忍城@埼玉県

ゴールデンウィークに突入した5月4日。

埼玉県の行田市にある忍城にやっと行くことができました。

続日本100名城で関東七名城の、埼玉を代表する城郭です。

忍城といえば、映画「のぼうの城」の舞台になった城。

小田原合戦で北条氏側として戦った成田氏率いる2000人の軍勢と、豊臣軍総大将の石田三成率いる20000人の軍勢が激突した忍城の戦いが有名です。

高崎線で行田駅に着いてから、駅前にある観光案内所で自転車をレンタル。

遺構が広範囲なのと1日500円なので、オススメ。

自転車で10分程走り、忍城に近くとあえて細い路地を走行することにしました。

近世城郭は江戸時代の町割りや遺構が街中に眠っていることが多いから。

すると、不自然に折れ曲がった道を発見。

当時の名残かと思い、自転車を降りて写真を撮りました。

よく見ると大宮口御門の跡でした。

忍城の戦いで石田三成の軍勢は、この大宮口御門辺りに押し寄せましたが、二重の堀に阻まれ攻め落とせなかった、堅固なエリアでした。

さらに3分ほど自転車で進むと、忍藩の藩校進修館跡の石碑を発見。

完全に住宅街に同化しています。

いよいよ、忍城御三階櫓に近づくと三の丸跡の石碑を発見。

今は三ノ丸あたりは公園と学校になっています。

城内にあった看板。

三ノ丸、二ノ丸、本丸と連なる、連郭式の城。

そして、特徴的なのは水に浮かぶ島のように曲輪が配されていること。

忍城が難攻不落だったのは、城が水と川に囲まれた複雑な縄張りだったからといえます。

楼鐘と復元された土塀。

松平氏が忍に移封した際に桑名から持ち込まれたとされています。

当時は二ノ丸にあったそうです。

現在、本丸は博物館となっており、本丸跡の周りは土塁で囲まれています。

忍城の数少ない遺構です。

土塀は復元?されたものですが、土塁に土塀があるだけで城跡としての雰囲気が全然変わります。

模擬の御三階櫓と東門。

忍城には三階櫓と二階櫓がありましたが、明治の廃城令で破却されて、建築物は現存していません。

現在の御三階櫓は本丸に博物館として建設され、忍城跡のシンボルとなっています。

ちょうどツツジが綺麗に咲いていました。

御三階櫓とのショットはとても綺麗です。

北東隅からのショット。

本丸には水堀の一部が残ります。

御三階櫓はおそらく、江戸城の富士見櫓をモデルにしたのではないかと考えられます。

博物館の内部にあった模型。

まさに曲輪が島となっているのが分かります。

備中高松城で豊臣秀吉が水攻めで攻略したことで、同じく水に囲まれた忍城も水攻めでの攻略を石田三成は豊臣秀吉から言い渡されました。

結果的には水攻めにも耐えた忍城は、まるで水に浮くのかと恐れられたことで忍の浮城と称されたとされています。

初代の成田氏は100年間城主を務め、徳川家康が江戸に入封した後は徳川家康の四男、松平忠吉が城主となります。

その後も老中、阿部忠秋など重要な人物が忍城を納めました。

先程の模型を見ても、忍城にはたくさんの城門がありました。

東門は復興で八脚の薬医門。

その他、本丸跡の駐車場には藩校にあった高麗門が移築されているようです。

忍城は博物館として機能しているので、城址としての情報がすごく分かりづらいのが残念。

ネットで本丸土塁が残っている、門が移築されているなど、様々な情報があったのですが、そもそもどこが本丸跡でどこが諏訪曲輪など、現地での情報はかなり少ないので事前の下調べが重要かと思います。

御三階櫓から400m程離れた場所には、水城公園があります。

ここでは釣りをしている人やファミリーなど、多くの人が集っていました。

この大きな水濠は忍城の名残となり、当時はこのような水濠に浮かぶように曲輪が広がっていました。

続いて、忍城の戦いの際に石田三成が本陣を置いたとされる古墳群に向かいます。

忍城からは3.5kmほど離れているので、自転車でゆっくり走って15分程度です。

その途中、忍川が流れていました。

行田市内には多くの川、沼、水路があります。それを巧みに利用して築城されたのが忍城です。

行田市内を自転車で走ると、川と水路の多さに本当に驚きました。

埼玉古墳群には巨大な前方後円墳を見ることができます。

しかも、この辺り一帯が全て古墳。

戦国時代が好きで旅しているワタクシですが、興奮してしまいました。

古墳群の中で円形の巨大な丸墓山古墳があります。

忍城側に位置するこの丸墓山古墳に石田三成は本陣を置きました。

ちなみに円形では日本で一番大きな古墳が、この丸墓山古墳らしいです。

頂上からの景色。
今日は偶然、さきたま火祭りがあり多くの人が集まっていました。

丸墓山古墳からは忍城の御三階櫓も見ることができました。

後ほど石田堤の遺構に向かうのですが、この古墳群にも石田堤の遺構が残ります。

草が生い茂っていますが、並木道のあたりは少し高くなっていて、堤防の痕跡を見ることができます。

さきたま火祭りのイベントで出展していた味のイサムのブース。

昼ごはんを食べないで自転車で走りまくっていたので、名物の豚からを食べながら小休止。

これがかなり絶品でした!

埼玉古墳群から石田堤の遺構までは約3.5km。

再び、自転車で爆走します。

石田堤とレンタル自転車。

石田堤は埼玉県指定史跡になっており、300mほど遺構が残っています。

ちなみに、ここは行田市のお隣鴻巣市になります。

忍城からもかなり距離がありますが、しっかりと整備されており、駐車場までありました。

見た目は普通の堤防にしか見えませんが、戦国時代に荒川と利根川の水を引き込んで、城を水没させるために築かれた堤防が、今の時代にも残っていると考えると凄いです。

築かれた堤の全長は15kmとも28kmとも言われるわずかな期間で築いたとされています。

石田堤の脇にも水路があり水が流れています。

石田堤からレンタル自転車を返却する行田駅までは約5km。田畑の広がる道を自転車で走っているだけで清々しく気持ちが良かったです。

今回はかなり広範囲に渡って遺構を周りましたが、天気も良く素晴らしい時間を過ごすことができました。