全国 天守の高さランキング BEST10

※復元、現存を含めた天守

NO.1 大阪城:41.5m

豊臣家滅亡後、徳川幕府が威信をかけて造った城。現在は豊臣期と徳川期のMIX天守が建つ

延べ床面積:5,071m2 天守台高さ:13.3m2

大坂城の天守は現在の復興天守を含めて3度造営されています。
「大坂夏の陣」の際に豊臣時代の天守をはじめとした建造物はすべて焼失。

豊臣家滅亡後の1620年(元和5年)から、2代将軍徳川秀忠によって大坂城の再建が始められ、3期にわたる工事を経て1629年(寛永6年)に完成。

しかし、徳川期の大坂城天守は1665年に落雷によって焼失。

現在の天守は1931年(昭和6年)に市民の寄付によって、鉄筋コンクリート造で復元。

大坂城データベース


No.2 名古屋城:36.1m

城郭建築の最高到達点と評される名古屋城の巨大天守。緑色の銅瓦と金の鯱がポイント

延べ床面積:4,690m2 天守台高さ:19.5m

戦国最大の軍事緊張が高まった1600年以降、慶長の築城ラッシュ期に徳川家康の号令で築かれた巨大城郭。

本丸の北西隅に位置する名古屋城の天守は連結式層塔型で、天守台の石垣は築城名人 加藤清正によって築かれた。

破風の数は史上最多の22もあり、美も兼ね備えた連結式の層塔型天守で五層五階 地下一階。

昭和まで現存していた貴重な城だったが空襲によって焼失。現在の天守は1959年に外観復元された。

【名古屋城データベース】


No.3 島原城:33.0m

破風を持たないシンプルな層塔型天守。古写真が残っていない為、調査が続いている。

破風を持たないシンプルな層塔型天守。古写真が残っていない為、調査が続いている。

延べ床面積:1,975m2 天守台の高さ:2m

現在の島原城天守閣は、昭和39年に建設。
島原城の天守については、築城当時の資料が残っておらず、正確な姿はわかりませんが藩政時代の古記録や聞き取り調査により現在の天守閣は建設された。

しかしながら、天守の柱の数の分析や確認されていなかった江戸時代の絵図、明治時代の記録の研究により、1階と2階の平面が同じ大きさで、壁面が下見板張である新たな島原城天守復元案も、近年示されている。
また、昭和22年の航空写真などには、現在の天守台よりも一回り大きな天守台が写っており、発掘調査でも天守台石垣が発見されています。

【島原城データベース】


No.4 熊本城:32.5m

加藤清正が築いた難攻不落の軍事要塞。石垣よりも建築物が飛び出した、張出し建築を採用

延べ床面積:2,925m2 天守台高さ:16m

加藤清正によって築かれた熊本城は、明治時代の西南戦争によって大天守・小天守・本丸御殿など、主だった建物が焼失しました。

1955年(昭和30年)に「熊本城跡」として国の特別史跡に指定され、1960年(昭和35年)の熊本国体開催と築城350年を期に、熊本市は一般からの寄付も募り1億8000万円の費用をかけて外観復元で大小天守と平櫓、塀などを再建しました。

【熊本城データベース】


No.5 姫路城:31.5m

現存天守では唯一のランクイン。空襲で狙われるも不発弾によって奇跡的に損傷を免れた奇跡の城。

現存天守では唯一のランクイン。空襲で狙われるも不発弾によって奇跡的に損傷を免れた奇跡の城。

延べ床面積:2,409m2 天守台高さ:15m

姫路城の天守は、白鷺城とも呼ばれる美しい連立式天守で、5重6階(地下一階含む)の大天守と3つの小天守(東・乾・西)が渡櫓(わたりやぐら)で連結され、その優美さと堅牢な構造が特徴です。

江戸時代以前の天守が現存し、世界遺産・国宝にも指定されており、日本最大級の現存天守として知られています。

【姫路城データベース】


No.6 小倉城:28.7m

最上部が下の階よりも張出した南蛮造りの天守。破風は復元時に追加された。

延べ床面積:1,841m2 天守台高さ:18.8m

1610年(慶長15年)に完成したとされる、細川忠興が建てた4重5階の複合式層塔型天守は、南蛮造り(唐造)と呼ばれる珍しい外観だった。1837年(天保8年)の失火で焼失し、以降再建されなかった。

現在の復興天守は1959年(昭和34年)に再建された。

小倉城データベース


No.7 小田原城:27.2m

三層の天守ながら27mを超える大天守。今も昔も天守は地域のシンボルとして愛されている。

延べ床面積:1,822m2 天守台高さ:11.5m

大久保忠増によって天守が再建されたのは1706年(宝永3年)で、この複合式層塔型3重4階の天守が現在の復興天守のモデルとなっている。この3代目の天守は明治に解体されるまで存続したが、1782年(天明2年)の武相大地震と1853年(嘉永6年)の嘉永大地震という二度の地震のたびに被害を受け、改築されている。

その後、1870年(明治3年)に小田原城が廃城となり天守は払い下げられ解体されたが、1960年(昭和35年)に江戸時代に造られた雛型や引き図(宝永年間の再建の際に作られた模型や設計図)を参考に外観復元された。

小田原城データベース


No.8 広島城:26.6m

毛利氏が築いた日本三大平城の広島城天守。堀から眺める姿は美しいの一言。

延べ床面積:1,322m2 天守台の高さ:12.4m

明治以降も天守は残り、1931年(昭和6年)には戦前の国宝(旧国宝)にも指定されていましたが、1945年(昭和20年)のアメリカ軍による原子爆弾投下の影響によって倒壊した。
爆風や火災によるものではなく、自壊したということが近年の調査でわかっている。

現在の天守は1958年(昭和33年)に総事業費約3,600万円をかけて外観復元された。
天守台も含めると39mの高さを誇る天守は、見上げるほどの大きさ。

広島城データベース


No9 福山城:26.3m

城郭建築の集大成となる福山城。白漆喰と黒鉄板で覆われた天守は唯一無二。

延べ床面積:1,781m2 天守台の高さ:7.2m

天守は五層五階地下一階で、二層三階の附櫓を持つ複合天守だ。かつては畳敷きで天井や床の間も設けられるなど軍事的な要素だけではない部屋があった。

5重の天守は明治維新後も残され、国宝(旧国宝)に選ばれていましたが、1945年(昭和20年)8月8日の福山大空襲により焼失。終戦の僅か1週間前という悲劇だった。

天守は戦後に再建され、令和4年(2022)8月、外観復元整備が行われ天守北面は鉄板張りとなった。

福山城データベース


No.10 鶴ヶ城:25.1m

東北を代表する会津藩の居城。赤瓦が特徴的で、戊辰戦争では1ヶ月の籠城戦を耐え抜いた

延べ床面積:1,478m2 天守台の高さ:11m

1593年(文禄2年)に蒲生氏郷によって築かれた天守は望楼型5重7階だったとされるが、1611年(慶長16年)に起こった大地震により大破した。その後、その倒壊材を用いて1639年(寛永16年)に加藤明成によって修築された天守は複合式層塔型5重7階(地上5階、地下2階)だったとされる。

この天守は明治初年まで存在したが、1874年(明治7年)に取り壊された。現在の天守は1965年(昭和40年)に復元されたものである。当初は黒瓦での復元だったが、2011年(平成23年)3月に赤瓦に復元された。

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