長岡城@新潟県

2025年6月17日
新潟県の中央に位置する長岡市は花火大会で有名な市。
歴史で言えば、連合艦隊長官 山本五十六や元総理大臣 田中角栄の出身地で有名です。
そんな長岡市ですが、幕末好きの方なら誰もが知る長岡藩がありました。
長岡藩の拠点となったのが長岡城。
1600年の関ヶ原の合戦後に、徳川家康は堀忠俊に長岡城の築城を命じます。
後に堀氏は改易となり、牧野忠成が幕末まで長岡を納めました。

新幹線の停車駅なので、駅は大きく駅前の道は驚くほど広いのが特徴です。
長岡城跡は現在の長岡駅にあった為、完全に遺構は失われています。
鉄道を通す際に、本丸のど真ん中を通したのは何かしらの意味があったのではないかと深読みしてしまいます。

駅のロータリーにひっそりと長岡城本丸跡の石碑が建っています。
幕末の戊辰戦争で長岡藩は、薩摩・長州を主力とした新政府軍に対抗するために結成された、奥羽越列藩同盟に加わりました。
1868年5月、長岡藩領の榎峠を占拠した新政府軍でしたが、ラストサムライ河井継之助を主とした長岡藩は榎峠を奪還したことで、長岡城を主戦場とした戊辰戦争の中で最も激戦とも言われる北越戦争が開戦。
その後、新政府軍は長岡城を奇襲。
長岡藩には当時日本に三門しかなかったガトリング砲があり応戦も落城。
栃尾、加茂あたりまで兵は退きました。
しかし、7月24日に河井継之助率いる主力部隊を筆頭に再び長岡城を奪還。
7月29日に再び陥落。会津に退却を余儀なくされました。
北越戦争で長岡城は消失。
その後は鉄道開発や街の整備によって完全に長岡城は姿を消しました。

長岡駅前にある商業施設、アオーレ長岡。
アーティスティックな造りが特徴の建物。

アオーレ長岡の敷地内の隅には二の丸跡の石碑があります。
長岡城は土造りの近世平城で、天守はありませんでしたが、御三階と呼ばれる三重櫓や二重櫓、水堀を駆使した名城でした。
7万4000千石の小藩ながら最新鋭の武器も要し、一時は新政府軍を圧倒した長岡藩。
長岡城の遺構がないのは残念ですが、長岡藩の活躍に触れる機会として今後もPRして頂きたいですね。

駅構内の観光案内所に御城印が売っています。
長岡城の資料も観光案内所の方に言うと、無料で資料を受け取ることができます。