高知県
土佐の守護は細川氏でしたが、応仁・文明の乱の頃は細川氏が上洛続きで、その隙をついて勢力を伸ばしたのが長宗我部氏でした。
1560(永禄3)年、本山茂辰(しげとき)との戦いで初陣を果たしたのが長宗我部元親で、この戦いで勝ったことにより、長宗我部氏が急速に勢力を伸ばしていくことになります。1569年に安芸氏を討ち、1574(天正2)年には一条氏を土佐から追って、土佐一国の平定に成功しています。
元親と信長をつなぐパイプ役を務めていたのが明智光秀で、このことが本能寺の変、光秀謀反の理由の一つともいわれています。
幕末は坂本龍馬を始めとする、多くの志士が活躍します。
黒船来航ののち開国・攘夷をめぐる混乱の時代に入ると、土佐藩では藩主豊信が幕府の中枢に迎えられ、公武合体論を推し進めて大政奉還などの局面で重要な働きをします。
その一方で土佐出身者からは、藩の枠組みをこえて活躍する多くの志士を輩出しました。
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![]() | 久礼城(くれじょう) 久礼城【中土佐町】 戦国時代には一条氏に属していた佐竹氏でしたが、1571年に長宗我部氏に降伏すると、以後は久武氏らとともに転戦しました。城址は土塁、石積み、虎口、横堀、堀切、畝状竪堀群など多数の遺構が残る。 遺構:曲輪・土塁・石積み・虎口・堀切・井戸 |
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