臼井城@千葉県

一気に春の陽気に包まれ始めた3月23日の休日。
数日前は都内でも雪が降っていましたが、一転して20°近い気温まで上昇。
3月2日に広島城に行きましたが、前日に捻挫をしてしまい、まだ完治していないので城巡りを控えていましたが、晴天の暖かい気温に我慢ができず城巡りを決行!
近場であまり足に負担がかからないように千葉県の臼井城に初訪問しました。
臼井城は千葉県佐倉市にある城で、築城年は明らかではありませんが、徳川家康が江戸に入った際に重臣の酒井氏が城主を務め、酒井氏の移動と共に1604年に廃城になりました。
電車に揺られ京成の臼井駅に到着したのは12時頃。
Googleマップで駅から臼井城まで歩いて目指しますが、この辺り一帯がアップダウンの多い地形だなと思いながら、20分程歩いて登城口に到着です。
臼井城といえば北条軍の原氏と、上杉謙信が臼井城の戦いで激突したのが有名です。
勝率95%とも言われる、戦国最強の上杉謙信が明確に敗北した戦でもあります。
その臼井城に上杉謙信の毘沙門天パワーストーンと、春日山城の勝利の御守りを身に付けて徘徊します。

まずは徘徊ルートの確認。
臼井城は現在公園となっており、パンフレットなども無い為、Googleマップを見ながら予測で遺構を探します。
大きく分けると青く記した空堀あたりが二の丸跡で、右側が本丸跡。
その他は現在住宅などになっており、はっきりとした遺構を確認することができませんでした。
臼井城一帯が小高い山となっているので、遺構がありそうな予感がして、一応広域を歩きました。

まずは公園の駐車場があり、その脇から入城します。
実はこの駐車場がある場所こそ、空堀であることが後から判明。

左側には桜も咲き始めた大きな広場となっており、ここが二の丸跡になります。
暖かい気温なので既にお花見をしている方もいました。
激戦を繰り広げた臼井城には、今はゆったりとした時間が流れています。
本丸は右側なので、まずは本丸を目指します。

そして、さっそく空堀が現れます。
桜も咲いていて、とても綺麗な一枚になりました。
左側の草木が生い茂っている小高い場所が本丸となります。

空堀沿いを進むと本丸があります。
振り返っての一枚。
明らかに通路が土橋になっていることが分かります。

土橋の保存のために盛土をしています。
本丸を守る空堀なので、当時はさらに深かったと推測できます。
左側は駐車場があった空堀になります。

改めて駐車場から撮った写真。
土橋になっているのが分かります。
駐車場を空堀の堀底に設けるとは斬新。
一瞬で土橋だと分かるようになったのは、ワタクシも少しは成長しているようです。

土橋の先は本丸。
本丸は土塁で囲まれており、虎口になっていたと思われます。

本丸から振り返っての一枚。
先程通過してきた土橋も見えます。
本丸を背にして虎口の右側の土塁は高めで、整備されて階段があります。
この場所には櫓があったようです。

櫓跡から見下ろした、虎口。
櫓台には整備された階段で登ることができます。
本丸から見た櫓台。
木が生えているので分かりにくいですが、形は何となく分かります。
本丸の土塁。
この土塁の下には登城の際に見た本丸を囲む空堀があります。
虎口から見た本丸土塁。
高めに盛られていて、堀底となる駐車場までは6mくらいではないかと思います。
本丸は広めで、完全に独立した曲輪になっています。
本丸に入って左側は搦手となっており、本丸下に細長い曲輪を配しています。
搦手側を防御する腰曲輪のような役割だったのかなと、勝手に想像します。
その謎の曲輪から本丸を撮った写真。
本丸の土塁が分かりやすいです。
本丸の右側はかなり急な切岸となっています。

綺麗に整備がされていて、見事な切岸を見ることができます。
今は住宅街が広がります。
後ほど行くのですが、住宅街の先に見える小高い森は臼井田宿内砦で、臼井城を守る防衛拠点がありました。
本丸からの景色。
目の前には印旛沼があり、臼井城の背後を守っています。
この近くには日本100名城の佐倉城と、続日本100名城の本佐倉城がありますが、軍事施設として適した場所とされたのは、この印旛沼の存在は大きいと思われます。
以前、本佐倉城に行った際にボランティアの方が、印旛沼は当時はもっと大きかったと言っていたので、より臼井城に近い場所まで沼の水がきていた可能性があります。
本丸の搦手側から一度下山します。

こちらは搦手側の登城口。
一帯が山になっているので、遺構が見つかるのではないかと思い城の周りをぐるりと回ったのですが、それらしきものは見つけることができませんでした。
一周回って、二の丸の外側に戻ってきました。
ポツンと石碑があり、太田図書の墓と看板があります。
上杉謙信との臼井城との戦いが有名ですが、室町時代中期に太田道灌の軍は千葉氏率いる臼井城を包囲したものの、堅固な臼井城を前に撤退するところを攻め込まれ太田道灌の弟の太田図書助資忠含む53人がここで討死しました。
まさに戦国時代を生きてきた城であり、壮絶な戦いをした城です。
太田図書の墓の前は、二の丸を囲む巨大な空堀となっています。
しかし、草木が多すぎて写真に残せないのが残念。
空堀沿いを歩くと橋がありますが、空堀を分断するこの橋は土橋か木橋があったと思われます。
橋から見た空堀。

橋の反対側の空堀。
高さ10m以上はある、かなり深い空堀です。
橋の先には公園入り口があり、ここから入城すると二の丸になります。
二の丸も土塁で囲まれています。
橋を振り返っての一枚。
右側は二の丸土塁。おそらく門があったと予想します。

二の丸から空堀を見てみます。
想像以上に巨大な空堀。
数々の戦国武将が堅固な臼井城を攻め落とせなかった理由の一つとしては、この巨大な空堀の存在が大きいと思います。
続いて臼井城の支城となる臼井田宿内砦に向かいます。
帰りに駅から撮った一枚。
奥に見える森が臼井田宿内砦です。

京成臼井駅と臼井城、宿内砦の位置関係。
この辺りはアップダウンが多く、京成臼井駅から宿内砦まで急な上り坂。
宿内砦から一度降って、さらに臼井城でまた登ります。
さらに、臼井城の背後には印旛沼。
このエリア全体が自然地形を生かした要塞だったのではないかと思われます。

臼井田宿内砦の入り口。
住宅街の中にポツンと入り口があります。
元々は臼井城を守る支城は5つありました。
しかし、ベッドタウンとして開発されたことで住宅地が立ち並び、支城は姿を消して臼井田宿内砦跡だけが残りました。
砦跡は現在宿内公園となっており、広場となっています。
奥に進むと、少し高くなった場所に明らかに土塁と思われる土の壁が現れます。
主郭と思われる場所は土塁で防御されています。
土塁の上を歩くことができます。

主郭の広場。
一帯が草木で生い茂っていることと、広場以外はフェンスで立ち入ることができないので、はっきりとした遺構を見ることができるのは、先ほどの土塁のみ。
しかし、この砦全体が削り落としたような切岸になっていて、急な崖になっています。

主郭から見た景色。
木が邪魔ですが印旛沼を望むことができます。
臼井田宿内砦から5分くらいの場所には稲荷台公園があります。
実はここは稲荷台砦という、臼井城の支城でした。

今は住宅地のど真ん中の為、遺構は残っていませんが、この公園の地形は名残を残しているような気がしました。
急な坂が多いのですが、稲荷台砦跡は急な斜面で曲輪を囲んでいます。
左側が稲荷台砦跡。
普通に歩いていたら通り過ぎてしまいそうですが、城としてフォーカスすると、切岸のように削り落とした城に見えてきます。

稲荷台砦跡からの景色は完全に新興住宅街です。
とても充実した日となりました。
臼井城と支城となる砦を併せて見て周ると、範囲が広いのでけっこう歩きます。
有名な戦の舞台にもなった歴史的に貴重な城なので、もっと有名になって草木も含めて整備を進めてもらえたら、ホットスポットになりそうです。
次は京成臼井駅から近い、上杉謙信一夜城に向かいます。