の大軍勢に包囲されていた時を妄想。
山の麓の田畑には三の丸があり、江戸時代は三の丸が城の中心となっていました。

三の丸あたりからの景色。
左手には先ほどの資料館。右手には少しだけ天守が見えます!

二の丸跡の資料館にいらしたスタッフさんに聞いたら、麓から天守が見えるのはここだけのようです。

右側に少しだけ見える建物が二の丸。
左側の尾根沿いが登城ルートですが、岩肌が見えている場所に切れ込みのようなものが見えるので、おそらく堀切かと思われます。

三の丸跡付近。現在は田畑になっています。

当時の三の丸には堀を巡らせ、館が立ち並んでいました。

里見氏・北条古戦場付近と三の丸跡。
久留里城には多くの人がいましたが、こちらには人一人いません。

遺構もなく静かな時間のみが流れています。
しかし歴史という確かな足跡があり、吹く風も広がる空も変わる事がありません。

二の丸から先が立入禁止になっていたのは残念でしたが、宿題としてまたいつの日か訪れたいと思います。