石川県

室町期には畠山家が能登守護、斯波家が加賀守護となりますが、加賀では冨樫家が守護に復帰、能登では能登畠山家が宗家から分かれて守護家となりました。戦国期に入ると、1488年に加賀本願寺門徒(「一向一揆」)が冨樫家を圧倒して国の支配権を掌握、能登では畠山家の実力が低下して遊佐家・温井家・長家などの国人勢力が分立しました。

1577年に上杉輝虎(謙信)が能登を攻略して加賀へ進出しましたが、1580年には織田信長が加賀の門徒を制圧して能登をも平定、加賀には佐久間盛政、能登には前田利家を配置しました。豊臣秀吉は賤ヶ岳の戦後、利家に加賀北二郡を与え、南二郡には中小大名を配置しました。

その後、前田家は利家の子・利長が加賀北二郡および能登半国(および旧領の越中一国)、利政が能登半国を領知しますが、関ヶ原の戦で利政は徳川家康に与しなかったため所領を没収され、加賀・能登の大部分は利長に加封されました。江戸期を通じて前田家が加賀藩として存続し、能登・加賀の一部は幕領でした。

石川県

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金沢城【日本100名城】: 36.566101, 136.659729
七尾城【日本100名城】: 37.009003, 136.984143
鳥越城【続日本100名城】: 36.366551, 136.601000
小松城: 36.412564, 136.443629
二曲輪城: 36.357071, 136.600571
大聖寺城: 36.307915, 136.304755
舟岡山城: 36.439951, 136.633691
石動山城: 36.965311, 136.975007
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金沢城【日本100名城】
金沢城【金沢市】

加賀藩前田家の居城として約300年にわたり栄えた、美を兼ね備えた日本を代表する城郭



遺構:曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、長屋、門、移築能舞台

復元建築:菱櫓・橋詰門・河北門・橋詰門続櫓・五十間長屋・鼠多門・鼠多門橋・玉泉院丸庭園

【金沢城データベース】

 
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七尾城【日本100名城】
七尾城【七尾市】

南北約2.5km、東西約1.0kmで一帯は「城山」と呼び全国でも屈指の規模の日本三大山城。



遺構:郭、石垣、土塁、堀切、虎口

【七尾城データベース】
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鳥越城【続日本100名城】
鳥越城【白山市】

1580年に織田方の柴田勝家軍によって落城。現在は発掘調査をもとに門や石垣が復元。2009年に公開された映画「BALLAD(バラッド)」のロケ地でもある。



遺構:土塁、空堀、曲輪

復元建築:櫓門、門、石垣(一部)

【鳥越城データベース】
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小松城
小松城【小松市】

前田利家の四男、前田利常の隠居城。金沢城の支城でありながら、規模は金沢城の約2倍の広さを誇る。

遺構:石垣

移築建築:来生寺寺門に鰻橋御門が移築
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二曲輪城
二曲輪城【白山市】

二曲城は鳥越城の支城として、織田信長による加賀一向一揆討滅に抵抗した城。1580年に柴田勝家の軍勢によって攻められ鳥越城とともに落城。

遺構:曲輪、土塁、堀切
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大聖寺城
大聖寺城【加賀市】

戦国時代には一向一揆の拠点となる。1583年の「賤ヶ岳の戦い」後は溝口秀勝が入城。元和の一国一城令で廃城となるが、1639年には前田利治が7万石を分けられて大聖寺藩を立藩。

遺構:曲輪、土塁、茶亭
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舟岡山城
舟岡山城【白山市】

江戸時代前には廃城となった城だが、現在も城址には遺構が良好な状態で保存されており、土塁・虎口・空堀・石垣などを見ることができる。

遺構:土塁・空堀・石垣・虎口跡
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石動山城
石動山城【中能登町】

上杉謙信によって築かれた石動山城。1578年に七尾城を攻めた際に、長期戦を想定して築いたとされる。

遺構:曲輪、土塁、空堀、堀切