【宮城県】利府城

CASTLE DATA FILE.22
登城日:2023年12月2日
交通手段:JR利府駅より自転車で10分
ステータス:ー
ジャンル:山城
遺構:曲輪・土塁・土塁・切岸
スタンプ:ー
御城印:お城EXIPO2023「至誠堂」ブースで購入

伊達政宗の叔父 留守政景の居城。豊臣秀吉の奥州仕置きで廃城

先日行った千葉県の稲村城以来、地形を生かした山城の魅力を気付いたワタクシは、宮城県に再びやってきました。

今回は超マイナーな城、利府城に登城です。
利府城は宮城県利府町にあるお城で、伊達政宗の叔父にあたる留守政景、後の伊達政景が居城とした城です。

位置としては仙台城からは車で30分ほど。多賀城からは車で10分少々で着く場所にあります。
利府町では縄文土器が出土していたり、古墳が多く残り、小さな町ですが歴史的に興味深いエリア。

利府城は現在、館山公園として整備されています。主に3つの登城口があります。

1つは館山の麓にある利府小学校の脇にから登城するルート。もう2つは山の完全に反対側から登城するルート。

借りた自転車を到着した駐車場に停めて、森の中を通り抜ける中央のルートで向かいました。
残念ながら公園としての看板しかなく、城郭としてのマップはありません。

北に位置する左側の1番大きく、利府城で最も高い場所の曲輪を主郭とします。
南に位置する右側の曲輪を郭2とします。

杉林の山道を抜けていきます。
登城路は比較的 緩斜が続きますが、切岸でしょうか。曲輪の斜面はかなり急な崖になってきます。

道がしっかり整備されているので登りやすいです。

登り切るとT字となり道が分かれます。
左が主郭、右が郭2方面。

山道を登り切ると、アスファルト整備された道に出ます。まずは南側の郭2方面へ向かいます。

右側の高い急斜面が郭2です。
曲輪沿いを周り込むように道が設けられています。

左側は斜面になっており、完全に森なので何かを目視で確認するのは困難な状態です。

振り返ってのショット。
この辺りは城らしい防御機能が備わっているように感じます。

郭2の先端部は突き出した形状で、三方が崖に囲まれており、監視できるような施設があったのではないかと思います。
現在は木が生い茂っているので、景色は何も見えません。
今は公園として土管が置いてあります。

郭2は綺麗な平地となっており、こちらも切岸で周りは崖になっているので、完全に独立した曲輪になっています。

郭2から見た登城路。
続いて登城してきた道を戻り、主郭に移動します。

主郭と郭2の間にある広場。
段々になっていて、右手には小学校からの登城路との合流地点になります。

不思議な形状をしており、何かしらの遺構かなとも思いますが、後世で畑として利用されていた可能性もあります。
この先を進むと主郭となります。

道が分かれますが、どちらからも主郭に向かうことができます。
左側はショートカットの道ですが、まずは真っ直ぐ下の道を進みます。

コンクリートで土砂崩れを防いでいますが、山の形状がよく分かります。
その上には主郭があります。

振り返っての一枚。
右手の急な斜面の上には主郭があります。

一際大きな土の壁です。。
山を削ったような勾配で、ここを登って攻めるのは不可能です。

クネクネと喰違いになる主郭への登城路。

道は整備されてますし、当時から使われていた道なのか不明ですが、雰囲気は十分味わうことができます。

さらに曲輪沿いの道を突き進むと主郭になります。
利府城は標高90m程の低めの山に造られていますが、見どころはありそうです。

主郭の切岸は特に急な斜面となっています。
下にある建物は公園のトイレになります。

主郭に到着。
広めで細長い曲輪となっており、中央が一段高くなっています。

実は何度も登城している城です。しかし、公園としての利用であって城としての視点では見たことがなかったので、改めて城目線で見ると曲輪の形がとても分かりやすく感動します。

指定史跡になっていない城ですが、ちゃんと発掘調査もして遺構が出土しています。
もう少し、利府城の存在をPRしても良いのではないかと兼ねてから思っていました。

留守政景は後ほど行く、仙台市宮城野区の岩切城から利府城に拠点を移し、約20年に渡り利府城を居城にしていました。
伊達政宗にとっても頼れる重要な人物で、天下を二分した関ヶ原の戦いで、奥州では慶長出羽合戦が勃発。
伊達軍の総大将として、留守政景が最上義光を救援し、長谷堂城の戦いで上杉軍と激突。戦果を上げる活躍を見せました。
後に留守政景は伊達一門となり、水沢伊達氏の始祖となります。

山頂からの景色。
この先には仙台城があります。

多賀城や太平洋も一望できる素晴らしいスポットなのですが、木が邪魔であまり見えません。以前はすごく綺麗なビュースポットでした。

主郭裏の無料駐車場からのショット。
ここは公園として整備される前は畑でした。
主郭は地形を削り落としたような急な崖になっており、曲輪が独立しています。

利府小学校側の登城口方面へ一度下山。
麓には利府城跡の大イチョウの看板があります。

以前来た時は、この看板はありませんでした。

少し険しい獣道を進むと巨大なイチョウの木が出現。
足元には黄色く色づいたイチョウの葉が、絨毯のように彩ります。

幹は8〜9mと規格外の太さ。高さは25mで樹齢は推定450年以上とされています。
森の静けさと圧倒される自然のスケール感は、まるで秘境です。

この一帯だけ空気感が違うので、きっとパワースポットだと個人的には思っています。
紅葉の季節に来れたことは、とてもナイスなタイミングでした。

とても神秘的な姿をしたイチョウ。

実はこのイチョウの木は利府城主 留守政景の娘の安産祈願で植えられたという伝承があります。
1590年 豊臣秀吉による小田原征伐。伊達政宗は遅参したことで会津を没収。留守政景は参陣しなかったことで、秀吉に領地没収を言い渡され、利府城は廃城。

留守政景は伊達政宗の家臣として、以降も活躍することになります。

そんな歴史を大イチョウは共に見てきて、廃城となり人がいなくなった後も、この城跡を見守り続けていたのだと思います。

再び、山を登り自転車を置いている駐車城に戻ります。小学校とは反対側の道で気になるものを発見。草で隠れて見えなかったのですが、竹藪をかき分けると人工的に掘られたような窪みがあります。

堀のように掘削されて山上に伸びています。
これは竪堀でしょうか。
経験不足のワタクシが見ても分かるほどの形状。

もう少し山城や中世城郭の訪城を重ねて、知識がついた頃にまた来たいと思います。

地元の方でも館山公園としての位置付けが強く、利府城としての認識が薄い城なので、逆にお宝の遺構が眠っている可能性があります。
次の楽しみが増えました。

小学校側から見た利府城。
黄色く色付いた大イチョウがハッキリと分かります。

戦国の歴史は西国だけではなく、東北も熱いです。
城から学ぶ戦国の歴史。貴重な遺構が大いに残っている利府城でした。

続いて、自転車で同じ留守政景の居城 岩切城に向かいます!