【京都府】山崎城

CASTLE DATA FILE.25
登城日:2023年12月10日
交通手段:JR京都線「山崎駅」から天王山登口まで徒歩5分
ステータス:ー
ジャンル:山城
遺構:土塁・櫓台・天守台・空堀・井戸・竪掘
復元建築:ー
スタンプ:ー
御城印:宝積寺にて購入
決戦 天王山!羽柴秀吉VS明智光秀 天下統一か滅亡か。山崎合戦の足跡
関西方面の城めぐり2城目は京都にある山崎城です。
明智光秀が「本能寺の変」で織田信長を打ち、備中高松城(岡山県)にいた羽柴秀吉が中国大返しと呼ばれる凄まじいスピードで戻って明智軍と戦いました。
その際にこの天王山に羽柴秀吉は本陣を置き「山崎合戦」で明智光秀に勝利。秀吉にとってこの勝利が天下統一のファクターになったことは間違いありません。
勝利した羽柴秀吉は、標高270mの天王山の山頂に山崎城を築きました。
天守や御殿が造られた堅城です。
翌年、大坂城の工事が本格化したことで山崎城は破却。時の城となりました。

勝龍寺城のあるJR京都線、長岡京駅から1駅。山崎駅が登城口の最寄駅となります。
ローカルな駅。
この一帯は山崎の戦いで激戦を繰り広げた地ですが、今はすごくのどかな街並み。
京都の駅から比較的近いのに、景色が変わり落ち着いた雰囲気です。

山崎駅から歩いて5分ほどで、天王山の登山道の入口に到着。
舗装はされていますが、かなり急な坂道が続きます。

歴史街道百選 天王山。
この辺り一帯全てが、歴史の宝庫です。

京都では紅葉真っ盛りで、紅葉が色付いています。素晴らしいタイミングでの訪問でした。

田舎出身のワタクシとしては京都×紅葉は、もはや至高のステータスです。

上り口から歩いて10分ほどで宝積寺に到着です。
宝積寺の門の脇を固める金剛力士像は、鎌倉時代のもので重要文化財となっています。

金剛力士像の門を抜けると、三重塔が現れます。
一夜之塔と呼ばれ、別名は秀吉一夜造りの塔です。
山崎合戦で勝利した秀吉は合戦で亡くなったものたちを弔うために、一夜で建立したという逸話が残っているそうです。
真実かは分かりませんが、秀吉には一夜伝説が幾つもあります。この一夜之塔の伝説は初めて知りました。現地に行く事で気付く情報はたくさんあります。

宝積寺の本堂脇から標高270mの天王山の山頂。山崎城へ向かいます。
山道入口には竹の杖がありますので、お借りするのをおすすめします。

整備されているので登りやすいですが、かなり急な斜面が続きます。

本格的な登山になってきました。

ハイキングコースにもなっているので、休日ということもありハイカーの方が多く見られました。

登り始めてから20分くらいでしょうか。
青木葉谷展望台があります。
展望台からの景色は絶景で、しばらく眺めていました。
時間はちょうど13:00。ベンチもあるので事前に買っておいた、おにぎりを投入して少し休憩。

青木葉谷展望台からは、桂川・宇治川・木津川が合流して淀川となる三川合流が望めます。

展望台の広場には山崎合戦において、勝利のキーとなった中国大返しの説明板があります。
備中高松の戦いにあった豊臣秀吉は、毛利氏と和議を結び、さらに全軍をまとめて岡山から天王山まで軍団大移動。わずか10日という驚異的スピードで戦いに臨みました。
距離は230km。移動距離も含めて、2万ともいわれる軍隊を瞬時に統率できるのが、もはや全く想像ができないレベル。
毛利氏と戦っているのに、数日後には同じ織田軍団としてずっと戦ってきた、明智軍と戦うわけですから。

再び山頂を目指して登城します。

さらに20分ほど山を登ると、山の8合目あたりに山崎合戦之地と刻まれた石碑があります。

石碑の近くには展望テラスがあります。
この松の木に羽柴秀吉が志気を高めるために旗印を掲げたと言われています。

展望テラスには布陣の説明もあるので、照らしながら景色を眺めると、一層当時とリンクできるので何時間でもこの景色を見ていられます。

400年も前にはこの地が天下を分ける合戦の地だったとは考えられないほど、平和で穏やかな時の流れ。

この景色は「京都の自然二百選」に選出されています。

毛利氏と和議→岡山から走って移動→着陣→戦闘
これを僅か10日間です。
この地に着いて全軍速攻で布陣することを考えても、電光石火というに相応しいスピードです。

いよいよ山頂まであと少し。
自玉手祭来酒解神社の鳥居をくぐります。

主郭に向けて再び山道を進みます。

竹藪あたりは城郭らしさを感じます。

途中、曲輪など遺構らしきものは確認できるのですが、後からネットで色々な方の情報を調べても、登城道中での遺構は記載がないので謎のまま。

神社の神輿庫。こちらも重要文化財で、鎌倉時代中期の建築物です。
この脇を通って、さらに登ります。

展望台で休憩はしていますが、登城開始してから既に45分程が経過しています。
本当にこんなに険しい山の山頂に城なんかあったのか?と疑問に思ってしまう程。

しかし、神社を超えると急にテイストが変わります。経験が不足しているワタクシには、説明はできないのですが、明らかに城らしい雰囲気に変わりました。

主郭に近い場所は切岸のように、人工的と思われる急な崖となっています。

右側の山道を登ると主郭。急勾配な斜面の下には、腰曲輪のようにぐるっと囲まれた平地が確認できます。

主郭に近ずくにつれて、かなりテイストが変わりました。

喰違いのように折り返した道も出てきます。

ゆっくり登って1時間弱で主郭に到着。
奥には盛り土で高くなった場所が天守台です。

山城だから味わうことのできる、攻略後の達成感!
天守台に登頂の証があります。

天守台石垣。
どのくらいの規模で、とのような形状の天守だったかは、絵図がないので不明。しかし、この場所にシンボルのような建築物があったことは間違いなさそうです。

標高270mのこんな険しい場所によく石垣を積んで、建築物を造ったなと感じます。
個人的にはリュックを背負って登っただけでも大変でした。

秀吉が築城してから、すぐに破却された城ですが、石垣などの遺構が所々に残っています。
この山崎城は早い段階で役目を終えた城だからこそ、羽柴秀吉の遺構が残る貴重な足跡といえます。

天守台の裏は急勾配な斜面となっています。
降りて下からも見てみます。

斜面にも石垣を確認する事ができます。

まるで宝探し。

主郭の一段下がった場所にも曲輪が展開されています。

主郭下の曲輪。

主郭下の曲輪には土塁が残っています。

井戸の跡も残っています。
この標高なので水は出ないので、ここで溜めていたと推測されています。
標高が高い山城ほど防御は最強ですが、生活に必要な物資や水の確保は重要課題です。

虎口らしき箇所も残っています。
帰りは登ってきた道を素直に下りました。帰りは20分程度で下山できました。
本能寺の変後に天下を決める大一番となったのが、この天王山付近で起きた山崎合戦なので、そんな重要な一戦の事を、「天王山」と呼ぶようになったと言われています。
山崎城は天下を左右した情景に思いを馳せながら絶景を楽しむことができるのでオススメです。
山道には秀吉が天下を取るまでの軌跡を案内看板と共に学ぶこともできます。
山崎合戦を明智光秀側の陣から見るなら勝龍寺城、羽柴秀吉側の陣から見るなら山崎城。
歴史の分岐点を一日で同時に楽しむことができるエリアでした。

下山は15時。2時間半ほど楽しみ、山崎駅から電車で大阪方面に移動。
まだまだ城めぐりは終わらない。










