金山城【日本100名城】
金山城(新田金山城)は東西3.1km、南北3.8km、標高235.8mの独立峰に築かれた国内でも最大規模の縄張りを持つ城。関東七名城のひとつに数えられています。上杉謙信も五度ほどこの城を攻めましたが落とすことができず、難攻不落の名城と謳われた。
現在はいくつかの遺構をもとに公園として整備されており、本丸跡には新田神社がある。
四方に延びる尾根上を造成して曲輪としており、これを堀切・土塁などで固く守った戦国時代の山城。石垣や石敷きが多用されていることで、戦国時代の関東の山城に本格的な石垣はないとされた城郭史の定説が、金山城跡の発掘調査で覆された。
Contents
金山城の見どころ
■関東では珍しい石垣を多用した城。特に物見台下の登城路は中世山城と石垣の城郭がMIXされて見ごたえがある。
■金山城には2つの池があり大手虎口を進んだ山頂にある日ノ池は、昔から湧水し水に関する祭祀や儀式を行っていた聖なる場所だったと推測されている。
名城スタンプと御城印
※スタンプ設置場所や御城印販売所の場所、営業時間は最新情報をご確認ください。
■日本100名城スタンプ
中島記念公園(史跡金山城跡・南曲輪)の休憩施設内
年中無休
■御城印
金山城跡ガイダンス施設
時間:9時~17時
休日:月曜日(休日の場合は翌日)
金山城周辺の天気
| 別名 | 金山城、太田金山城 |
|---|---|
| 城郭構造 | 連郭式山城 |
| 天守構造 | なし |
| 築城主 | 岩松家純 |
| 築城年 | 1469年(文明元年) |
| 主な改修者 | 後北条氏 |
| 主な城主 | 岩松氏、由良氏、高山定重、 宇津木氏久 |
| 廃城年 | 1590年(天正18年) |
| 遺構 | 石垣、土塁、堀、馬出し、井戸 |
| 指定文化財 | 国の史跡 |
写真で見る金山城
レポート
歴史・沿革
金山城の築城は1469年(文明元年)。築城した岩松家純がそのまま入城します。しかし、重臣「横瀬泰繁」(よこせやすしげ)と「横瀬成繁」(よこせなりしげ)親子が下剋上を企て、1528年(享禄元年)に「享禄の乱」(きょうろくのらん)が勃発。
当時の城主「岩松昌純」(いわまつまさずみ)は城を追われて岩松氏は衰退し、その後金山城主は横瀬氏(のちに由良氏と改姓)が務めていきます。
そんな横瀬氏の近隣には、「武田信玄」(たけだしんげん)、「上杉謙信」(うえすぎけんしん)といった強力な武将がいたため、由良氏が城主だった時代に10回以上もの攻撃を受けました。しかし、一度も落城することはなかったのです。
横瀬泰繁と横瀬成繁は当初上杉謙信側についていましたが、1566年(永禄9年)以降「北条氏直」(ほうじょううじなお)へと鞍替え。北条氏直は常陸国(現在の茨城県)を攻め入るため、戦略的に重要な金山城を欲し、1584年(天正12年)以降、実質的に北条氏直が金山城の城主となりました。しかし、北条氏直は、1590年(天正18年)に豊臣秀吉に攻められて敗北。金山城も廃城となりました。
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マップ
アクセス
■東武鉄道伊勢崎線/桐生線/小泉線・太田駅から徒歩約80分
■東武鉄道伊勢崎線/桐生線/小泉線・太田駅(北口)からシティライナーおおた新田線「新田暁高校行き」(平日のみ運行)に乗り、「大門入口」バス停下車、徒歩60分
■北関東自動車道・太田桐生ICから10分
金山城 周辺スポット
天神山古墳

全長210mと、東日本では最大の規模を誇る前方後円墳で、国の史跡に指定されている。出土した埴輪の形状などから築造は5世紀前半と推定される。埋葬された人物については、毛野国の大首長などの説があるが、定かではない。
世良田東照宮

徳川氏ゆかりの地といわれる太田市世良田町の神社で、東照大権現として徳川家康を祀る東照宮のひとつ。国の重要文化財に指定されている煌びやかな拝殿や本殿、唐門を所蔵。良縁成就のいわれがある御黒門も見どころである。
金山城 周辺宿泊施設
























