深大寺城

深大寺城は室町時代に南関東で勢力補もった扇谷上杉氏の城と考えられている。15世紀末 山内上杉氏と扇谷上杉氏の抗争の中で、扇谷上杉氏の主要拠点を結ぶ役割を果たした。
小田原北条氏が関東で勢力を拡大をすると、小田原北条氏に対抗する城として16世紀前半に上杉朝定が再築した。

平成17年(2005)に第3郭内の宅地造成計画に伴う調査で空堀や土橋が発掘されたことが契機となり、北条方による改変を受けずに扇谷上杉氏系の築城技術を残す希少な城館跡であり、都心近郊にありながら腰郭、土塁、空堀などの遺構が良好な形で残っていることが再評価され、2007年7月26日に第1郭、第2郭、第3郭南側斜面の一部に第3郭の空堀の一部を加えた約24,000平方メートルの地区が新たに国の史跡として指定されました。

深大寺城の見どころ

遺構ポイント

都内では珍しく土塁や空堀が良好な状態で残っています。扇谷上杉氏の遺構は、次の時代に改修されていることが多い中で、深大寺城では扇谷上杉氏時代の遺構が残る貴重な城です。

観光ポイント

深大寺城の近くには深大寺と参道があり、古き良き雰囲気を味わいながら、併せて観光も楽しめます。

御城印

※スタンプ設置場所や御城印販売所の場所、営業時間は最新情報をご確認ください。

■御城印
・渋沢×北区 飛鳥山おみやげ館で2024年に購入済み

深大寺城 周辺の天気

城郭構造連郭式平城
天守構造なし
築城主狛江氏か
築城年不詳
主な改修者扇谷上杉氏
主な城主難波田氏
廃城年天文6年(1537年)
遺構曲輪、土塁、堀
指定文化財国の史跡

写真で見る深大寺城

第2郭土塁と空堀
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第2郭土塁と空堀
第2郭土塁と虎口
第2郭 二重の土塁
神代植物園
第2郭建物跡
土橋と空堀
土橋と空堀
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レポート

深大寺城について

南方の野川を水濠、西方を除いた三方を沼地とし、西方に空濠を三段に構えて三郭・二郭・主郭を配した直線連郭式城郭である。主郭は東西50m・南北90mほどで、全周を土塁で囲み、北と南に平虎口を設け、北虎口は土橋を経て二郭に、南虎口は東の腰郭に通じると共に西の空濠からの侵入に備えている。特に、北西端の櫓台は重要部署で、北虎口と二重土塁の空濠に加え二郭全体を監視している。

二郭は東西50m・南北120mほどで、南の土塁中央に平虎口を設け、西の土塁は復元されたものである。北端のテニス倶楽部への進入道路が二郭・三郭間の空濠跡で、南端で竪濠として落とされている。

三郭は東西100mほどで、宅地化で遺構は失われている。二郭側の土塁は一部復元されて園内に留められ、西方の空濠は道路になっているが、南側の切岸は往時のままと思われる。

※城郭内の案内看板より

1郭・2郭・3郭と腰郭からなる構造でしたが、現在3郭は破壊されてテニスコートと住宅となっている。

縄張り

※深大寺城内 案内看板より

歴史

東京都及び調布市教育委員会は発掘調査を重ねており、築城者は不明だが、15世紀には「ふるき郭」が築かれていたようだ。 16世紀に入って北条氏は相模に進出し、扇谷上杉氏は南武蔵の防衛ラインとして「ふるき郭」を活用している。大永4年(1524年)1月、江戸城を北条氏綱に攻略された扇谷上杉朝興は、巻き返しを図るため、居城の河越城から頻繁に南武蔵に出撃。
享禄3年(1530年)6月、朝興は深大寺城に、北条氏康は多摩川対岸の小沢城に陣を敷き、小沢原で合戦になった。この深大寺城は「ふるき郭」と思われる。扇谷上杉方としては、北条勢を多摩川で食い止め、かつ江戸城奪還を図るため、天文6年(1537年)4月、13歳で父・朝興の跡を継いだ上杉朝定は難波田弾正広宗に命じて深大寺城を増築した
しかしながら、同年7月、氏綱は深大寺城を迂回して河越城を直接攻め、朝定が松山城に敗走したため、深大寺城の軍事的価値が失われた。その後、この地が北条氏の支配となったが、深大寺城の記録が見当たらないので、廃城になったようである。

廃城後

扇谷上杉勢を北に追いやった北条方にとって、多摩川左岸の深大寺城は小田原城の防衛には不要になった。その結果、城が手付かずで残り、城郭史上、貴重な遺構になっている。例えば、深大寺城と同形の片倉城(八王子)は扇谷上杉氏が北条氏に備えて築いたが、北条氏の手で改修されて北条氏の城という位置づけになっている。

天文初期、敵兵を空濠に誘導して矢で殲滅する「扇谷上杉氏の城」は、「平虎口」「横矢が弱い」「切岸が緩い」など戦国期における築城技術の進化途上にある。北条氏が合戦を通して扇谷上杉氏などの城郭を改修し、北条流築城技術を完成させているのは疑う余地はないといわれる。

平成10年(1998年)に東京都指定史跡となり、平成19年(2007年)7月26日付けで国の史跡に指定された。

管理人:つぶやき城ー
管理人:つぶやき城ー

MEMO
都心からも近く、観光スポットとして有名な深大寺。「深大寺そば」は有名で参道近辺には20軒ほど蕎麦屋があります。深大寺城の曲輪にも蕎麦が植えられており、年に2回 花を咲かせます。

マップ

アクセス

公共交通機関
・京王線・布田駅から徒歩20分
・京王線・調布駅から京王バス「深大寺行き」に乗り「深大寺」バス停で下車
・JR中央本線・三鷹駅から小田急バスに乗り「深大寺」バス停下車
・JR中央本線・吉祥寺駅から小田急バスに乗り「深大寺」バス停下車

■車
・中央自動車道・調布ICから10分

深大寺城 周辺スポット

浮岳山 深大寺

「深大寺」は浅草の浅草寺に次ぐ、東京の古刹(こさつ)。東日本最古の仏“釈迦如来像”を有し、2017年9月15日には国宝に指定。
複数の湧き水があり、その豊富な湧き水が蕎麦の栽培に適していたこと、水車を利用した製粉ができたことで、深大寺周辺では蕎麦が名物になったのだそう。

→マップ

深大寺城 周辺宿泊施設

深大寺城 周辺グルメ

深大寺といえばやはり蕎麦。深大寺そば組合のHPを見ればお店の情報やマップが確認できます。

→深大寺そば組合

東京都の城を攻める

東京都

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石神井城(しゃくじいじょう): 35.737303, 139.595997
江戸城【日本100名城】: 35.688324, 139.754291
八王子城【日本100名城】: 35.652945, 139.252127
滝山城【続日本100名城】: 35.701536, 139.328490
品川台場【続日本100名城】: 35.633555, 139.772058
深大寺城(じんだいじじょう): 35.664584, 139.551258
世田谷城: 35.646033, 139.647571
奥沢城: 35.607574, 139.661175
赤塚城: 35.784582, 139.643226
片倉城(かたくらじょう): 35.639908, 139.337121
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石神井城(しゃくじいじょう)
石神井城【練馬区】
豊島氏の居城で1477年(文明9年)に江戸城主・太田道灌に攻められ落城。現在は石神井公園として整備され内郭の空堀と土塁がわずかに残っている。



遺構:水濠・土塁・空堀
縄張り:平山城(都指定史跡)

石神井城データベース
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江戸城【日本100名城】
江戸城【千代田区】
天下普請で徳川家康が築城した、江戸幕府の拠点となる日本一の巨大城郭。芸術的な石垣や天下の城に相応しい城門や櫓が残る。



遺構:伏見櫓・富士見櫓・桜田巽櫓・多門櫓・外桜田門・清水門・田安門・番所・石垣・天守台・壕
復元建築:大手門
国重要文化財:桜田門、田安門、清水門
縄張り:渦郭式 平山城(国指定特別史跡)

江戸城データベース
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八王子城【日本100名城】
八王子城【八王子市】
北条氏の居城小田原城の支城で北条氏照が築城。北条氏最大規模の城であったが、小田原征伐の際には豊臣軍と大激戦となり落城。



遺構:曲輪・御主殿跡・石垣・土塁・井戸・堀切
復元建築:曳橋
縄張り:山城(国指定史跡)

八王子城データベース
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滝山城【続日本100名城】
滝山城【八王子市】
北条氏照の居城として知られ、多摩川や秋川を堀に利用した天然の要害で、関東随一の規模を誇った。現在も遺構が良好な状態で残っている。



遺構:曲輪・堀・土 塁・虎口・馬出
縄張り:連郭式 山城(国指定史跡)

滝山城データベース
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品川台場【続日本100名城】
品川台場【品川区】
江戸幕府が外国船に対抗するために建造した砲台場。おしゃれタウンお台場に残る江戸時代の貴重な遺構。



遺構:土塁・石垣・砲台
縄張り:陵保式  台場(国指定史跡)

品川台場データベース
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深大寺城(じんだいじじょう)
深大寺城【調布市】
扇谷上杉氏の城で、関東に勢力を拡大した北条氏に対抗する城として再築された。都内では貴重な遺構が多く残る。



遺構:曲輪・土塁・横堀(空堀)・虎口・土橋
縄張り:平山城(国指定史跡)

深大寺城データベース
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世田谷城
世田谷城【世田谷区】
応永〜室町期に居館を整備、戦国期には城郭として機能した。1590年の小田原征伐で廃城。世田谷城の石材は江戸城改修に使用されたと伝わる。



遺構:曲輪、土塁、横堀(空堀)
縄張り:平山城(都指定史跡)
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奥沢城
奥沢城【世田谷区】
世田谷城の出城で、1590年に行なわれた豊臣秀吉による小田原征伐で廃城。九品仏浄真寺境内に当時の土塁が現存している。



遺構:土塁
縄張り:平城
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赤塚城
赤塚城【板橋区】
千葉自胤によって築城されたと伝わる城。赤塚千葉氏は北条氏の有力な家臣として活躍したが、1590年の小田原征伐によって北条氏が滅亡すると赤塚城も廃城となった。



遺構:ー
縄張り:平山城
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片倉城(かたくらじょう)
片倉城【八王子市】
戦国時代には滝山城を本城とする大石氏の領地となったが、北条氏に服属し北条氏照が滝山城に入ると片倉城は滝山城の支城となった。空堀、土塁、土橋、櫓台などの遺構が残っている。



遺構:空堀・土塁・土橋・櫓台
縄張り:平山城(都指定史跡)