滝の城@埼玉県

2024年12月29日

柳瀬川を挟んで埼玉県所沢市と東京都清瀬市の県境に位置する場所に、滝の城という城があります。

近くにカインズホームとベイシアがあるので、年末の買い物に行った際に近くの城で検索してヒットしたので訪問しました。

聞いたことがない城で何気なく行ったのですが、結論的には想像を超えた素晴らしい城でした。

サクッと30分程で周るつもりでしたが、興味深い遺構が多くて結局は2時間ほど滞在。

現在滝の城は、滝の城址公園となっていて球技場などがある地域の公園となっています。

車の場合は無料の駐車場もありますが、ワタクシが行った時は年末年始だからでしょうか、駐車場は閉鎖されていました。

電車でのアクセスは東所沢駅から徒歩25分ほど。

目の前を流れる柳瀬川に架かる橋は城前橋。

このような、ちょっとしたPRでも個人的にはとても大事だと思っています。

今回ワタクシは高速道路側の駐車場方面から入城しました。

ちなみに主郭部とされている場所は反対側なので、のんびり歩きながら向かいます。

公園に入るとすぐに池があります。

時間は約15時頃。ランニングや犬の散歩をしている方が数名いるのみで、とても静かです。

この辺りは田んぼもあって平地ですが、右手は森となっていて、約25m程の高低差があります。

森の中に整備された道があるので入ってみました。

先程までいた田畑の景色とは一変して、やや城っぽさの雰囲気が出てきます。

堀切のように尾根を分断したこの辺りには、滝跡があります。

左手が城郭部で右手は城外。

滝の城とは、ここを流れていた滝が由来とされています。

こちらも同じく、気になってしまう形状をした道。

公園整備で作ったのか道なのかは不明ですが、人工的に山を削って道を通しているのは明らかです。

そんな想像をしながら見て周るのが、中世城郭の楽しさ。

資料が少なくて未解明が多い故に、宝探しをしている探検家のように、ワクワクしてくるのです。

小高い丘のような山ではありますが、見ての通り切り落としたような急な崖が主郭まで続いています。

ここが中世の平山城と知って歩くと納得の造り。

公園の反対側に来ると一般道があり、この辺りが城跡とされています。

やや急な坂を登ると、道路がぐるりと周り混んでいます。

まさに道路の中心部が城の遺構となっていて、土塁と空堀になっています。

ちなみに、この道路は視界も悪く交通量が多いので注意が必要です。

坂を登りきると城山神社の入り口があり、そして滝の城の主郭の入り口となります。

派手なノボリ旗には北条家の家紋。

早速、二重堀が現れます。

滝の城は外堀、中堀、内堀の三重で構成された、まさに戦国時代の戦うための城です。

各曲輪を分断するように空堀が設けられています。

高低差は約2.5〜3mくらいでしょうか。

滝の城は関東管領の山内上杉氏家臣の大石氏が築城し、後に北条氏照もしくは北条氏照の家臣が居城し改修したとされています。

素晴らしい遺構が、状態良く残っています。
堀の形状が分かりやすく、草木が整備されているのも好印象!

草木が多くて遺構が分からない城もあるので、その点では中世の城をあまり行ったことがない方でも、楽しめるのではないでしょうか。

遺構の看板も各所に設置されているので分かりやすい。

堀底にも自由に入ることができるのも魅力!

写真では伝わらない迫力を、実際に遺構の中で間近に見ることができます。

  

土橋を渡り鳥居を抜けると、二の丸があります。

土橋から見た右手は、先程歩いていた空堀です。

土橋から見た左手は、二の丸をぐるりと空堀が囲んでいます。

こちらは三日月のように、Rを描いた空堀。

二の丸を囲む空堀が、滝の城の中堀となります。

左手は二の丸で、土塁がハッキリと残っています。

右手は本丸を囲む空堀。

こちらも綺麗なRを描いて、この空堀が内堀となります。

本丸跡には城山神社があり、一際大きな曲輪となっています。

城山神社の本殿には、可愛い猫ちゃんがお出迎え。

人懐っこく、とても癒されます。

ここで参拝している人を見守ってくれます。

滝の城の現在の城主は、この猫ちゃんかもしれません。

本丸からの景色。

遮るものが何も無く、東京方面を一望することができます。

目の前には天然の水堀となる柳瀬川が流れています。

また、生活や物資の流入の観点から見ても、水という資源は城造りおいて、とても重要です。

本丸を見た後は、少し戻って三の丸を目指します。

右手は本丸。もはや芸術。

石垣の城も当然ながら素晴らしいし芸術的ですが、滝の城のように中世の土造りの城もまた良き。

空堀を観察しつつ、土橋を進みます。

先にある少し小さな曲輪は馬出し。

馬出しからのショット。

空堀の前には本丸があり、発掘調査で本丸側に門の跡が発見されました。

発掘調査で本丸の空堀側に門跡が発見されたことで、馬出しと本丸を繋ぐ、木橋があったという仮説が浮上しました。

実際に見てみると、空堀の中でもこの場所だけ、少し堀底が盛り上がっているので、ここに何かがあったのは間違いなさそうです。

馬出しを超えると三の丸があります。

別名は茶呑み曲輪。

北条氏時代に下野、現在の栃木出兵の際はこの滝の城から出陣したとされていて、北条氏照が来た際はこの三の丸で家臣とお茶を楽しんだことから、茶呑み曲輪と呼ばれています。

戦いに明け暮れているイメージの戦国時代のホッとするような話。

三の丸の奥には大井戸跡があります。

三の丸からの景色。

崖の下には腰曲輪のような、東曲輪が見えます。

いつの間にか日が暮れ始めています。

続いて中堀を通って三の丸を囲む空堀を進みます。

写真のように、至る所に土橋があります。

右側が三の丸。

数週間前に行った、同じ北条氏照の居城だった滝山城を彷彿とさせます。

それを何気なく行った城で見つけてしまったので、テンションが上がってしまうのは当然です。

実際に東曲輪にも行ってみました。

横長の曲輪ですね。

ここに何があったのかは不明ですが、この東曲輪は中堀と内堀が交差する分岐点になるので、縄張りの位置付けとしてはとても重要だと思いました。

右手が三の丸、左手は本丸、正面は馬出し。

各曲輪を空堀で全体的に区切って、曲輪同士が堀切になるこの築城スタイルは北条氏らしさがあります。

この空堀は先程の東曲輪に繋がっています。

高低差もあり、堀底から眺めると3次元のようで素晴らしい!

この堀底を歩けるのが良いですね。

振り返っての一枚。

右手が本丸、左手が三の丸。

正面には夕暮れが近づく城下。

食い違いのように、うねった空堀。

張り出した曲輪から横矢で攻撃するのが狙いなのでしょうか。

そんなことを想像しながら堀を歩き進めます。自然の中で繰り出す妄想は最高のスパイス。

一番最初に通った土橋に戻り、社務所側の二の丸と本丸の内堀を歩きます。

高低差は4〜5mくらいはありそうです。

左手が本丸ですが、各曲輪が交互に跳ね出して食い違いになっています。

振り返っての一枚。

右手が本丸になります。

先ほどは堀底がフラットな地形になっていましたが、ここは堀底がキュッと狭まったV型の薬研堀になっています。

最後は霧吹きの井戸跡へ。

ここには龍が住んでいたという伝説があり、内容は割愛しますが、この地域では伝説に由来した地名となっているようです。

本丸の下では七世紀後半の横穴古墳も発見されていることから、神秘的なものを感じてしまいます。

今は、のどかで静かな時間がゆっくりと流れています。

夕暮れも近づいてきました。

柳瀬川から撮った一枚。

右手には滝の城があります。

工夫を凝らした滝の城は、小田原城、八王子城と同じく、豊臣秀吉による小田原征伐で落城し、その後廃城となりました。

その後表舞台からは消え、眠り続けていたことで滝の城には良好な遺構が残っていたのでしょう。

当然、地域の方々が守り続けてきたことも忘れてはいけません。

開発によって失われた城は、日本中に沢山あります、

そして、1925年に埼玉県の史跡として文化財指定されたことで、表舞台から消えた城は今の時代を生き、次の時代に引き継がれています。

5月には戦国滝の城まつりが開催されているようです。

発掘調査を何度もされて、これだけの遺構が残っている城なので、もっともっと幅広い方に知って欲しいと純粋に感じました。

コンパクトな城なので軽装備で行けるし、遺構がハッキリしているので分かりやすいので、中世城郭にあまり行ったことがない方でも楽しめます。

今回、時間の都合で外堀周辺を周ることが出来ませんでした。

北条氏の城だと結論づいた理由には、外堀で障子堀が見つかったことが起因しています。

まさに北条氏を代表する築城術です。

次は、もっと幅広い範囲で散策したいと思います。

年内最後の城巡りは最高の形で終わることが出来ました。