福井県
15世紀後半、応仁の乱時に朝倉孝景が台頭、甲斐氏に代わって越前国を掌握する。後に朝倉氏は戦国大名として台頭する。
1471年、蓮如が越前国吉崎に入り吉崎御坊を建立、北陸地方における本願寺系浄土真宗の布教拠点となる。その後、一向一揆が相次ぐこととなる。
朝倉方から織田方に寝返った武将同士で抗争が発生、それに乗じて一向一揆が蜂起する。本願寺門徒は武将や国人、平泉寺などを襲撃し、越前国を本願寺領国化する。
清洲会議で羽柴秀吉と柴田勝家の対立が深まり、賤ヶ岳の戦いにおいて秀吉が勝利。その後、丹羽長秀が越前の大半を、蜂屋頼隆が敦賀郡を、金森長近が引き続き大野郡を統治する。その後も領主の交替が相次ぐ。
越前国
1600年の関ヶ原の戦いの後、戦功第一の恩賞として結城秀康に越前一国および下野国結城郡75万石が与えられる(北ノ庄藩)。越前松平家は、将軍家徳川秀忠の兄の家ということから、制外の家(各種特権が許された家)または、御三家に次ぐ家という意味で四家などともよばれる。
若狭国
1600年の関ヶ原の戦いの軍功により、京極高次に若狭一国が与えられる(小浜藩)
福井県
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| 丸岡城【日本100名城】 丸岡城【坂井市】 北陸地方唯一の現存天守。柴田勝家の甥で養子となった柴田勝豊によって築かれた。江戸時代には丸岡藩が成立し、本多家がお家騒動で改易となったのちは、有馬氏が入封し6代がこの地を治め明治維新を迎える。 ![]() 遺構:天守・石垣 国の重要文化財:天守 | |
| 越前大野城【続日本100名城】 越前大野城【大野市】 織田信長の家臣である金森長近によって築かれた城。長近は後に北陸の小京都と呼ばれる城下町を整備。現在は天空の城としても人気があり、山頂の本丸跡に石垣が現存している。 ![]() 遺構:石垣・堀・土居・曲輪・登城路 復元建築:天守(復興天守)・門 移築建築:光明寺の山門に鳩門が移築現存 | |
| 一乗谷城【日本100名城】 一乗谷城【福井市】 一乗谷城は朝倉氏の居城として知られ、現在でも曲輪や空堀、伏兵穴跡などの遺構が尾根や谷筋に沿って残る。一乗谷城と山麓の城下町(朝倉氏、家臣の居館)からなる遺跡全体が国の特別史跡になっている。 ![]() 遺構:土塁・堀・門 重要文化財:遺跡出土品 復元建築:街並みを復元 | |
| 玄蕃尾城【続日本100名城】 玄蕃尾城(げんばおじょう)【敦賀市】 玄蕃尾城は柴田勝家が「賤ヶ岳の戦い」の際に本陣とした陣城。現在城址には枡形虎口、曲輪や土塁、馬出、空堀、櫓台など多くの遺構が非常に良好な状態で残っている。織豊期の縄張りを完全に残す貴重な城郭。 ![]() 遺構:横堀・堀切・竪堀・土塁・櫓台・馬出・郭 | |
![]() | 金ヶ崎城 金ヶ崎城【敦賀市】 1570年(元亀元年)に起きた戦国史上有名な織田信長の撤退戦である金ヶ崎の戦いの舞台となった城。中腹の金崎宮には足利氏と新田義貞の戦いで城の陥落とともに捕縛された恒良親王と、新田義顕とともに自害した尊良親王が祀られている。 遺構:曲輪・堀切・堅堀 |
| 国吉城【続日本100名城】 国吉城【美浜町】 粟屋勝久の居城で武田氏の内部分裂、衰退後は越前の朝倉義景によって数度にわたり攻められるも、籠城戦で撃退している。1570年の織田信長による越前攻めの際には、信長はこの城を本陣とした。 ![]() 遺構:曲輪・土塁・石垣・空堀・堀切・館跡 | |
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![]() | 小浜城(おばまじょう) 小浜城【小浜市】 小浜城は京極高次によって築かれた城。その後、徳川家譜代の重鎮 酒井忠勝が入城し、幕末まで15代・230年にわたり酒井氏の居城となる。現在は本丸部分の外周石垣と天守台が残っている。 ![]() 遺構:石垣 移築建築:藩校「順造館」正門が若狭高等学校の正門として移築現存 |
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