【千葉県】大多喜城

CASTLE DATA FILE.21
登城日:2023年11月23日
交通手段:館山自動車道「木更津北IC」から車で約55分
ステータス:続日本100名城・県指定史跡
ジャンル:連郭式 平山城
遺構:土塁・空堀・井戸
スタンプ:いすみ鉄道「大多喜駅前観光本陣」で押印
御城印:いすみ鉄道「大多喜駅前観光本陣」で購入

徳川四天王 本田忠勝が10万石で入城し、近世城郭に改修。

千葉県城めぐりの旅、ラスト4城目は大多喜城。
ここまで、ほぼ全てが計画通り1泊2日の旅。

千葉県には82城もの城跡があると言われています。
尋常ではないほどの城の中で、日本100名城に選出されているのは下総国の佐倉城のみ。

続100名城に選出されているのは、同じく下総国の本佐倉城、そして上総国の大多喜城になります。

今回の旅の目玉はやはり最後の大多喜城です。
久留里城から大多喜城まで車で移動。紅葉シーズンなので、道中至る所で観光の方が多くいました。

大多喜城は里見氏が惣無事令の違反を名目に上総を没収された後、徳川家康がこの一帯を支配。
そして、徳川四天王の本多忠勝が初代大多喜藩として城主となり、大多喜城は近世城郭に生まれ変わりました。

その後、本多家→阿部家→青山家→稲垣家→松平家と城主は変わるものの、明治維新まで生き残りました。

大多喜城入口。広めの無料駐車場も完備しているので、車の方も安心です。

まず先に現れるのは県内最古の水道水路跡があります。
最後の城主、松平正質の代に考えられたそうです。

岩を切り裂いたような穴で、覗くと遠くに出口の穴が見えます。
全長5.8km、その内4kmがトンネル内を通っています。

次に見えてくるのは空堀です。上には二の丸公園があります。

帰って調べて初めて気付いたのですが、二の丸公園という名ですが、二の丸があった場所ではありません。二の丸跡は山の麓にあります。
岩盤を削り落としたような崖になっています。

二の丸公園に向かいます。
岩山を切り取ったような、この間を抜ければ二の丸公園となります。

これが後世に通された道なのかは不明ですが、人工的に切り通されているのは間違いなさそうです。
見た目は完全に中世城郭の虎口ですが真相は謎です。

虎口のような切通しを登り、周り込むと曲輪になります。突き出した先端は、虎口のような切通しの端部です。

二の丸公園は広場になっています。

縄張り図を見ると八幡社出丸と書いてありました。
割と広い曲輪なので、本丸西側を防衛するための曲輪だったと考えられます。

本丸も急な崖になっています。
江戸時代にも使われていた城ですが、山城のような防御機能が備わっています。

本丸は標高70m。大多喜城は連郭式の平山城で、藩の政庁や御殿は山の麓にある二の丸にありました。
本丸跡には土塁も残っています。

本丸には資料展示している建物があり、甲冑なども観覧できます。

真ん中は城主を務めた本多忠勝の甲冑。甲冑を支える台は真田六文銭。本多忠勝の娘は真田信之に嫁いでいるので、有りと言えば有り?

千葉県にある城跡の地図。この数には圧倒されます。
里見家、北条家、上杉家、千葉家、徳川家など有名な家柄が、この地を治めたり激戦を繰り広げたので、興味深い県です。

本丸跡には現在、復興天守がありますが2022年からは入ることができません。
本多忠勝時代に三層三階の天守が築かれたとされていますが、その後焼失。
1835年の図面と映し絵を参考に1975年に鉄筋コンクリート構造で復元。

実際に天守が築かれたのか結論が出ていない為、この天守が復興天守か模擬天守かは今でも議論となっています。
しかし、大多喜町のシンボルとなっていることは間違いありません。

大多喜城の見どころは、城の麓にある大多喜高校の中にあります。
大多喜高校は当時の二の丸、グラウンドが三の丸でした。

大多喜城の唯一の現存とされる薬医門が大多喜高校内に移築保存されています。
一般の方も普通に学校に入って観覧することができます。

ワタクシは祝日に行ったので、部活をしている学生しかいませんでしたが、平日なら多くの学生がいる中で観覧することになります。

今は学生さんのための敷地なので、最大限のマナーを持って観覧します。

城の門には幾つかの種類がありますが、大多喜城は薬医門。

薬医門の特徴は横から見た時に分かります。
妻側(側部)が切妻屋根を乗せたような作りになっています。

薬医門は鎌倉時代から室町時代の武家屋敷でよく使われていたようです。
大多喜城の二の丸御殿の門が一度は売却されましたが、再びこちらに移築されました。

さらに大多喜高校の薬医門を先に進むと、井戸があります。

こちらは本多忠勝が築城の際に掘らせた井戸とされています。
底知らずの井戸と呼ばれ、周囲17m深さ20mで当時は日本一の大井戸だったそうです。

井戸から見上げると天守がそびえます!
高校の校舎と天守のコラボもなかなか良いショットです。

下から見る天守もカッコいい。不思議な雲。

高校側からも本丸に登る事ができます。
ワタクシが登城した駐車場側からのルートは、駅からぐるりと周ることになるので、公共交通機関を利用する場合は大多喜高校から登城すれば、かなり時間短縮になります。

一度山を降りて、大多喜町の駅の方に向かいます。
電車の脇には現在の大手門があります。
街をあげての雰囲気作りは本当に素晴らしい。いすみ鉄道のレトロな電車とのコラボは格別です。

当時の大手門は駅の裏側にありましたが、現在は石碑があるのみで、その姿を見ることはできません。

大多喜町は房総の小江戸と呼ばれていて、昔ながらの建物や街並みなど魅力的なスポットが残っています。

城下町の雰囲気があって素晴らしい。
やはり大多喜町としては全面的に本多忠勝推し。

本多忠勝は1590年に10万石で大多喜城の城主になり、桑名城に転封するまでの11年間在城しました。
大多喜城の礎は本多忠勝によって築かれたとされています。 

御城印や続日本100名城スタンプは大多喜駅前の大多喜城観光本陣にあります。

最後は大多喜町の中心部をぶらりと散歩し、食事をして2日間の素晴らしい旅は終わりました。

千葉県はとにかく広いので、電車での移動はやや困難かもしれませんが、車でなら近い距離に幾つも城跡が存在するので、計画的に行けば周りやすいです。

行政が動かないと、城は世間一般的には忘れ去られた存在となってしまいます。

しかし、どの城跡にも分かりやすい遺構の看板があったり、模擬であっても何かしらの復元がなされていたり、各エリアでしっかりと観光の起爆剤として行政が力を入れている印象でした。

今回の城めぐりでは山城の魅力に気付くことができました。

アクアラインからの一枚。
雲がなくなり富士山がクッキリ!

ランチでは観光の方にも大人気の、「とんかつ亭有家」さんでランチを頂きました。
創業1981年の老舗で、行列ができていました。

人気メニュー、わらじとんかつ定食に海老フライを単品オーダー。
衝撃的な大きさのとんかつ!

写真以上に大きいです!
しかし、三種類のソースがあるので味変しながら余裕で完食。

エビフライも大きく、プリッとして最高でした。