宮崎県
宮崎県の戦国時代は、土着の豪族と中央から下った伊東氏・島津氏の激しい抗争が特徴。
小藩分立と経済的困窮、そして南国・日向の地理的・神話的背景が絡み合い、島津氏による一時的統一から豊臣秀吉の支配、関ケ原後の再分割へと続く波乱の時代でした。
特に飫肥城(おびじょう)のような要塞の防御構造や、伊東氏・島津氏の血戦(伊東対島津の戦い)が歴史を彩りました。
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| 飫肥城【日本100名城】 飫肥城【日南市】 伊東氏と島津氏により103年に渡って激しくその領有権を争った城。1978年(昭和53年)には大手門が復元されている。 ![]() 遺構:石垣 復元建築:御殿・櫓門・門・塀 | |
| 佐土原城【続日本100名城】 佐土原城【宮崎市】 島津氏の居城として知られる佐土原城。南九州では例を見ない天守が築かれ、しかも一部の大名にしか許されなかった、金箔瓦を使っていたことが判明。 ![]() 遺構:土塁 復元建築:二の丸御殿 | |
![]() | 都於郡城(とのこおりじょう) 都於郡城【西郡市】 伊東四十八城のひとつで日向国を代表する中世城郭。現在は国指定史跡となり公園として整備。都於郡小学校と大安寺の間にある大安寺池はかつての堀跡である。 ![]() 遺構:曲輪・空堀・土塁 |
![]() | 八千城 八千城【国富町】 都於郡城主伊東氏一族の伊東祐広が元弘年間に築いた城。取添、三の丸、二の丸・本丸、中の城と曲輪が配置され、空堀で仕切られた縄張りとなっている。 遺構:曲輪・空堀 |
| 延岡城【続日本100名城】 延岡城【延岡市】 宮崎県を代表する近世城郭。二の丸にある高さ22mの高石垣は「千人殺し」と呼ばれ、ひとつの石を外すと石垣全部が崩れて、千人を殺すことができる仕掛けがあったという伝説が残る。 ![]() 遺構:曲輪・石垣 復元建築:北大手門 | |
![]() | 都城(みやこじょう) 都城【都城市】 伊集院忠棟が島津忠恒に暗殺されたことによって引き起こされた「庄内の乱」の舞台となった城。現在、本丸跡は城山公園として整備。 遺構:櫓台・土塁・腰曲輪・門跡・虎口 移築建築:都城市内 攝護寺に米蔵屋敷門が移築現存 復元建築:模擬大手門 |
![]() | 高城 高城【木城町】 九州最大の合戦「高城川の戦い(耳川の戦い)」では大友宗麟の軍勢の攻撃に耐え、豊臣秀吉の九州征伐の際には1500の兵で羽柴秀長率いる15万の攻撃に耐えた堅城。7重の竪堀も見どころ! 遺構:曲輪・土塁・堀 |







