松代城【日本100名城】
江戸時代、真田信之が上田から松代に移封となり松代藩主となると、松代城を中心に真田10万石の城下町が発展しました。明治の廃城にともない建物が壊されたため、長い間石垣を残すのみでしたが、1981(昭和56)年、新御殿(真田邸)と共に国の史跡に指定されました。その後、長野市により環境整備工事が行われ、2004(平成16)年に櫓門・木橋・石垣・土塁・堀などが復元されました
元は戦国時代、武田信玄と上杉謙信が信濃の覇権を競った川中島合戦で、武田側の拠点として築城されたといわれています。千曲川の流れを外堀とする天然の要塞で、当時は「海津城(かいづじょう)」と呼ばれました。
Contents
松代城の見どころ

松代城の大半が市街地化で失われましたが、本丸を含めて現在も復元整備が進めれています。
2026年時点で武田氏による甲州流築城術の代名詞「丸馬出と三日月堀」が復元工事中です。今後の松代城も注目です!

松代城の城下町には多くの武家屋敷や藩校、松代藩城主の真田邸など当時の雰囲気がそのまま残っています。ここまで屋敷が近接して残っているのは珍しい!
松代城だけではなく風情ある街並みをセットで楽しむのがポイント

戦国時代には川中島で戦国史最大の戦い「第四次川中島の戦い」が、武田信玄と上杉謙信 戦国の両横綱によって繰り広げられました。
死傷者は1万人を超えたともされており、戦国時代で最も激戦となりました。
写真は上杉謙信が陣を張った妻女山。武田信玄はこの松代城(当時は海津城)を拠点としました。
名城スタンプと御城印
※スタンプ設置場所や御城印販売所の場所、営業時間は最新情報をご確認ください。
■日本100名城スタンプ
・真田邸 受付前
・開館時間:9:00~17:00(4月~10月)、9:00~16:30(11月~3月)
■御城印
・松代観光案内所




MEMO
真田邸も観光案内所も松代城から近いですが、城内ではないので注意です。
松代城 周辺の天気
| 別名 | 海津城、貝津城、長野城 |
|---|---|
| 城郭構造 | 輪郭式平城 |
| 天守構造 | なし |
| 築城主 | 武田信玄 |
| 築城年 | 1560年(永禄3年) |
| 主な改修者 | 田丸直昌、森忠政 |
| 主な城主 | 武田氏、上杉氏、田丸氏、森氏、真田氏 |
| 廃城年 | 1873年(明治6年) |
| 遺構 | 石垣、土塁、堀 |
| 指定文化財 | 国の史跡 |
| 再建造物 | 太鼓門、北不明門、土塀、堀、石垣、土塁 |
写真で見る松代城
登城レポート
松代城の歴史
戦国時代・安土桃山時代
松代城の前身 海津城の正確な築城時期は不明である。戦国期、甲斐国の武田晴信(信玄)が信濃侵攻を開始し、着実に領土を併合して北へ目指していく途中、北信豪族を庇護した越後国の長尾景虎(上杉謙信)と北信・川中島地域で軍事衝突した。この武田晴信と長尾景虎の最初の対決、にらみ合いは、その後の北信・川中島地域をめぐる川中島の戦いへと発展した。
この時、千曲川河畔の海津城は川中島地域の拠点城郭として整備された。『甲陽軍鑑』に拠れば武田氏は北信国衆である清野氏の館を接収し、武田家足軽大将の山本勘助に命じて築城され、『軍鑑』に拠れば本城には小山田虎満(備中守)、二曲輪に市川等長・原与惣左衛門が配置されたという。
海津城は東条城・尼飾城とともに上杉氏への最前線に位置する。永禄4年(1561年)9月に上杉氏が川中島へ侵攻すると、海津城の城代である武田家臣・春日虎綱(高坂昌信)は海津城において篭城し信玄本隊の到着を待ち、9月10日には八幡原において戦国期最大の決戦 第四次川中島の戦いが起こる。
天正10年(1582年)3月の武田氏滅亡後には、武田遺領のうち信濃川中島四郡を支配した織田氏家臣の森長可の居城となる。森長可は武田遺臣の子息や近隣の村から人質を集めたが、彼らを住まわせたのがこの海津城、あるいは海津城下であったという。
天正10年(1582年)6月に本能寺の変が起こると森長可は信濃を放棄して退却する事を決断し、海津城の人質を盾にして美濃へと退却し、海津城も無人のまま捨て置かれた。それ以後の海津城は、空白地帯となった信濃へと侵入した上杉氏の支配となった。
天正13年(1585年)上杉氏の支配下では須田満親が城代となる。そして徳川氏の支配を脱して上杉方に従属した真田昌幸の次男真田信繁が人質として留め置かれたとされる。
海津城は甲州流築城術の特徴を強く持ち、武田氏築城の代表的な城の一つである。千曲川を背後に控え、本曲輪を三方から二の曲輪が囲み、甲州流築城術の特徴である丸馬出及び三日月堀を有す。平城としては駿河江尻城が、平山城としては信濃岡城が海津城(松代城)と構造的に非常に似通っている。
江戸時代
1600年(慶長5年)2月に田丸直昌4万石と領地を交換する形で森忠政が13万7500石で兄の森長可所縁の土地へ入封し、同時に豊臣家の蔵入地9万石は廃止された。この時、海津城は「待城」(まつしろ)へと城の名称が変更された。1603年(慶長8年) 森忠政は美作一国(津山藩)18万6500石へと加増転封され、松平忠輝が14万石(12万石?)で入封した。
忠輝は加増されて越後高田藩主75万石となるが旧領も引き続き領有したため、家老花井吉成が城代として統治して領内の整備に尽力した。1616年(元和2年)松平忠輝改易。代わって松平忠昌が12万石で入り、この忠昌領主時代に待城から「松城」へと改名された。
1619年(元和5年)松平忠昌、越後高田25万9000石へ転封。酒井忠勝10万石が入封。1622年(元和8年)酒井忠勝、出羽国庄内藩13万8千石に転封。真田信之が13万石で入城。以後、松城は松代藩の藩庁として明治維新まで真田氏の居城となった。松代城は松代藩の政治の中心となったが、商人たちは善光寺門前から動こうとしなかったため松代城下は商業の中心地にはならなかった。
MEMO
1711年(正徳元年)幕命により松代城と名を改められ、現代に至るまで松代城として親しまれている。
近世
1872年(明治5年)、松代城は廃城となり、跡地は藩士に払い下げられ畑に変えられた。1873年(明治6年)火災により再び花の丸御殿を焼失し、多くが宅地となった。北西に戌亥隅櫓台(天守台)があるが天守相当の櫓は近世初頭には失われたようで、本丸には幕末まで四隅に二重櫓が上がっていた。
1879年(明治12年)、旧花の丸の一部に「松代城花之丸旧跡」という石碑が建てられた。1904年(明治37年)藩士に分け与えられていた土地を真田幸正が買い取り、本丸跡地を遊園地として開放した。1921年(大正10年) – 松代町長・矢沢頼道により「松代開府300年祭」が行われ、本丸に「海津城址之碑」が建立された。1925年(大正14年)海津城址公園内に4000円の巨費を投じ噴水、番所を建設し、掃除人を常駐させ公園の維持管理に努めた。
1922年(大正11年)敷地内を河東鉄道によって鉄道が開業している。その後、二の丸に市民プール、グランドが整備された。1951年(昭和26年)真田幸治により本丸が寄付され、公用地となった。1964年(昭和39年)本丸を中心とした城址の一部が県の史跡に指定された。1981年(昭和56年)本丸を中心とした城址の一部と新御殿が国の史跡に指定された。
2004年(平成16年)太鼓門、堀、石垣、土塁などが復元された。2006年(平成18年)4月6日に日本100名城に選定された。石場門の木造復元と二の丸掘、馬出しの復元計画がある。
縄張り
■輪郭式 平城
・現在残っている曲輪は本丸と、本丸を囲む水堀と二の丸がの残る。

※松代城内 解説板より
動画で見る松代城
マップ
アクセス
■公共交通機関
・JR長野駅から松代行きバス約30分「松代駅」下車+徒歩5分
・しなの電鉄 屋代駅から松代行きバス約30分「松代駅」下車+徒歩5分
■車
・長野ICから約2km 車で5分
MEMO
公共交通機関で上田城とセットで攻略するのであれば、上田駅→屋代駅まで電車で約20分。屋代駅から路線バスで向かうと便利です。バス本数が限られているので事前にチェックしてみて下さい!
松代城 周辺スポット
真田邸

九代藩主・真田幸教が、1864年に建築した松代城の城外御殿で、当時は「新御殿」と呼ばれていました。
主屋、表門、土蔵7棟、庭園が江戸末期の御殿建築の様式をよく伝え、建築史の視点からも貴重な建物であり、松代城と一体のものとして国の史跡に指定されています。
文武学校

松代藩校の文武学校は1855年に開校。当時は200人を超える生徒が通っていました。
ほぼ当時のまま建築物が完存している全国でも珍しい貴重な遺構です。1953(昭和28)年に国の史跡に指定されています。
旧白井家表門

松代町内の表柴町にあった松代中級藩士・白井家の表門を、2000年に現在の場所に移築復元しました。
1846年に建てられた三間一戸形式の長屋門で、20メートルもの広い間口、出窓、見張り窓など、松代城下の武家屋敷の長屋門の特徴を表しています。
樋口家住宅

城の正面口にあたる大御門(大手門)や新御殿(真田邸)に近いこの界隈は、上級武士が多く住む武家屋敷町でした。樋口家はその中でも中心的な位置にあり、藩の目付役なども務めた家柄です。
主屋、土蔵、長屋の3棟が長野市の文化財(建造物)に指定されています。
松代城 周辺宿泊施設

松代城 周辺グルメ
長野県の城を攻める
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