利府城@宮城県

先日行った千葉県の稲村城以来、地形を生かした山城の魅力にハマったワタクシは宮城県に再びやってきました。

今回は利府城に登城です。

利府城は宮城県利府町にあるお城で、伊達政宗の叔父にあたる伊達政景、後の留守政景が居城としていたお城です。

位置としては仙台城からは車で30分ほど。多賀城からは車で10分少々で着く場所にあります。

利府町では土器が出土していたり、古墳などもあるので、小さな町ですが歴史のある興味深いエリアになります。

利府城は現在、館山公園として整備されています。

大きく分けて二つの登城口があります。

一つは麓にある利府小学校側から登城するルート。もう一つは山の完全に反対側から登城するルート。

自転車を借りて到着したワタクシは駐車場に停めて、山の真ん中を抜けるルートで向かいました。

地図の左側が本丸跡で、右側が二の丸もしくは三の丸跡ではないかと思います。

残念ながら公園としての記載しかないのですが、曲輪の形がくっきりとしています。

杉の木の林を抜けていきますが、道がしっかり整備されているので登りやすく素晴らしい。

林を登り切ると、アスファルト整備された道に出ます。まずは登り切って右手の二の丸?三の丸?らしき方に進みます。

分かりやすい土塁。

曲輪の形がくっきりとして美しいです。

この上には二の丸か三の丸かは不明ですが内郭があります。

曲輪の先端。今は公園です。

左手が登ってきた道。右側は切岸のような急な崖になっています。

さらに一段登ると、広い曲輪が広がります。

しっかりと整備されているので、曲輪の形も綺麗に写真に納めることができます。

一旦戻り登城した道の左手、本丸の方へ進みます。

こちらにも土塁がしっかりと残ります。

段になっていて、右手には小学校からの登城口との合流地点になります。

そして、この先には本丸があります。

本丸に向かい、振り返っての一枚。

右手の上には本丸跡があります。

一際大きな土の壁。

山を削ったような勾配で、ここを登って攻めるのはまず無理かなと思います。

もう少しで本丸跡です。

いくつもの食い違いの虎口があり、ここも見どころの一つです。

ここが最後の坂。ここを登りきればやっと本丸跡。

標高90m程の低めの山ですが、見どころは満載です。

振り返っての一枚。

公園なので山頂付近にはトイレも完備されています。

本丸跡に到着。

かなり広めの曲輪。今は桜の名所になっていて、春にはお花見する方が多いです。

実は何度も登城している城なのですが、公園としての利用であって城として見たことがなかったので、改めて城目線で見ると曲輪の形がとても分かりやすく感動します。

行政の指定史跡になっていない城ですが、ちゃんと発掘調査もして遺構が出土しています。

山頂からの景色。

この先には仙台城があります。

多賀城や太平洋も一望できる素晴らしいスポット。

別角度からの本丸跡。

こちらは本丸から直接切り落としているので、戦の際このエリアから攻め込むのは無理ですね。

下は無料の駐車場になっています。

利府小学校側の道から降城します。
麓には利府城跡の大イチョウの看板があります。

以前来た時はありませんでした。

少し険しい獣道を進むと巨大なイチョウの木があります。
足元には黄色く色づいたイチョウの葉が、絨毯のように彩ります。

森の静けさと圧倒される自然のスケール感は、まるで秘境です。

なんかこの一帯だけ空気感が違うので、きっとパワースポットだと個人的には思っています。

この紅葉の季節に来れたことは、とてもナイスなタイミングでした。

堀切のような堅堀のようなものを森の中で発見しました。

これで当時の遺構かは不明ですが、こういったものを探すのも山城の楽しみの一つだと思っている。

仙台の武将といえばやはり伊達政宗が圧倒的に人気ですが、当然ながら伊達家を支えた武将はたくさんいます。

留守政景は留守氏の養子になり、この利府城を居城としましたが、豊臣秀吉の天下統一の大一番、小田原合戦に参陣しなかった為に領地を没収されます。

しかしその後も甥の伊達政宗を支え、関ヶ原の合戦では伊達政宗の命によって伊達軍総大将として、上杉軍と戦っていた最上義光を救援。

長谷堂城の戦いで戦果を上げました。

そして再び伊達姓に戻り、現岩手県の一関二万石を与えられます。

長男は水沢城主となり、伊達一門となり水沢伊達家の祖となりました。

戦国の歴史は西国だけではなく、東北も熱いです。

小学校側から見た利府城。

大イチョウがハッキリと分かります。

城から学ぶ戦国の歴史。

貴重な遺構が大いに残っている利府城でした。