【岡山県】岡山城

CASTLE DATA FILE.46
登城日:2024年10月17日
交通手段:JR「岡山駅」下車→タクシーで約5分
ステータス:日本100名城・国指定史跡
ジャンル:平山城
遺構:櫓・石垣・堀
復元建築:天守・城門・土塀
スタンプ:「岡山城天守内」で押印
御城印:「岡山城天守内」で購入
五大老 宇喜多氏に相応しい巨大城郭
岡山県に初上陸!
四国の旅を決行する為に、玄関口となる岡山駅で乗り換え四国入り。当然、岡山で乗り換えるならと岡山城へやってきました。
岡山城は日本100名城で豊臣政権では五大老を務めた宇喜多秀家、小早川秀秋、池田氏などによって戦国期から江戸時代末期まで活躍した城。
結論から言うと、想像を超えて素晴らしい城で3時間ほど見て周りました。
岡山駅から歩いて15分〜20分ほどですが、岡山到着が15時だったので、タクシーでひとまず岡山城に向かうことにしました。
運転手さんの計らいによって、大手門の前まで連れて頂きました。
降車の際に、楽しんで!と運転手さんに言われ暖かい気持ちになりました。

橋を渡るとすぐに本丸となります。岡山城の本丸は「上の段」「中の段」「下の段」の三段になっているのが特徴。
岡山城は旭川に面している為、城の後方部は旭川によって守られ、前方は幅の広い水堀で防御しています。
水堀の石垣は高くありませんが、石材ひとつひとつが大きく威圧感は十分です。

入ってすぐに枡形虎口の跡があります。
櫓門と櫓が上がっていたそうです。

こちらは、枡形虎口の正面にあたる石垣。
かなり巨大な石材が使われていることがわかります。縦に長い隅の石は、他の城では見ることのできない独特な積み方。

模型で見るとこのような重厚感のある櫓と櫓門がカッコいいですね。

岡山城といえばやはり特徴的な天守が有名なので、ネットを見てもやはり天守の写真が多いですね。
しかし、まず思ったのは岡山城は石垣がすごい!時代を感じる幾つかの積み方を見ることができます!

内堀の低めな石垣とは一変して、高い石垣群が現れます。
より本段に近い、中の段を囲む石垣。
重要な場所だけに堅牢な造りになっています。
武骨ながら出隅は算木積みになっていて、出隅が急勾配になっています。これこそ、荷重分散の石垣技術進化の象徴。
長い石材を角部で交互に積むことで、石垣の荷重が一点に集中せず分散することで、高く急勾配の石垣を積むことができるようになりました。

復元された不明門。
この門は主郭の本段に直結した門で、普段は閉ざされた門だったことから不明門と呼ばれました。

櫓門で明治の廃城令で取り壊されましたが、昭和41年にRC造で復元。
門の土台の石材は鏡石と呼ばれる巨石を使用。
鏡石は敵への威嚇や権力の象徴として重要な門に使われます。徳川大坂城など、近世城郭ではよく見られるパターン。

不明門を抜けると岡山城天守が見えてきます。
天守の前は現在広場になっていますが、当時は城主が住んだり政治を行う御殿がありました。

横幅のある、ずんぐりとした造りが特徴的の岡山城。脇には付櫓もある複合式の望楼型、四層六階。
望楼型天守は豊臣期の象徴した天守といえます。

外壁は下見板で真っ黒。
この外観から岡山城は烏城と呼ばれています。

豊臣政権で五大老だった宇喜多秀家が築城しただけあって、一部の大名にしか使用が許されなかった金箔瓦や金の鯱や鬼瓦など豪華絢爛です。

岡山城の天守は明治の廃城令を免れて、現存して国宝に指定されていましたが、1945年の6月に空襲によって残念ながら焼失。
終戦の僅か2ヶ月前のこと。
当時の天守を支えていた礎石は同じ位置で移動されています。

天守内は現在、展示や歴史を学べる博物館になっています。金箔瓦なとが展示されています。

天守を出て、付櫓の脇の道から天守の裏側にまわります。

極度に狭く、まるで迷路のように折れ曲がります。

右は天守を含めた本丸石垣。左手には廊下門。
個人的にこのアングルの写真はお気に入り。何百、何千という敵が攻めてきた際に180°旋回すればスピードが落ちます。
そこを、石垣上の狭間から攻撃。道が急に狭くなるのもポイント。
大勢の軍勢がせめてきても、この場所では横並びで進むことはできません。
攻めにくく守り易い。
城は戦国の軍事施設。岡山城は至る所でその片鱗を見ることができる素晴らしい城です。

廊下門は1620年の池田忠雄によって造られましたが、明治に取り壊されました。
現在の門は1966年にRC造で復元されました。

廊下門の左手に、年季の入った建築物が現れます。
こちらは現存建築の月見櫓。
廊下門と同じ時期に作られたとされていて、外観は二層ですが内部は三階の造りになっています。

月見櫓の脇には穴倉があります。石狭間とも呼ばれたりします。
上から銃で攻撃する際の穴で、石垣の石を加工して鉄砲で迎撃するための穴を設けています。
同じ穴倉は大坂城・江戸城・二条城など、数少ない城でしか見ることができないので貴重です。

月見櫓アンダーショット。
月見櫓はその名の通り、お月見をするための櫓。
軍事施設の役割だった城は、江戸時代に戦のない平和な世が訪れたことで、役割も変化しました。
月見櫓は平和な象徴とされています。岡山城にとって貴重な現存建築物といえます。

月見櫓には唐破風を設けており、美的センスも優れています。

月見櫓脇の石垣。
月見櫓が建築されたのは1620年。つまりこの石垣も岡山城が拡張されてから、日が経過した石垣といえます。
この一帯の石垣は、石材の形をそのまま生かした野面積みではなく、石材を加工して積んだ打込接。
特に隅にある石垣は綺麗に加工され、長手と短手を交互に積む算木積みのお手本となるような技術が詰め込まれています。

岡山城の天守裏側。
特徴は多角形の天守構造という点。安土城をモデルにしたとも言われています。
こちらから眺めた天守の方が個人的には好みです。

天守裏は石垣が高いので、より迫力を感じます。
歪で特殊な形状をしている珍しい天守。この多角形が安土城と同じスタイル。

こちらも天守のある本丸に直結した六十一雁木門。
この階段の下に当時は櫓門がありました。今は石垣のみが残っています。

本丸から見た六十一雁木門。控え柱があるので、薬医門形式になるのでしょうか。
防御施設の門としてはシンプルで小さいですが、本瓦葺きで鯱も上がっているので、やはり城門の雰囲気が漂います。

六十一雁木門の脇には土塀が連なり、その下の石垣は岡山城の中でも古い積み方をしています。
この小さな石材を積み上げた石垣は、宇喜多秀家の後に入封した小早川秀秋によって造られました。
自然の石を生かした野面積みの中でも、岡山城は比較的大きな石が使用されていますが、こちらは小さな石材が使われており、土塀と取り合っている石材だけは、綺麗に加工されています。

時代の異なる石垣も見ることができます。
改修されたのか、拡張されたのかは分からないのですが、石垣の入隅部で石垣の積み方が変わっています。
手前側は割と大きな加工された石材が使われています。

一周まわって最初に通過した不明門の下に戻ってきました。
この辺りの石垣が一番迫力あるように感じました。
それもそのはず!豊臣政権時代の石垣技術の中ではトップクラスの15m級!

出隅は算木積みになってはいますが、技術の進化途中なのが分かります。
先ほどの月見櫓下の石垣とは違いが一目瞭然。
算木積みの技術が確立されて、高く勾配がきつい石垣ができるようになりましたが、この時代はやや勾配が緩いのが分かると思います。
しかし、この時代で15mの石垣は素晴らしい。
これだから、城の石垣は見ていて楽しい!
ちなみに、この石垣は築城者の宇喜多秀家の時代になりますので、関ヶ原の合戦前となります。
城の技術は石垣も含めて、関ヶ原の合戦以降に急激に進化します。

中の段の隅には大納戸櫓が上がっていました。
櫓台を見ても横幅が大きく、規模の大きな建築物が上がっていたと想像できます。

模型で見るとイメージがつきやすい。
右下には変わった形の幅広い櫓が大納戸櫓で、先程の櫓台の上にありました。
形状としては現存している広島県の福山城 伏見櫓を想像させる造りをしています。

本丸 下の段を進んで月見櫓のある天守裏側に向かいます。
本丸 中の段南西部の石垣は積み方の異なる石垣を見ることができます。ここは岡山城の見どころポイント。

右側が大納戸櫓の櫓台。他の城の天守台くらいありそうです。
池田忠雄が1620年代に築いた櫓台。櫓台の入隅で石垣が切り替わります。

こちらは特に分かりやすい。
右側は小早川秀秋の後に入封した池田忠継の時代の石垣。
左側は1620年頃の池田忠雄の時代の石垣で、直方体に切り出した石材を使用しています。

加工された石材と石材の間に詰石が入っており、打込接の美しい石材。

急速に石垣技術が進化すると、石垣も急勾配に変化していきます。岡山城は石垣の博物館と言われる所以は、このバラエティに富んだ積み方や勾配などを見ることができるからです。

お手本のような算木積み。直方体の石を短辺、長辺と積み上げることで荷重分散されることで急勾配な石垣に変貌を遂げました。

本丸中の段で見ることのできる石垣の隅部。
大きめのゴツっとした石材を使用した重ね積みで、まだ算木積みにはなっていません。
複雑な形状をしている天守は見る角度によって顔が変わる

再び天守裏側へ。
天守裏側には旭川が流れていますが、現在後楽園と繋ぐ鶴見橋があります。
鶴見橋からの天守の写真が一番かっこいい。段々に連なった入母屋破風がオシャレです。
主郭から見た姿とは違った見え方をします。

岡山城の特徴とも言える金箔瓦と金鯱、金の鬼瓦。
一部の大名にしか使用を許されていなかった金箔瓦を、岡山城は大量に使用しています。
やはり豊臣政権下での宇喜多秀家の立ち位置は重要であったと考えられます。
白漆喰の城も素晴らしいのですが、黒漆の城は重厚感があり金色が綺麗に映えます。

岡山城の裏に流れる旭川。
河岸にも石垣が使われています。旭川が岡山城の三方を守っているように流れています。
現在は主郭の前の内堀しか残っていませんが、当時は城の前面はいくつもの水堀で防御していました。

最後は内堀からのショット。左手には月見櫓。奥には小さく天守が見えます。
現在は本丸しか残っていない岡山城ですが、見どころは満載でした。

現在整備されている岡山城址でも広くて見所満載ですが、この水堀は当時の内堀。本来は三重の堀で街ごと城郭化した惣構えの巨大城郭でした。
公園化して整備された区画は、岡山城のほんの一部です。

岡山城のもう一つの楽しみ方は、街中の至る場所で当時の石垣が今でも残っていること!
現在、駐車場に変貌を遂げた石山曲輪。天守台並みの石垣が残っています。街に当たり前のように溶け込みまくった遺構に衝撃を受けました。

岡山駅まで何気なく歩いていると、市街地の一般道路となった石山門跡を発見!喰違いになっていて道路も当時のままクランクしています。
当然ながら当たり前のように車が走っています。

石山門に続く石垣もかなり立派なもので、今は廃校となっている小学校だったようです。地域のゴミ捨て場にもなっており、さらに衝撃を受けます。
岡山城周辺には、このように街と同化した石垣が溢れています。

さらなる衝撃は続きます。駅に戻る途中、時間貸し駐車場に聳え立つ二重の櫓を発見!
一瞬、モニュメント的な模擬櫓かと思ったのですが、土台の石垣が模擬では絶対に表現できないほどの巨石。これぞ岡山城の二つ目の重要文化財、西丸西手櫓です!一階と二階が同じ大きさの重箱櫓は現存例も少ない貴重な遺構が、こんな形で街の一部として残っているのは岡山城くらいでは無いでしょうか。
月見櫓と同じく江戸時代から残る奇跡の現存櫓。この巨石もおそらく岡山城では一番大きいと思われます。
大きさは幅10.4m×7.3m。高さ10.6m。
街そのものが城郭の遺構です。街を歩いていても楽しいのが岡山城の魅力です。
明治の廃城令を免れて、大切に保存されてきた岡山城でしたが、空襲によって天守を含めた多くの建築物が焼失しました。1945年6月29日 終戦から僅か1ヶ月半前のこと。
すごく胸が締め付けられる悲しい歴史。
あの漆黒の大天守が残っていたら・・・とても悔やまれます。
しかし、今では岡山県のシンボルとして、歴史を知るための観光スポットとして市民や観光客に愛され続けています。
戦う城、権威の城、政治の城。様々な時代を生きてきた岡山城は、今でも金箔瓦のように輝いています。










