二条城(日本100名城)

二条城は江戸時代の始まりと終わりの舞台となった城。この城で徳川家康の将軍宣下に伴う賀儀が行われ、また徳川慶喜による大政奉還が行われた。

1601年(慶長6年)に徳川家康の命で天下普請によって築かれたが、天守は落雷による焼失で失われた。多くの重要文化財が残っている中で、なかでも1611年(慶長16年)に家康と豊臣秀頼の会見(二条城会見)が行われた二の丸御殿は国宝に指定されている。

1994年(平成6年)にはユネスコの世界文化遺産に「古都京都の文化財」として清水寺などと共に登録された。

二条城の見どころ

■二の丸に残る二の丸御殿は、江戸時代から残る現存建築。将軍家の威厳と壮麗さを兼ね備えた御殿。
■二の丸に向かう際に通過する唐門は、城門とは思えない美と芸術を兼ね備えている。
■正方形に均整の取れた縄張りと、本丸を囲む水堀と石垣。
■東大手門は他の城では見ることのできない装飾美。

名城スタンプと御城印

日本100名城スタンプ

■二条城内の大休憩所

御城印

■二条城内の大休憩所の売店にて購入

二条城周辺の天気

別名旧二条離宮(二条城)
恩賜元離宮二条城
城郭構造輪郭式平城
天守構造※共に焼失し非現存※
複合式望楼型5重5階(1603年移築)
複合式層塔型5重5階(1628年移築)
築城主徳川家康
築城年1601年 (慶長 6年)
主な城主徳川将軍家(江戸期)
皇室(明治17年ー昭和14年)
廃城年1873年(明治6年)
廃城令により存城処分を受ける。
遺構二の丸御殿 (国宝・重文)
二の丸御殿障壁画(重文)
二の丸庭園(特別名勝)
本丸御殿群(旧桂宮邸)
本丸御殿障壁画(重文)・本丸庭園
唐門・筋塀(築地塀)
番所 ・櫓門・土蔵
櫓・門・土塀・天守台
石垣・堀・井戸等
外堀護岸等
指定文化財国宝(二の丸御殿6棟)
国の重要文化財(建造物18棟、二の丸御殿障壁画1016面)
特別名勝(二の丸庭園)
本丸御殿(重要文化財)
世界文化遺産(古都京都の文化財)
国史跡・旧二条離宮(二条城)
(城内敷地全体)
国史跡・二条城外堀護岸
(単独の国史跡)

写真で見る二条城

二条城 東大手門
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二条城 東大手門
二条城 唐門
二条城 二の丸御殿
二条城 本丸櫓門
二条城 城門石垣
二条城 内堀と天守台石垣
二条城 東南隅櫓
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レポート

概要

二条城は江戸時代の徳川将軍家の平城であり近代においては皇室の離宮の役割を担った。現在の正式名称は元離宮二条城である。

京都市街の中にある平城で、足利氏・織田氏・豊臣氏による二条城もあったが(旧二条城跡)、現存するものは徳川宗家の城のみである。当城は京都御所の裏鬼門に位置する。徳川家康が都および朝廷のある京都に江戸城の分身の役割として徳川幕府の武威を示すため京都御所・公家町および洛中の守護並び上洛時の居城として造営した城である。

二条城では徳川家康の将軍宣下に伴う賀儀、江戸幕府による禁中並公家諸法度の公布、後水尾天皇の行幸、幕末期は徳川慶喜の居城となり大政奉還の上奏、離宮時代には大正天皇の行啓や饗宴の儀など徳川幕府の始まりと終わりをはじめ日本の歴史を見届けてきた歴史的に重要な場所である。 

城内全体が国の史跡に指定されている他、德川家の豪華絢爛な御殿で江戸城本丸御殿・二の丸御殿・西の丸御殿、大坂城本丸御殿、名古屋城本丸御殿・二の丸御殿が失われた今日、狩野探幽をはじめとする狩野派一門など各名工らが荘厳華麗な金碧画から可憐な花鳥画までの障壁画と多彩な透彫欄間や飾金具ともに日本唯一本来の徳川将軍家城郭御殿完全遺構である。

現代史では1994年(平成6年)にユネスコの世界遺産(世界文化遺産)に歴史的および文化的価値の高さから洛中唯一の城郭建築として「古都京都の文化財」として登録された。

敷地

立地

二条城はかつて平安京の大内裏であった場所の南東端とその南にあった禁園(天皇の庭園)である「神泉苑」跡とにまたがる地にある。東西約500メートル、南北約400メートル、ほぼ矩形だが厳密には東側から見て凸型となっている。南北の幅が狭くなっている西側部分が徳川家光の時代に行われた寛永の大改修によって拡張された部分で、家康による創建時は現在の東側半分(二の丸)のみであった。

家康がこの地を選んだ理由は不明だが、この地が比較的人家がまばらであったこと(それでも数千軒が取り壊された)が考えられる。そのほか、信長の二条新御所と秀吉の妙顕寺城が並ぶ東西のラインと秀吉の聚楽第から真南に延ばしたラインの交差する場所、いわゆる聖なるラインの交わる場所であったことが注目される。特に聚楽第の存在は大きく、共に堀川西域に立ち御所に向けて門を開けている様子は家康が聚楽第を意識していたことを明瞭に示している。

縄張

縄張の形式は本丸の四方を二の丸で取り囲む「輪郭式」に分類されるが、本丸が中央より西寄りに配されている。本丸は約150メートル四方のほぼ正方形であり、本丸と二の丸の間には内堀が、二の丸の周りには外堀が造られている。二の丸は本丸の北と南にある仕切門によって東西に分かれている(この西側部分を「西の丸」と呼ぶ資料もある)。家康による創建時は現在の二の丸東側部分が本丸であり、本丸のみで構成される「単郭式」であった。大手門前の広場と堀川通を隔てて堀川が流れているが、総郭とまでは言えないものの堀川が第一防御線として想定されていた可能性はある。実際、江戸時代には西堀川通(=現堀川通)の南北に通行を妨げる「釘抜き」が設けられ、大手門前の広場に町民は立ち入ることができなかった。なお、家康による第1期二条城の絵図面の類は見つかっておらず、その内部の様子はよくわからない。

国宝・二の丸御殿

元離宮二条城並び二の丸の代表的建造物である国宝・二の丸御殿6棟(付属:重要文化財2棟)は、東大手門(重要文化財)から入城し突き当たりの筋塀(重要文化財)を南端まで歩き左折すると長く連なる筋塀と御殿正門である威風堂々で豪奢な唐門(重要文化財)に囲まれている二の丸御殿正門正面に対面する。

そこから、御殿正門の唐門をくぐると正面に武家書院造の集大成である国宝・二の丸御殿群の玄関にあたる「車寄」(くるまよせ)と参殿者控えの間や奥に勅使の間がある「遠侍」(とおざむらい)が見える。そこから手前から奥への順番に「式台」(しきだい)、「大広間」(おおひろま)、「蘇鉄の間」(そてつのま)、「黒書院」(くろしょいん)、「白書院」(しろしょいん)と呼ばれる6つの建物が雁行に並び、室内の入側廊下や縁側で接続され一体となっている。

間取りは部屋数33室、800畳余りもある徳川将軍家の城郭御殿建築物である。内部のしつらえは竣工当初は柱の銅版は金箔押しであって現在の現存している物より遥かに華やかなものであった。眺望としては二の丸御殿大広間の西側、二の丸御殿黒書院の南側に小堀遠州が作庭した特別名勝の二の丸庭園である日本庭園がある。

二条城の建築物

城門

現在の元離宮二条城の外部との出入り口としての城門は東西南北に1つずつある。ただ、南門は離宮時代の高麗門で1915年(大正4年)に大正天皇の大典に備え新たに造られたもので、本来の江戸幕府時代の城門ではない。その他は江戸幕府の城門で正門は堀川通に面した東大手門(櫓門)である。

西門(搦手門・埋門)と前述の南門はかつて外堀を渡る橋があったが、前者は明治時代に、後者は即位式後に撤去されたため、現在は使用されていない。北大手門(櫓門)も普段は閉鎖されている。また、この他に城内には5つの城門がある。

二の丸を東西に分ける北中仕切門と南中仕切門、二の丸と本丸を結ぶ通路への入り口となる鳴子門と桃山門、その通路から内堀を渡った本丸への入り口となる櫓門である。なお、東大手門は現在創建時と同じく櫓門となっているが、後水尾天皇の行幸を仰ぐ際、上から見下ろすのは不敬として一重門に変えられた。行幸後には再び櫓門に戻された。

番所

1626年(寛永3年)の行幸を描いた寛永行幸絵図のこの位置に番所は描かれているが、現在の建物は、1663年(寛文3年)に建てられたことが分かっている。平時の二条城は、幕府から派遣された「二条在番」と呼ばれる武士たちが宿直・警護していた。

1組50人の在番が2組常駐し、この番所は彼らの詰所の一つとなっていた。近世の城内にはこの他、唐門前、北大手門周囲、西門周囲等、計9棟の番所があったが、現在残っているのはここだけである。

全国でも番所が現存する城は江戸城や丸亀城等わずかしかなく、貴重な建物である。

天守跡

創建時の天守は、『洛中洛外図屏風』に城の北西部分に望楼型の5重天守として描かれている。この天守は慶長期に家康によって現在の二ノ丸北西隅に建てられたもので、郡山城天守の移築説がある。記録には小天守や渡廊下の記述があり、天守曲輪を形成していたと考えられる。

この天守は3代家光の時に行われた寛永の大改修時に淀城に再び移築された。移築された淀城天守は図面が残されているので、慶長度天守の復元は可能である。

これに代わり、新たに造られた本丸の南西隅に、前年に一国一城令によって廃城とした伏見城の天守が移築された。この寛永期天守は、取付矢倉が付属する層塔型5重5階の天守であったが、1750年(寛延3年)に落雷で焼失して以来、再建されなかった。

現在は、天守台のみが残る。天皇が昇った唯一の天守である。又、天守の木造復元計画もある。

溜蔵と橋廊下

本丸櫓門にはかつて内部が黒漆塗りで赤絨毯が敷かれた2階建ての木橋があり、天皇や将軍は二の丸御殿から橋の2階の廊下を通って、地上を歩くことなく本丸御殿と天守に行くことができた。1687年(貞享4年)に2階廊下が取り壊され、1704年(宝永元年)には1階の橋がかけ直されている。二の丸御殿溜蔵と橋の手前までの橋廊下の一部は1930年(昭和5年)頃まで残っていたが、その後解体され、部材の多くは土蔵で保管されている。

マップ

アクセス

■JR山陰本線・二条駅から徒歩15分
■地下鉄東西線・二条城前駅から徒歩5分

■名神高速道路・京都東ICより20分
■名神高速道路・京都南ICより20分

移築建造物

仙洞御所(京都府京都市上京区京都御苑)
江戸時代におよそ4度本丸の建物を仙洞御所に移築したが、その度に火災に遭っている。

三渓園(横浜市中区)
横浜市中区の三渓園に聴秋閣(三笠閣)が移築現存し、国の重要文化財に指定されている。

豊国神社(京都府京都市東山区)
京都市東山区にある豊国神社の唐門は、寛永増築に際して以心崇伝が第一期二条城の唐門を下賜されたものを、明治になって神社を再興する際、金地院から譲られ移築したもので、国宝に指定されている。

世田谷観音寺(東京都世田谷区)
世田谷観音寺内の阿弥陀堂という三階建ての金閣寺を模したという望楼型建築物が、二条城本丸からの移築と伝わる。二条城内の櫓や他城の櫓と違いこの建築物は建築方法や外見が大きく異なる為、風流などを嗜むためのものと思われる。

二条城 周辺宿泊施設

二条城 周辺のグルメ

二条城 周辺温泉街

嵐山温泉

京都府京都市西京区嵐山
嵐山温泉は、京都を代表する景勝地である嵐山エリアに湧出した温泉地です。美しい自然景観と歴史的な名所が調和したロケーションで、観光と合わせて温泉を楽しむことができます。

湯の花温泉

京都府亀岡市
湯の花温泉とは、京都府亀岡市に位置する歴史ある温泉地で、戦国時代には武将が傷を癒したと伝えられ、単純弱放射能泉(ラドン温泉)が特徴で、神経痛や疲労回復に効果が期待でき、素朴な山里の風情と四季折々の自然が楽しめる温泉郷です。温泉水から析出した「湯の花」(温泉成分が固まったもの)が特徴で、温泉スタンドで自宅に持ち帰ることもできます。