伊丹城(有岡城)
伊丹城(いたみじょう)は、摂津国川辺郡伊丹段丘有岡(現・兵庫県伊丹市)にあった日本の城。別名有岡城(在岡城)(ありおかじょう)。国の史跡に指定されている。
伊丹城(有岡城)について
南北朝時代、摂津国人の伊丹氏によって建築され、文明4年(1472年)に改築されるまでの伊丹城が日本最古の天守台を持つ平城となった。
しかし、天正2年11月15日(1574年11月28日)、荒木村重によって攻め落とされ、のちに伊丹氏の伊丹城を大改修し、有岡城に改称した。
荒木村重は後に謀反を起こし、有岡城は織田信長に攻められて落城した。
天気
別名 | 有岡城、在岡城 |
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城郭構造 | 平城 |
天守構造 | 不明 |
築城主 | 伊丹氏 |
築城年 | 南北朝時代 |
主な改修者 | 荒木村重 |
主な城主 | 伊丹氏、荒木村重、池田之助 |
廃城年 | 天正11年(1583年) |
遺構 | 石垣、土塁、堀跡 |
指定文化財 | 史跡(国指定) |

城の範囲
城の範囲は南北1.7km、東西0.8kmで南北に細長く、本丸は城の東側(現JR伊丹駅付近)に位置し、有岡城跡史跡公園となっている。明治時代の鉄道敷設のため、本丸東側の大半を失っている。
防御の要所に3つの砦が配置され、北に「きしの砦」(現猪名野神社付近)、西に「上臈塚砦」(現墨染寺付近)、南に「鵯塚砦」が築かれていた。
総構え(惣構)
総構え(惣構)とは、周囲に堀と土塁をめぐらし、街屋敷や町屋を配置し、防御帯を設けた城郭構造で、大坂城や江戸城などにもあった惣構えの最古(2005年現在)の遺構が発掘された。
城の東側を流れる伊丹川との間は崖になっており、さらにその東側には駄六川と猪名川が流れており、これらの河川が天然の要害となっていた。西側と南側は人工の堀を設け、東西0.8km、南北1.7kmもの総構えとなっている。 総構えの構造は、荒木村重が大改修によって完成させた。
織田信長の大軍による攻撃にも一年にわたって耐えるほど強固な構造であった。
伊丹城(有岡城)の略史
- 南北朝時代:伊丹氏により築城。伊丹城と称する。
- 天正2年(1574年):荒木村重が城を落として改修。ついで、有岡城と改称。
- 天正7年(1579年):村重謀反により織田軍に攻められ落城。
- 天正8年(1580年):池田之助が城主になる。
- 天正11年(1583年):之助が美濃に転封されることにより、廃城。
- 明治26年(1891年):鉄道敷設の為、当城東側破壊。
- 昭和50年(1975年):発掘調査開始。
- 昭和54年(1979年):12月国史跡に指定。
その後史跡公園として整備され、現在に至る。
現在確認可能な残存遺構
- 石垣:1976年の発掘調査により、城郭としては最古の石垣と断定された。
五輪や供養塔の石も使用されている。 - 土塁
- 井戸跡
- 堀跡
- 本丸 石垣
- 本丸 井戸跡
- 本丸 礎石建物跡
- 本丸 堀
- 岸の砦跡の猪名野神社
- 猪名野神社境内の土塁
- 女臈塚砦跡の墨染寺
- 鵯塚砦跡付近
アクセス
伊丹駅 (JR西日本)から徒歩すぐ
中国自動車道・中国池田ICから15分