【大阪府】高槻城

CASTLE DATA FILE.26
登城日:2023年12月10日
交通手段:JR京都線「高槻駅」から徒歩約15分
ステータス:大阪府指定史跡
ジャンル:平城
遺構:堀・移築城門
復元建築:模擬築地塀
スタンプ:ー
御城印:「高槻市しろあと歴史館」で購入
西国街道と淀川 水陸交通の大動脈を見張った近世城郭
朝イチから勝龍寺城→山崎城→最後は高槻城とJR京都線上を移動。
高槻城は京都と大阪の中間に位置し、西国街道と淀川という水陸交通の大動脈を見張るには絶好の地だった為、時代が変化しても重要な位置付けの城でした。
信長の時代に天主があったとされ、京都二条城、坂本城に続く、三番目に古い天主だったそうです。
現在、城跡は高槻城公園となっていて地元の方の憩いの場に変化しています。
当時は重要な拠点だった故、時代の変化に伴って城主も変わりました。
高槻城公園に建てられている石像はキリシタン大名の高山右近。
天下人秀吉の元で幾つもの戦いを生き抜いてきた大名。その後は目まぐるしく城主が変わります。

城は平城でしたが、近世城郭で三重の天主と幾つもの櫓があったそうです。
模型で見ても幾つもの水堀によって堅固な守りになっているのが分かります。
城下町一帯を城で取り囲んだ総構えと呼ばれる造り。

歩いて城跡に向かう途中、本当に小さな看板を足元に発見。
普通に歩いてたら絶対に気づかないレベル。

JR高槻駅、近鉄高槻市駅から高槻城公園に向かう途中に北大手門がありました。
今は市街地化によって痕跡は何もなく、面影も残していません。
北大手門は枡形の櫓門だったそうです。

城跡の近くに高槻市しろあと歴史館があります。
資料館内には石垣の造りと構造を実物大で再現しています。
床をスケルトンにした見せ方の発想は素晴らしい。
ワタクシのような素人にも、石垣の作り方がとても分かりやすい!

二の丸跡は現在、芸術文化劇場になっています。
発掘調査で石垣などの遺構も見つかりましたが、現在の石垣は復元で実物のものではありません。水堀底からの高さが約8mの石垣で防備されていました。
この辺りに当時は二の丸と本丸がありました。
当時の石材は、明治期に近くの鉄道の橋などに転用されてしまったようです。

文化劇場の目の前の枡形門も、影も形もありませんが虎口だけが、現在もそのままの形として道路になっています。

高槻城公園には模擬天守台らしきものがあります。
こちらも遺構は全くない状態。公園内に資料館があります。

公園がある周辺は三の丸跡になります。

近くの野見神社には高槻城から移築されたとされる唐門が残されています。

ちょうど夕暮れ時で、黄金の装飾が神々しく輝きます。

続いて、高槻城公園の近くにある本行寺。
こちらの高麗門は高槻城から移築したとネットで見たので当然、立ち寄らせて頂きました。

確かに城っぽい風格のある門にも見えます。
これが事実なら貴重な現存建築物です。
高槻城のどこにあった城門かは不明なようです。

本行寺の隣には光松寺があります。
こちらは以前は高槻城内にあったが、江戸時代の高槻城拡張工事に伴って、この地に移転したお寺。

こちらは立派な薬医門です。

正面からも撮影。

本行寺と松光寺のある通り。
この一帯だけ江戸の雰囲気が漂っています。
高槻城跡には中学校や高校が建っていて、遺構はほぼ見つけることが出来ませんでした。
発掘調査で金箔瓦が出土した経緯を考えると、立地としても重要拠点だったに違いありません。
そういった重要拠点になる城ほど、明治の廃城令で真っ先に取り壊されたり、跡形もなく壊されたりしました。
その後、城は日本の重要な文化という考えが広まり城は保存する方向へ。

観光としては残念なところがありますが、少ない遺構ながらも街を盛り上げようとする、行政の取り組みはすごく伝わりました。
また、寺や神社によって貴重な遺構が守られるということも改めて実感することができました。
これは今後の城めぐりで重要なポイントになりそうです。
関西方面の城めぐり1日目は京都線上の3つの城を攻略し大阪市内のホテルに向かい終了です










