横須賀城

横須賀城(よこすかじょう)は、遠江国城東郡横須賀(静岡県掛川市西大渕)に戦国時代から江戸時代にあった日本の城(平城)。
別名 | 松尾城、両頭城 |
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城郭構造 | 平城 |
天守構造 | 不明、3重4階(1578年築) 4重4階 構造は半分が土塁の上、半分が下にある特殊な構造だったと予想される |
築城主 | 大須賀康高 |
築城年 | 天正6年(1578年) |
主な城主 | 大須賀氏、渡瀬繁詮、大須賀氏、西尾家、他 |
廃城年 | 明治元年(1868年) |
遺構 | 石垣、曲輪、水堀、移築櫓他 |
指定文化財 | 国の史跡 |
概要
天正6年(1578年)、武田家の高天神城を締め付ける付城群の中核として、徳川家康が大須賀康高に命じて築いた城郭である。
大須賀家2代の後、渡瀬家1代、有馬家1代、その後、再び大須賀家2代となるが除封され、能見(松平)家2代、井上家2代、本多家1代とめまぐるしく藩主が代わり、西尾忠成が2万5千石で入封し、以後7代をもって明治維新を迎える。
西尾家歴代の藩主のなかで忠尚は名君の誉れ高く、若年寄を務め5千石加増され、都合3万5千石になり、老中も務めている。
城郭の特徴
横須賀城の特徴は他に類を見ない、天竜川より運ばれた玉石垣を用いた築城法である。天守閣は四層四階であった。宝永地震のため湊が隆起してしまい、用水路を作ってしのいだ。
遺構
石垣、堀、土塁などが残り、現在公園として整備されている。国の史跡に指定されている。
また、不開門が城跡の北西にある撰要寺に、町番所が市役所大須賀支所北側に、それぞれ移築され現存している。これらのうち、横須賀城の鯱瓦と鬼瓦は、掛川市文化財に指定されており、恩高寺に残されている。
このほか、袋井市の油山寺には旧御殿の一部が移築されている。
歴代城主
- 大須賀康高(1580年 – 1588年)
- 大須賀忠政(1588年 – 1590年)
- 渡瀬繁詮(1590年 – 1595年)
- 有馬豊氏(1595年 – 1600年)
- 大須賀忠政(1601年 – 1607年)
- 大須賀忠次(1607年 – 1615年)
- 徳川頼宣(1615年 – 1619年)
- 松平重勝(1619年 – 1620年)
- 松平重忠(1621年 – 1622年)
- 井上正就(1622年 – 1628年)
- 井上正利(1628年 – 1645年)
- 本多利長(1645年 – 1682年)
- 西尾忠成(1682年 – 1713年)
- 西尾忠尚(1713年 – 1760年)
- 西尾忠需(1760年 – 1782年)
- 西尾忠移(1782年 – 1801年)
- 西尾忠善(1801年 – 1829年)
- 西尾忠固(1829年 – 1843年)
- 西尾忠受(1843年 – 1861年)
- 西尾忠篤(1861年 – 1868年)