和歌山城@和歌山県

2025年10月25日
朝から大坂城に訪城し、大阪環状線で今宮に行き、南海線 特急サザンで和歌山市駅へ。
14時頃に到着。
本来、雨予報でしたが何とか持ちこたえてくれました。
和歌山城は日本100名城に選定されていて、徳川御三家の紀州徳川家の居城として有名です。
ワタクシ自身も和歌山県が初めてということもあり、攻略しておきたい城の一つでした。
和歌山市駅からは歩いて約15分程。
大手門からの入城を目指します。

一の橋と大手門。
大手門といえば大きな櫓門をイメージしていましたが、大手門としてはかなりシンプルな高麗門形式。
明治期に倒壊してしまったものの、昭和40年に再建し、橋も架け替えが行われました。

一の橋から見た水堀。左手は二の丸の石垣。
近世城郭らしい美しい堀と石垣です。

大手門を抜けて、二の丸沿いを進みます。
綺麗に加工された切込接の石垣が続きます。
二の丸には藩の政庁が置かれ、城主の御殿も二の丸に置かれていました。

中御門跡
枡形になっており石垣しか残っていなくても、その規模や迫力が伝わります。

振り返っての中御門跡。
先進的な技術で隙間なく積まれた切込接の石垣。

中御門を抜けた先の石垣は、自然石を使用した野面積み。
二の丸や中御門跡の石垣を見た時は、さすが徳川御三家の城だなと思っていましたが、中御門の石垣とは積み方が大きく異なり、そのギャップに驚きます。

本丸、天守曲輪へ向かうための裏坂。
こちらも野面積みの石垣。殆どの石が横長で色味に特徴があります。
これは、緑色片岩(紀州青石)と呼ばれ、和歌浦や近くの山から運ばれた結晶岩。

二の丸や大手門あたりは、近世城郭の要素が強かったのに対して、頂上に近づくに連れて山城のようなテイストに変わっていきます。
和歌山城の頂上に向かうルートは、江戸時代からある表坂と裏坂があります。
そして大正時代に新しく作った新裏坂がありますが、個人的にはこの裏坂が山城っぽさを感じることができて良き。

裏坂を上がると左側が本丸、右側は天守曲輪に繋がる道となります。
天守台も自然石を使った野面積み。

和歌山城の天守は三重三階なので小さいと思われがちですが、実は天守の高さが23.4mもあるので、かなり大きめ。
ちなみに同じ三重三階の現存12天守、丸亀城は15m。
そう考えると和歌山城は、高さも横幅も三層とは思えない規模です。

天守に入るには、天守と接続されている楠門から入城。
和歌山城は連立式天守で、姫路城や松山城と同じ形式で造られています。
大天守と二基以上の櫓や小天守を、渡櫓で連結して天守曲輪を形成する形式。

天守脇にあるのは小天守。左側は御台所。
小天守から天守内部に入ります。
小天守は御殿建築のような格式ある入口をしています。

左隅の櫓はニ之御門櫓で、右隅は乾櫓。
各櫓と天守を長屋形式の渡櫓で接続しているのが上から見るとよく分かります。

天守から見た砂の丸跡。
曲輪の内側も土塁と石垣で形成されています。

入城してきた楠門の反対側となる御台所あたりには埋門があり、石垣をくり抜いたように入口が設けられています。
しかし、現在こちらは立入が禁止されているため、内部からしか見ることができません。

本丸から見た天守。
天守曲輪と向かい合うように本丸は展開されています。

本丸から見た天守の拡大ショット。
やはり三層とは思えない大きさ。
千鳥破風や唐破風もあり、権威の象徴と美を兼ね備えたシンボル的な存在といえます。

天守内に飾られていた模型で見ると、和歌山城の全体像が見えてきます。
虎伏山の右側に展開した曲輪が天守曲輪。
左側が本丸となります。
地形を活かしたのか、造成したのかは分かりませんが、本丸と天守曲輪は堀切のように分断されています。
本丸は敷地が限られていた為、基本は居住や政治は二の丸に集約されました。

本丸を見た後は、登城した逆手の表坂から下へと降ります。
そして、表坂から見た本丸の石垣。
美しい曲線を描きながら、長く続く石垣。

表坂の入口。
野面積みと切込接の石積みの両方を見ることができます。
和歌山城の建築物はあまり残っていませんが、石垣だけでも十分満足できるレベル!

表坂から見た岡中御門跡。
こちらも綺麗な切込接の石積みで、クランクする食い違いの枡形になっています。
上から見ると、手に取るように敵の動きがわかります。

実際に岡中御門跡を歩いてみます。
門の入口は松の丸の石垣。高石垣になっていて、攻める側としたら圧迫感があって恐ろしいですね。

高石垣は算木積みで高い石垣技術で積まれています。

松の丸の石垣は、最大で高さ14m!

大手門の反対側を堅守する岡口門。
岡口門は和歌山城でも貴重な現存城門となります。

岡口門の石垣には多くの刻印石も見ることができます。

岡口門は櫓門形式で内部に入ることはできません。
国の重要文化財に指定されていて、真壁造りと呼ばれる長押や間柱が外壁に出ている工法。
1621年に徳川頼宣によって、和歌山城大改修の際に再建されました。
400年以上の歴史を持つ城門となります。

和歌山城の一部は現在動物園となっています。
しかし、動物園のあたりも是非周って頂きたい。
動物園は元々は南之丸という曲輪でした。
南之丸を仕切っていた門の跡も、しっかりと残っています。

そして、和歌山城の来たら絶対に周るべき場所は不明門跡。
岡中御門跡と同じように枡形の門。

不明門の入り口は和歌山城最大の高石垣となっており、高さ16mもあります。
徳川頼宣が拡張工事をした際に造られました。
当時の最新技術を用いて石垣が積まれています。

真横から見ると上部が反り上がっているのが分かります。
間違いなく芸術の領域。

不明門から一度、城外に出て追廻門に向かって歩くと、砂の丸の石垣を見ることができます。

そして、和歌山城のもう一つの現存建築となる追廻門。
追廻門は和歌山市の文化財となっており、1629年に創建されたとされています。
珍しい朱色の追廻門は、昭和の解体修理の際に初めて江戸時代は赤く塗られていたことが判明しました。

日本の鏡柱と控え柱で構成されており、柱は石垣に突き付けとなっています。

追廻門から再び城内に入り二の丸に向かう途中に鶴の渓があります。
関ヶ原の合戦後に和歌山城主となった浅野氏が、この地で鶴を飼っていたことが由来とされています。
当然、由縁も大事ですが何よりもこの石垣に目を奪われます!

どこまでも続く野面積み。
不明門のように先進技術も素晴らしいのですが、平面的なこの石垣も味があって良き。
和歌山城に来たら、この石垣の違いを楽しまなければもったいない!

隅石を見れば、不明門との違いがよく分かります。
まだ算木積みの技術が発展途上の時代は緩やかな勾配で荷重を逃がしていましたが、技術が進化したことで、隅石を短辺長辺を交互に積む算木積みが生まれました。

↑算木積み
算木積みによって荷重分散が可能となり、高く急勾配や反り返る石積みが可能となりました。
軍事施設の一部だった石垣は、現代では芸術作品といえる存在に。
少しでも石垣の魅力が伝われば幸いです。

2006年に復元された御橋廊下。
二ノ丸と西ノ丸を繋ぐ屋根付きの橋で、藩主と付き人しか渡ることができなかった橋となります。

御橋廊下の内部。
長さ27mで、高低差は3mを超えます。
斜めの屋根付き橋は全国でも珍しいタイプ。

御橋廊下から見た西之丸庭園の鳶魚閣。
徳川頼宣が造った風情ある庭園で、時代が移り変わり、平和な時代であることを象徴しています。

西の丸から見た天守。
山の上にそびえる天守群はとても美しく、絵になります。
築造当初は下見板貼りの黒色でしたが、10代藩主によって白漆喰の白亜に生まれ変わりました。
しかし、1846年に落雷で天守は焼失してしまいます。
徳川御三家ということもあり、幕府に認められて元の形で再建されました。
その後、明治の廃城令によって和歌山城は廃城処分が下され、城内の多くの建築物が取り壊されましたが、天守は残されて1935年に国宝となります。

しかし、国宝の天守に悲劇が襲います。
1945年7月9日の深夜、和歌山市はアメリカ軍による空襲を受けます。
和歌山大空襲によって和歌山城の天守を含む11棟の貴重な建築物が焼失。
戦後、市民からの要望で1958年に鉄筋コンクリート造で外観復元されました。
まさに和歌山城は戦後復興のシンボルと言えます。
現在、耐震の問題で木造復元案もある和歌山城。
木造復元が叶えば非常に価値がありますが、現在でもこの姿を我々に見せてくれていること自体、とても価値があることだと感じます。
午前中に大坂城を見た後なので見劣りしそうですが、やはり城は一つとして同じものはなく、辿った歴史も異なるので、それぞれ魅力があります。
だから、城巡りは楽しいし、何度も同じ城に行っても楽しめる。
和歌山城を堪能して、ビジネスホテルへと帰りました。
しかし、これで終わらないのが泊まり旅の醍醐味!

ビジネスホテルで1時間ほど休憩した後に、ライトアップ和歌山城を見るために再び歩き出しました。
夜は同じ景色でも、全く異なる姿を見ることができます。
御橋廊下と天守。そして、水堀に浮かぶ御橋廊下と天守は必見です。

暗闇に浮かぶ白亜の天守は、夜だと一層際立って美しく見えます。
やはり城はカッコいいですね。
どんなに旅で疲れていても、ライトアップも見る価値ありです。

鶴の渓の石垣もライトアップされています。

さらに、現存の追廻門。
朱色の門がライトアップによって幻想的な姿に!

帰りは和歌山城近くにある、ら〜めん幕末 和歌山城店で、和歌山ラーメンを頂き再びビジネスホテルへと帰りました。

次の日、ビジネスホテルを出て和歌山市駅に向かう途中に川を渡りました。
川の対岸で高低差があるのがお分かり頂けると思います。
堀と土塁っぽいなと思い写真を撮りました。
後から調べると市堀川というこの川は、和歌山城の外堀の一つとして築かれました。
船での物資の流通としても利用されていたようです。
最後の最後まで飽きることのない城でした。
そして、南海線に乗って岸和田城へと向かいました。









