【千葉県】佐倉城

CASTLE DATA FILE.45
登城日:2024年10月14日
交通手段:京成電鉄京成本線「京成佐倉駅」から徒歩約20分
ステータス:日本100名城・国指定史跡
ジャンル:連郭式 平山城
遺構:堀・土塁
スタンプ:「国立歴史民俗博物館」で押印
御城印:「京成佐倉駅前観光案内所」で購入

空堀と土塁が今に伝える、江戸防衛の要

本佐倉城を攻略した後は、大佐倉駅から一駅の京成佐倉駅に移動。
戦国期の中世の城が本佐倉城であれば、江戸時代の近世の城は佐倉城になります。
近接したエリアで2つの名城をセットで周ることができます。

京成佐倉駅から歩いて15分~20分ほど。本佐倉城で歩きまくったので体力的には厳しめの状態でしたが、佐倉城は日本100名城の千葉県を代表する城なので、このタイミングで攻略必須の城です。

佐倉城は関東に入封した徳川家康が、このあたり一帯の要害に着目して土井利勝に命じて1611年から築城が開始されました。7年を費やして完成しました。

城郭の麓には水堀になっています。佐倉城は近世の時代に築城された城ですが、土造りなのが特徴。
佐倉城は江戸時代には佐倉藩の藩庁が置かれた城でした。

現在は佐倉城址公園になっており、堀なども綺麗に整備されています。

切り落としたような崖があり、城郭に近づいていることを肌で感じることができます。

歴史博物館の入口から入城し、坂道を上ると水堀と土塁を横から見ることができます。

切り立った崖の上は土塁となっており城郭を防備しています。廃城令後は歩兵第57連隊と歩兵第2連隊が駐屯し、さらに終戦後は歴史博物館ができ公園となった為、佐倉城の土塁を含めた遺構は破壊されてしまいました。

朝から活動していてお腹が減った為、佐倉城内にある歴史博物館のレストランにて、古代米を使ったハーブソースカツ丼を食べてエネルギーをチャージ。
カレーや蕎麦などもあり、スペースも広いのでゆったり食事することができます。

休憩してから再び活動再開!
ちなみに、歴史博物館に日本100名城スタンプもあります。

廃城令で破壊された馬出は、かつての姿を取り戻し佐倉城の名スポットに!

歴史博物館の前には、佐倉城の見どころの一つの馬出空堀。
この空堀は明治期に連隊造営のために埋められました。

しかし、発掘調査をした上で復元。現在は深さ3mですが、当時は5mの深い堀でした。
綺麗に整備されており、佐倉城といえばこのアングルの写真が定番です。

馬出は戦国時代の城に多用された防御設備で、北条氏の角馬出や、武田氏の丸馬出が築城術の一つとして有名です。

馬出は重要な虎口(門)の前に設置されることが多く、馬出に兵を駐屯させることで攻めてくる敵を180度の範囲で迎撃できるように設計されていました。

早速、主郭方面へ向かいます。
主郭入口には堀田正睦の銅像があります。佐倉城は長きに渡り、堀田氏が幕末まで藩の経営を行ってきました。

銅像の脇は土橋になっており、両脇には深い空堀があり二の丸を防備しています。しかし、草木が生い茂っているために空堀の写真を撮るのは難しかったのですが、かなり深い空堀でした。

土橋を渡り切ると二の門跡が現れます。
ここには桁行8間ほどの二重の櫓門が建っていました。

門跡の先は喰違いの折れ曲がりになっています。当時の古写真も残っていて、見事な城門でした。

現在は公園になっている佐倉城ですが、何気ない道の折れ曲がりも、城跡であれば全てが意味をもたらしていると感じることができます。

二の門を抜けると二の丸が広がります。

さらに先に進むと二の丸と本丸を区切る空堀があり、土橋を渡ると本丸になります。

本丸は孤立した曲輪になっていて、敵が攻めてきた際の防御策をしいています。草木で見えないけど、空堀はけっこう深さがあるように思いました。

この橋の先には一の門がありました。

一の門跡。
脇には高めの土塁があります。高さは3mくらいでしょうか。

土塁の上から見た一の門跡。建物は残っていませんが、門の大きさは伝わります。
当時は間口が4間の二階建ての櫓門でした。こちらも、当時の写真が残されています。

主郭となる本丸は土塁で全て囲まれています。
本丸の平地ではシートを広げて、多くのファミリーがそれぞれの時間を過ごしていました。

土塁の上を歩けるのが良いですね。場所によりますが、傾斜のきつい高い土塁も残っています。

本丸の隅部にある天守台跡。

佐倉城には天守があがっており、7×8間の三重三階の天守でした。
三層としては規模の大きな天守だったそうです。

慶長の築城ラッシュ後の天守のため、破風などの装飾がなくシンプルなデザインだったようです。
しかし、城郭の一番角部に造られた天守だったので、城下からもよく見えたであろうと思われます。
1813年に盗賊による火の不始末が原因で、天守は焼失してしまいます。

天守の近くにあるのが銅櫓跡。
6間四方の二重の櫓で、下方は下見張り、上方は白漆喰。
明治の廃城令によって解体されている時の写真がしっかり残っています。複雑な気持ちになります。

銅櫓はちょうど本丸の隅に位置しており、土塁の複雑な形状を楽しむことができます。
土造りの櫓台は美しい。草木が整備されているのもポイント!

本丸から登城した逆側の、城郭の反対方面へと下ります。整備された道から一転、急に山城のような雰囲気に。

佐倉城は平城の近世城郭だと思っていたのですが、裏の道から通ると割と高低差があり、やや小高い山に築かれた平山城でした。

城郭の裏手を下り道なりに歩くと、土手になっており城郭の片鱗のような遺構を見ることができます。

裏手にも水堀があり、水の中に浮かぶ曲輪を見ることができます。背後の山は佐倉城の主郭部になります。

これは佐倉城の出丸であり、佐倉城の裏手を守っています。ここは軍事要素が強めで個人的には好きです!

遠くから見た佐倉城。
木が生えている手前側の曲輪が出丸。背後の山が主郭。周りは田園が広がり、湿地帯となっています。

近くには一級河川の鹿島川が流れ、天然の要害となっています。

城の周りを歩くと、水堀が所々で現れます。

本佐倉城と佐倉城。
近くにありますが、全く異なる性質を持った城です。それは、時代の移り変わりを象徴しているともいえます。
千葉氏時代の本佐倉城は、中世城郭で戦うための城で、役割でした。江戸時代の佐倉城は藩庁がおかれ、政治を行う場所としての役割を果たしました。

そして、今では憩いの場という役割を果たしています。
貴重な古写真があるのであれば、いつか何かしらの建築物の復元を期待してしまいます。
1日で2城をフルで周りきりました。