【山梨県】躑躅ヶ崎館(武田氏館)

CASTLE DATA FILE.90
登城日:2025年12月29日
交通手段:路線バス(甲府駅→武田神社行) 約10分
ステータス:日本100名城・国指定史跡
ジャンル:居館
遺構:石垣・土塁・堀
スタンプ:武田神社で押印
御城印:「信玄ミュージアム」で購入

名家 武田氏三代の居館。しかし、城同等の空堀や土塁が残る!

2025年12月29日

朝一に甲府城をコンプリートした後は、日本100名城の躑躅ヶ崎館に向かいます。

躑躅ヶ崎館は武田氏館とも呼ばれており、武田氏三代に渡って居城とした居館になります。政治や普段の居住は躑躅ヶ崎館、そして昨日攻略した要害山城が緊急時の城となります。
現在は武田神社が鎮座しており、多くの参拝者が訪れます。今回は年末ということもあり、より一層人が多かったようにも思えました。

甲府駅からはバスで移動し、武田神社行きで約15分程度。バスの時刻表としては約30分に一本は走っているので、かなり予定も組みやすく便利です。

武田神社の入口。武田神社のこの場所が、元々は城跡だったと知らない方多いようで、入口の説明板を見て驚いている方を多く見ました。武田神社は言わずと知れた名称名将 武田信玄を祀った神社で、勝運・開運・商売繁盛のご利益があるといわれています。

武田神社の入口には高い石垣があり、皆さん城の遺構と思われがちですが、こちらは本来は土塁が繋がっており、後世に切り崩して入口にされました。
とは言え、神社の正面にあたりますので、謹んで参拝させて頂きます。

明田神社の創建は大正時代。武田信玄を祀っている神社なので、鬼瓦などの家紋も武田家の四つ割り菱が使用されています。武田神社の本堂がある場所が、躑躅ヶ崎館の主郭になります。

主郭にあるのが「姫の井戸」。生活の中心になる場所にあり、武田信玄のご息女誕生の際に産湯に使用された事から名付けられました。「茶の湯の井戸」ともいい、この井戸から茶釜などの品が発掘されました。

主郭から西曲輪に向かう途中には能舞台となる、甲陽武能殿があります。武田氏の軍学書 甲陽軍鑑から引用された建築物となります。
主郭は本堂の裏などに遺構が残っているようですが、立ち入りが制限されているのであまり遺構としては見ることができません。

中世の方形居館となるので、栃木県の足利氏館のようなイメージで周っていました。足利氏館も主郭には鑁阿寺があったので一層同じ感じかなと思ったのですが、躑躅ヶ崎館はここからが凄かった!

主郭と西曲輪を隔てる土塁。土塁の高さが伝わります。
曲輪の間の右手は深い空堀となっていて、左側は水堀となっています。

神社外から見た水堀。右側が主郭で左側が西曲輪。水堀で曲輪は隔てられ、土橋で曲輪感を繋げています。草木が多いので土橋は見えず。
西曲輪も主郭同様に土塁で囲まれています。

主郭の土塁と水堀。草木が生い茂っているので、写真だと土塁の高さを正確に見ることはできませんが、実際はかなり高い土塁です。

躑躅ヶ崎館の見どころの一つ、西曲輪 南桝形虎口。ここは当時から門があったとされています。

門跡には石垣が積まれており、門の前には土塁で囲まれて枡形になっています。

織田・徳川連合軍と対立した武田氏は、長篠の戦いで惨敗したことで、武田信玄の後を継いだ武田勝頼は、居城を韮崎市の新府城に移します。そして、甲州征伐で武田氏は滅亡します。
その後、躑躅ヶ崎館は豊臣秀吉によって改修されます。躑躅ヶ崎館にある石垣は、その際の遺構と伝わります。

門跡の石垣には巨石が使われています。

基本は中世城郭ですが、部分的に近世城郭の片鱗が見えるので、この違和感が見ていて楽しかったりします。

西曲輪の北側にも枡形虎口があります。

西曲輪 北枡形虎口を土塁の上から見てみます。
南枡形と同じく、虎口には石垣が使われています。

土塁の上から見た枡形。土塁で四角く囲んで虎口はキュッと狭まることで敵の侵入スピードを遅くすると同時に、枡形の土塁から敵を狙うことができます。

北枡形虎口と土橋。完璧にこれは城郭です!

土橋から見た空堀。草木で分かり難いですが、結構深く掘り込んだ空堀です。
あくまで居館なので、城郭としての期待度はそこまで高くなかったのですが、これは間違いなく城です!防御の為の装備は、他の城に劣らぬ迫力があります。

土橋の先には味噌曲輪があり、超広大な敷地があり、立ち入り禁止になっています。至る箇所で石積みなどが見ることができます。
ネットで甲府市の整備計画を見ると、令和12年まで発掘調査と整備計画がありました。ちょうど西曲輪 北枡形虎口の先には馬出や、味噌曲輪を囲む土塁があり、現在整備中のようです。

北側から見た主郭と西曲輪を仕切る空堀。
これを見たら普通の居館では無いことが分かります。空堀の深さは10mくらいはありそうです。
下部には石垣も見ることができます。

曲輪を仕切る土塁が残っており、随所に石積みも見ることができます。
このあたりは無名曲輪になります。

空堀で囲まれた小さな曲輪は稲荷曲輪。現在、お稲荷さんと祠があります。

後ほど行く竜華池から見た発掘調査エリア。
奥の敷地に木が生えているあたりが無名曲輪と御隠居曲輪。
こちらも含めて今後整備される予定なので、躑躅ヶ崎館はさらに見所あふれる魅力的なスポットになることは間違いなさそうです。

続いて、いよいよ大手を見て周ります。

空堀沿いを歩いていると主郭の東側に大手があります。

主郭の東側には大手があり、整備された広大な敷地が広がります。
現在は武田神社の鳥居が正規ルートになっていますが、本来はこちらが城郭への入城ルートになります。

主郭の前には発掘調査で出土した石積みが復元されています。この場所は主郭に直結する門の前に位置しており、武田氏滅亡後に造られたと考えられています。

さらに石積みの下からは三日月堀も発見されており、武田氏の時代には門を守る為の防御施設が設置されていたことが判明しています。

現在の姿は武田氏以降の領主が改修した姿となります。

主郭から見るとこんな感じ。
高い土塁が主郭を守り、大手の門が置かれていたと想像します。その先の土橋を渡ると先ほどの石積みにぶつかります。

大手の土橋から見た空堀。方形居館は平城タイプなのに、こんなに深く堀を造るとは驚かされます。重機を使用した現代でも難工事物件です。

大手には大きな土塁があり、曲輪を区画しています。

土塁の上からのショット。奥には小さく大手の土橋と虎口が見えます。
土塁は複雑にクランクしており、右側は水堀になっています。

大手北側虎口から一度、城郭の外へ出ます。

大手北側虎口の土橋と虎口。
遠くの先には石塁、さらにその奥には大手の土橋があり主郭となります。

土橋の付近から見た水堀。
土塁の下部は石積みとなっており、おそらく土留めの役割があるのかなと想像します。

土塁沿いの堀。土塁はZ型にクランクしています。

外に出ると巨大な石積みと階段があります。
何があるのかは分からなかったのですが、景色が良さそうだったので登ってみます。

登った先は高さ17mの竜華池という、ため池でした!フィッシングパークになっていて、釣りをしている人が多くいました。

竜華池の階段の中間地点から見た大手。
大手の土橋、土塁、虎口を一望するにはベストポイント!

竜花池から見ると、松の木があるあたりが高台のようになっています。せっかくなので行ってみます。

躑躅ヶ崎亭という看板があり、ちょっと急な山道を登ります。

登った先には開けたスペースになっており、山の尾根の先端になっています。
説明書きの看板を見てみると、この場所は武田信玄があずま屋を設けて風景を楽しんだ景勝の地だったようです。

松の木が少し邪魔してますが、雄大で素晴らしい景色を見ることができます。ここからの景色を名将 武田信玄も見ていたと考えると、より一層この景色は特別なものに感じます。

武田神社の入口付近にはお土産屋と資料館となっているミュージアムがあるので、一通り楽しみました。

ミュージアムには蕎麦カフェ由布姫があり、カレー蕎麦を頂きお腹を満たしました。
訪れる方の多くが武田神社の参拝のようにも思えましたが、城郭としても素晴らしい場所でした。
躑躅ヶ崎館の詰城となる要害山を含めると、戦国を代表する武田氏に相応しい戦国期の城郭です。

今回の山梨遠征では王道で新府城、要害山城、甲府城、躑躅ヶ崎館の4城を完全に周りきりました。
もう少し時間と体力があれば、城以外の武田信玄 ゆかりの地を周りたかったのですが、また次回の楽しみにしたいと思います。

特に新府城や躑躅ヶ崎館に関しては、整備が進めばもっとすごい城跡になるポテンシャルを感じます。

帰りは再び高速バスに乗って東京へと戻りました。