仙台城
仙台城は標高約130mの山城で、慶長5年(1600)、伊達政宗によって築城。伊達家270年の居城。別名は青葉城。
東と南が断崖で守られた天然の要害で、本丸跡からは仙台市内と太平洋まで一望できる。
本丸北面石垣は圧巻で来城した人たちを魅了する。麓の大手門跡両側の石垣、三の丸後に残る水堀や清水門などの門跡、中門跡、本丸跡など、城郭としての見どころは多い。
建物は脇櫓が復元されているが、その脇櫓とともに現在、大手門の復元計画がある。
Contents
名城スタンプと御城印
日本100名城スタンプ
■本丸跡の仙台城見聞館にて押印。
時間:9:00~17:00
御城印
■青葉城本丸会館内
時間:9:00~16:00
仙台城周辺の天気

本丸北側 高石垣
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概要
慶長年間に伊達政宗が築城してから、廃藩置県・廃城令までの約270年に渡り伊達氏代々の居城であり、仙台藩の政庁であった。二代藩主伊達忠宗の代に完成した仙台城は約2万坪で、大藩にふさわしい大規模な城であった。
地震などによる損害を受けながらも修復を繰り返し、奥羽越列藩同盟盟主として戊辰戦争を経るも、一度も戦火を見ることなく城としての役割を終えて、明治維新を迎えた。その後は明治から大正にかけて陸軍用地となり多くの建築物が解体された。
数少ない遺構であった大手門、脇櫓、巽門は国宝(旧国宝)に指定されていたが、第二次世界大戦時の仙台空襲により焼失した。
仙台城跡の土地の権利関係は複雑であり、仙台城跡のうち仙台市が所有している区画(青葉山公園)はごく一部である。戦前の経緯から宮城県護国神社や国立大学法人東北大学が所有している区画が多く、現在でも本丸と二の丸の中に境界が存在している。
三の丸にある仙台市博物館の周囲には堀や石垣が見られる。ここから徒歩で青葉山の山道を登っていくと、山頂に築かれた巨大な本丸の石垣が目の前に現れる。本丸からは、東方面に仙台市中心部と仙台平野、天気が良ければ太平洋まで一望することが出来る。
北方面の二の丸跡地は現在は東北大学の敷地となっているが、このうち東側の東屋付近とロータリーの北東部分は同大学ではなく仙台市が所有する青葉山公園の飛び地となっている。
また、空襲で焼失した大手門や大手門脇櫓、土塀や明治時代に焼失した本丸御殿、門、櫓、土塀の木造復元計画もある。
歴史
仙台城は近世に伊達家が居城とした城郭である。仙台城ではないが、近世以前にも青葉山には城があったともいわれ、岩切城合戦を記した文書にある「虚空蔵城」は現在の仙台城の場所にあった山城という説もある。
近世
伊達政宗は、関ヶ原の戦いの後、徳川家康の許しを得て千代に居城を移すことにした。1600年(慶長5年)12月、政宗は青葉山に登って縄張りを開始。地名を仙臺(新字体:仙台)と改めた。
仙台が新しい本拠地に選ばれた理由として、
- 仙台付近は陸路は東海道の延長上にある「海道」とかつての東山道に由来する「山道」が合流し、水路は名取川・広瀬川を経由して閖上などの港から太平洋に通じるなど交通の要所であったこと。
- 岩出山城を居城に定めたのは豊臣政権の伊達氏を封じ込める政策によって一方的に決められた城であったこと。
- 関ヶ原の戦いの際に徳川家康と約束されたと言われている「百万石の御墨付」が実現されていた場合(置賜郡・伊達郡など7郡が政宗に与えられた場合)、岩出山城は新しい領国の中で北に偏り過ぎていたこと。
が、あったとみられている。新城は関ヶ原の合戦が迫る緊迫化した状況の中で計画が立てられ、千代城(仙台城)以外にも仙台に近い北目城を改築して本拠地にする構想も検討されていた(実際に慶長出羽合戦では北目城に陣が置かれている)。
しかし、北目城を本拠地として改築するには時間がかかると判断され、最終的には仙台を新しい本拠地とすることになった。 建設費の一部は、宮鉱山(現蔵王町)などで採掘された金で賄われた。
政宗が築いた仙台城は、本丸と西の丸からなる山城であり、天守台はあるが天守は持たなかった。これらの点で時代の流行に背を向けたが、結果として仙台城は、ビスカイノをして「日本の最も勝れ、又最も堅固なるものの一つ」と言わしめるほど、同時代に比類ない堅城となった。
しかし、山上にある本丸は街への往来が不便であった。そのため、伊達忠宗は1638年(寛永15年)に二の丸の造営に着手し、翌年には居所を二の丸に移した。二の丸は本丸と同じく広瀬川の内側にあるが、土地は平坦な場所である。
伊達家の当主はここに居住し、政務もここで執られた。時期は不明だが、これと前後して大手門脇、青葉山の麓に三の丸が作られた。これ以降、本丸が使われることは少なくなり二の丸が仙台城の中枢になった。
江戸時代を通じて、仙台城は火災や地震により何度か建物や石垣の一部を失い、その都度再建された。
戊辰戦争でも仙台が戦場になることはなかったため、仙台城は創建以来一度も攻撃を受けずに要塞としての役目を終えた。
1873年(明治6年)の「全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方」で仙台城は「存城」とされる。
これに先立つ1869年(明治2年)の版籍奉還で仙台城には勤政庁設置。1871年(明治4年)には東北鎮台が仙台城を本営にして駐屯。このとき本丸が破壊され、石材と木材が兵舎建設に流用。
後に東北鎮台は仙台鎮台と改称。さらに鎮台制が師団制にかわると、第二師団設置。
世界大戦末期の1945年(昭和20年)7月10日未明、アメリカ軍による仙台空襲の際、米軍のB29により投下された焼夷弾により、大手門、脇櫓(隅櫓)(当時国宝)、三の丸の巽門、衛兵所に使用中の二の丸表舞台楽屋などが全て焼失し、護国神社も焼失した
構造
初代伊達政宗期に造営された青葉山の本丸、西の丸、二代伊達忠宗期に造営された青葉山山麓の二の丸、三の丸(東の丸)と、それに付随する櫓、門からなる。広瀬川を城の防衛線としている。
本丸
石垣の北面に入り口である詰門(つめのもん)があり、本丸の中央に中核的な施設である本丸御殿、周囲には、詰門両脇に2基(西脇櫓・東脇櫓)、北東部には1基(艮櫓)、眺瀛閣の南に1基、計4基の3重櫓、1基の二重櫓、多門櫓などが建ち並んでいた。
本丸御殿は北側に公式な御殿である大広間、南側に藩主の生活空間である奥御殿が配置されていた。430畳の大広間は狩野派による金碧の障壁画で飾られ、聚楽第の大広間と類似した設計であった。大広間には藩主が座する上段の間の上に将軍専用の上々段の間があり、将軍が訪れたときにのみ開かれる御成門まで準備してあったが、最後まで訪れることはなかった。
仙台城は2003年(平成15年)に国史跡となっているが、2012年(平成24年)に本丸跡の一部が国史跡に追加指定された。
本丸北東部に位置する艮櫓(うしとらやぐら)を木造復元する計画があったが、石垣保存問題と国の史跡指定地であることなどを理由に2003年に中止となった。
二の丸
二代藩主伊達忠宗により造営。1638年(寛永15年)5月4日着工され、翌1639年(寛永16年)12月に落成。以後明治に至るまで藩政の中心であった。二の丸の正門である大手門を入りその奥の詰門を抜けると、藩主が住む御殿、能舞台、庭園などがあった。二の丸の規模は東西310メートル、南北200メートル。
明治に至り、1869年(明治2年)に勤政庁が置かれ、1871年(明治4年)に東北鎮台(後の陸軍第二師団)が置かれた。1882年(明治15年)9月7日、追廻で行われた西南の役(西南戦争)戦没者招魂祭の花火が不発のまま落ち、その火災により、表舞台楽屋以外の二の丸遺構はすべて焼失。
残った表舞台楽屋も戦災で焼失。現在は東北大学川内キャンパス(川内南キャンパス)となり、文系学部(文学部、経済学部、法学部、教育学部)が入る。
仙台城は2003年(平成15年)に国史跡となっているが、二の丸についても2010年(平成22年)に一部が国史跡に追加指定されている。
大手門
楼門型式の櫓門で、桐や菊紋をかたどった飾り金具などが施されていた。名護屋城の大手門を移築したものと伝えられているが、実際は名護屋城大手門を模したという意味の「写した」を「移した」と勘違いしたものではないかともいわれている。
大手門は二の丸の正門であった。1931年(昭和6年)に脇櫓と共に国宝に指定されたが、仙台空襲により焼失。大手門の資料に関しては昭和実測図や外観を撮影した古写真が残っている。
脇櫓
大手門隅櫓ともいう。大手門と共に1931年(昭和6年)国宝に指定されたが、大手門と共に戦災により焼失。1967年(昭和42年)に民間の寄付により外観復元され、現在は唯一復元された建造物である。
しかし令和2年の調査で焼失前の物とは形状が異なる事が分かり大手門の再建と一体的に焼失前の形に再建されることになった。脇櫓の資料に関しては大手門・巽門と同様に昭和実測図や外観を撮影した古写真が残っている。
石垣
切込接と呼ばれる積み方を用い、隅石表面は、「江戸切」と呼ばれる技法によって加工されている。本丸石垣の修復工事(1997年(平成9年)から2004年(平成16年))の際の発掘調査によって、時代の異なる2つの石垣が現石垣中から見つかっており、過去に地震によって崩落したことが確認された。
最も古い石垣は政宗の時代のもので加工しない石を使った野面積であった。積み直しでは元通りにするのではなく新しい技法を採用してより頑丈な石垣を目指していたと思われる。
政宗が死際に「この城は泰平の世には向かん。わしが死んだら修築しろ」と家臣や忠宗に言い残したという逸話が残っている。
交通アクセス
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線・東北新幹線仙台駅下車。西口バスプール15番3より仙台市営バス(るーぷる仙台)で約22分「仙台城跡」下車、徒歩約3分。
- 仙台市地下鉄東西線国際センター駅下車。徒歩25分。
- 本丸の有料駐車場(普通車150台、400円/時間。観光バス1,200円/時間。バイク100円/日)
所在地
- 宮城県仙台市青葉区川内1番地