岡山県

「岡山」とは、もともと現在の岡山城のある場所に存在した小高い丘のことを指して呼んだものであったが、戦国時代に宇喜多秀家が「岡山」に城を築き、その後形成された城下町を含めて岡山と呼ぶようになったことに由来する。

宇喜多秀家は備前・備中・美作3国守護の座に就き、秀吉の許しを得て「岡山」に築城し、商人を備前福岡から呼び寄せるなど、城下町が形成されていった。

秀家はその後、慶長5年、関ヶ原の戦いで西軍が敗れ、豊臣家五大老のひとつの地位を占めていた宇喜多氏は所領没収のうえに八丈島に流された。

備中には小早川氏改易のあと、一国を管轄する藩が置かれず幕領と大名領・旗本領が錯綜した。備中松山藩を筆頭に、足守藩・庭瀬藩・新見藩、岡田藩、浅尾藩・岡山藩の支藩である岡山新田藩(鴨方藩)および岡山新田藩(生坂藩)が成立した。

幕末期になり薩摩藩や長州藩による倒幕の動きが広がると、外様であった岡山藩は勤皇派に、親藩・譜代であった津山藩・備中松山藩は佐幕派に分かれた。

戊辰戦争の際には当時の藩主である板倉勝静が老中職にあった備中松山藩を朝敵として岡山藩などが攻撃を加えた。

岡山県

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岡山城【日本100名城】: 34.665216, 133.936064
備中松山城【日本100名城】: 34.809151, 133.622364
鬼ノ城【日本100名城】: 34.727632, 133.767895
津山城【日本100名城】: 35.062821, 134.004804
備中高松城【続日本100名城】: 34.691099, 133.822145
撫川城(なつかわじょう): 34.642816, 133.847283
下津井城(しもついじょう): 34.438814, 133.785431
三石城: 34.807575, 134.270697
岩屋城: 35.076106, 133.835320
庭瀬城: 34.643204, 133.849252
常山城: 34.526323, 133.887548
徳倉城(とくらじょう): 34.782263, 133.880682
天神山城: 34.849417, 134.126759
金川城(かながわじょう): 34.803831, 133.931665
富山城(とみやまじょう): 34.670576, 133.887119
猿掛城(さるかけじょう): 34.609599, 133.638039
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岡山城【日本100名城】
岡山城【岡山市】

豊臣政権 五大老の一人、宇喜多秀家が築城した漆黒の天守。安土城をモデルにしたとも言われており、豪華絢爛な天守だった。しかし、天守は空襲により焼失。昭和に鉄筋コンクリート造で再建された。



遺構:石垣、堀、月見櫓、西の丸西手櫓

国の重要文化財:月見櫓・西の丸西手櫓

復元建築:外観復元天守・外観復元門・外観土塀
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備中松山城【日本100名城】
備中松山城【高梁市】

標高430mに築城された雲海に浮かぶ「天空の山城」。現存12天守の中では唯一の山城であり、日本三大山城のひとつでもある。忠臣蔵で有名な赤穂浪士・大石内蔵助も訪れており、山頂にのぼるルートには大石内蔵助の腰掛け石がある。



遺構:現存天守・櫓・塀・石垣・土塁

国の重要文化財:月見櫓・西の丸西手櫓

復元建築:櫓・門・塀
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鬼ノ城【日本100名城】
鬼ノ城【総社市】

鬼ノ城は大和政権により国土防衛のために築かれた古代山城。鬼ノ城の存在は文献にも無く、その真相は未だに解明されていない謎の山城。現在も史跡の調査や整備を行っており、西門と土塁、石垣が復元されている。



遺構:石塁・土塁・水門・敷石

復元建築:城門・角楼・土塁
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津山城【日本100名城】
津山城【津山市】

梯郭式の日本三大平山城。巨大城郭で、当時は姫路城や広島城より多い櫓が建てられていた。2005年には築城400周年を記念して備中櫓が復元。現在は鶴山公園として桜の名所となっており、日本さくら名所100選にも選ばれている。



遺構:石垣・堀

復元建築:備中櫓・土塀
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備中高松城【続日本100名城】
備中高松城【岡山市】

備中七城のひとつで、羽柴秀吉による日本三大水攻めに数えられる「備中高松城の戦い」の舞台でもある。この戦いの最中に「本能寺の変」が起きたため、秀吉はここから有名な「中国の大返し」で近畿に引き返している。



遺構:水攻め堰堤の一部・石積みの一部
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撫川城(なつかわじょう)
撫川城(なつかわじょう)【岡山市】

三村家親が宇喜多直家に備えるために築かせた城だと伝わる。「備中兵乱」で三村氏が滅亡してからは毛利氏の出城となる。1582年羽柴軍に敗れた後は宇喜多氏の領有となり廃城となる。江戸時代に入って戸川達冨が城の跡地に撫川陣屋を設けた。

遺構:石垣・堀・知行所総門
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下津井城(しもついじょう)
下津井城(しもついじょう)【倉敷市】

宇喜多秀家が岡山城の出城として築いた城。江戸時代初期に池田忠継が岡山藩主となった際には4年がかりで改修を行った。一国一城令が出された後も存城を認められたが、1639年に廃城となる。岡山県内では数少ない貴重な近世城郭の遺構である。



遺構:石垣・土塁

移築建築:正福寺に城門・遍照院には兵糧蔵が移築
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三石城
三石城【備前市】

三石城は赤松氏の重臣、浦上氏が代々居城とした城で、播磨と備前の境目の城だった。現在は土塁や堀切のほか、大手虎口周辺には石垣も残っており、出土した備前焼大甕や小皿の一部が備前市歴史民俗資料館に展示されている。

遺構:曲輪・石垣・土塁・堀切・井戸・池
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岩屋城
岩屋城【津山市】

岩屋城は山名氏、赤松氏、浦上氏、尼子氏、宇喜多氏と美作の領主に支配された城。現在も遺構が良好に保存されており、巨大な畝状竪堀群や大堀切などが残っている。また周囲には1584年に宇喜多氏が攻撃した際の陣城群も確認できる。

遺構:曲輪・土塁・石垣・堀切・畝状竪堀
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庭瀬城
庭瀬城【岡山市】

撫川城と同様に三村氏が宇喜多直家に備えるために築いた城。関ケ原の戦いで宇喜多氏の家臣であった戸川達安は主家の意向に反して東軍に属す。戦功を挙げたことにより備中庭瀬に3万石を与えられ、庭瀬城を取り込む形で拡張し、庭瀬陣屋として整備した。

遺構:石垣・堀
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常山城
常山城【玉野市】

宇喜多秀家の家臣である戸川秀安が城主となり、さらに「関ケ原の戦い」後に宇喜多氏が改易となったため、小早川秀秋の家臣の伊岐真利が城主となる。現在城址は「常山公園」として登山道が整備されており、空堀などの遺構を確認することができる。

遺構:曲輪・石塁・空堀・井戸
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徳倉城(とくらじょう)
徳倉城(とくらじょう)【岡山市】

宇喜多直家によって松田氏が滅ぼされると遠藤河内守が城主となり、河内守が岡山城へ移ったあとは城番が置かれていた。関ケ原の戦い後に廃城となる。野面積みの石垣や数百mにおよぶ空堀などの遺構が残っている。

遺構:曲輪・石垣・石塁・土塁・空堀・堀切・井戸
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天神山城
天神山城【和気町】

浦上村宗の次男、浦上宗景の居城。宗景は織田信長と結びますが、これに反対した重臣の宇喜多直家は独立し、1575年の天神山城の戦いで直家に攻められ落城。土塁や空堀、石垣の遺構も残っている。

遺構:曲輪・石垣・井戸・堀切・侍屋敷
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金川城(かながわじょう)
金川城(かながわじょう)【岡山市】

備前西部を支配した戦国大名、松田元成の居城。1568年宇喜多直家によって攻められ落城。関ケ原の戦いで宇喜多氏が改易となり、小早川秀秋が入封すると廃城となる。備前国最大級の規模を誇る山城だった。

遺構:石垣・土塁・曲輪・堀・井戸
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富山城(とみやまじょう)
富山城(とみやまじょう)【岡山市】

この周辺の勢力争いの激しさを反映して、富山氏以降、松田氏、宇喜多氏、小早川氏と度々城主が変わっている。関ケ原の合戦後に小早川秀秋が入封し廃城。いくつかの資材が岡山城に移築された。

遺構:曲輪・土塁・石塁・堀切
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猿掛城(さるかけじょう)
猿掛城(さるかけじょう)【矢掛町】

庄氏・三村氏・毛利氏による備中の覇権争いの舞台となった城。1582年の羽柴秀吉による高松城水攻めの際には、毛利輝元の本陣として使われている。現在も土塁や石積みなどの遺構が残っている。

遺構:曲輪・石垣・土塁・堀切・竪堀