三重県

三重県は室町期には伊勢守護が世保家や一色家、伊賀守護は仁木家、また伊勢南半・伊賀名張郡から志摩にかけては、国司北畠家の勢力が存続しました。

戦国期には伊勢に北畠、長野、関などの所家が割拠、伊賀は服部党などの国人勢力、志摩は九鬼家の支配するところとなり、織田信長は1569年までに伊勢を、1581年に伊賀を支配下に置き、志摩の九鬼家を服属させました。

豊臣秀吉は伊賀を筒井定次に与え、伊勢には中小大名を配置しました。江戸期にはおもに家門・譜代大名が入封   。中期以降は、伊勢中部および伊賀に津藩(藤堂家)、伊勢北部に桑名藩(松平=奥平家→松平=久松家)・亀山藩(石川家)など5藩、志摩に鳥羽藩(稲垣家)が配置。

伊勢南部は紀伊藩領、また伊勢山田には山田奉行が置かれました。

三重県

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伊賀上野城【日本100名城】: 34.770265, 136.127086
亀山城: 34.856193, 136.450571
津城【続日本100名城】: 34.717401, 136.507230
松坂城【日本100名城】: 34.576145, 136.525962
田丸城【続日本100名城】: 34.490893, 136.628079
鳥羽城: 34.482453, 136.843681
赤城城【続日本100名城】: 33.895365, 135.952216
神戸城(かんべじょう): 34.879541, 136.577439
多気北畠氏館【続日本100名城】: 34.646595, 136.456118
桑名城: 35.064661, 136.698364
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伊賀上野城【日本100名城】
伊賀上野城【伊賀市】

高さ30mの高石垣が行く手を阻む、築城名人 藤堂高虎の城。五重五階の層塔型天守を築造していたが、完成間際に落雷焼失。現在は復興天守がシンボルとして建つ



遺構:石垣・堀・武具蔵

復元建築:天守(模擬、木造)

【伊賀上野城データベース】
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亀山城
亀山城【亀山市】

亀山城は幕府の宿所としての役割も果たした城。1636年に大改修が行われ天守を失った天守台に多門櫓が築造。当時の位置のまま残る中核的城郭建築として三重県下では唯一のものとなる。



遺構:多聞櫓・石垣・堀・土塁

復元建築:模擬塀

【亀山城データベース】

 
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津城【続日本100名城】
津城【津市】

津市のシンボル 津城は、織田信長の親族によって築城され、藤堂高虎によって繁栄した城。石垣は修復を経て現存しており、大きな見どころ。



遺構:石垣・堀

復元建築:模擬隅櫓

【津城データベース】
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松坂城【日本100名城】
松坂城【松坂市】

蒲生氏郷が夜を日に継いでわずか3年で完成させた城。豪壮な石垣が残っており、往時の城の姿を現代に伝えている。



遺構:天守台・本丸・二の丸・石垣

【松坂城データベース】
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田丸城【続日本100名城】
田丸城【玉城町】

戦国時代には織田信長の次男 信雄が天守を築き、居城とした城。現在、城跡には石垣や天守台などの建造物が当時の姿を留める



遺構:堀・石垣・富士見門

【田丸城データベース】
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鳥羽城
鳥羽城【鳥羽市】

鳥羽藩の藩庁が置かれた水軍の城で、大手門が海側へ突出して築かれたため、鳥羽の浮城とも呼ばれる。

遺構:石垣
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赤城城【続日本100名城】
赤城城【熊野市】

赤木城は藤堂高虎によって造られた、中世と近世の築城法を併用した平山城。朝もやに浮かぶ城跡は幻想的で天空の城とも言われている



遺構:曲輪・石垣・堀切・土塁

【赤城城データベース】
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神戸城(かんべじょう)
神戸城【鈴鹿市】

織田信長の三男 信孝を養子として迎え、5層の天守を築造。現在に残る天守台は信孝時代のもので、天守は桑名城に三重櫓として移され神戸櫓と呼ばれた。

遺構:曲輪、石垣、横堀、移築櫓、移築大手門
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多気北畠氏館【続日本100名城】
多気北畠氏館【津市】

北畠氏館は伊勢国司・北畠顕能によって築かれた居館。西背後には北畠氏館詰城と霧山城が控えており、これらすべてで『多気城』を構成している

遺構:庭園、石垣、曲輪、土塁、竪堀、堀切
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桑名城
桑名城【桑名市】

慶長6年(1601)に本多忠勝が城主となり10万石を領した。忠勝は10年の歳月をかけて城を大改修。慶長15年(1610)に巨大な桑名城を完成させた。



遺構:石垣・堀

復元建築:蟠龍櫓(外観復元)

移築建築:了順寺(城門)・照恩寺(城門)・安行寺(城門)・浄泉坊(三の丸御殿)

【桑名城データベース】