白浜城
白浜城は房総半島で勢力を拡大した、戦国大名・安房里見氏の始まりといわれる山城。1454年の「享徳の乱」により、事実上は上杉氏の領地であった白浜を奪還するため、里見氏がこの地へ送り込まれた。
城跡へは登山道を登って向かいます。登山道の途中にも、曲輪(くるわ)や岩盤の切り通しなど、当時の面影を感じる見どころが満載で、標高約140mの山頂から見る太平洋は歴史ロマンを感じる絶景。
Contents
白浜城の見どころ

里見氏は、清和源氏の系統である新田氏の一族。上野国(群馬県)碓氷郡里見郷から興り、鎌倉時代以降、安房国(千葉県南部)を拠点に戦国大名として約170年間にわたり房総半島を支配しました。
小田原北条氏とは長い抗争を繰り広げました。後の「南総里見八犬伝」のモデルとなったことで知られます。
江戸時代の1622年に里見忠義が現在の鳥取県に改易・病死し、戦国大名としての歴史を閉じました。

地形を生かした城だった為か、一般的な中世城郭の遺構は少なく、城郭範囲が不明確なこともあり、遺構を探すのはやや難しい印象です。
しかし、主郭部付近は人為的に細く削られた登城路など、城の雰囲気を留めています。
白浜城の登城口は西側登城口(櫓口)と東側登城口(青木観音堂)の2つありますが、いずれのコースにも岩盤を切り裂いたような、圧巻の切通が最大の見どころ。
第二展望台からは房総半島の最端部と美しい太平洋を見ることができます。
登城レポート

ポイント
- 里見氏の始まりの城と考えられているので、歴史ポイントは及第点
- 城郭範囲など不明確な為か、どこが遺構なのか説明板等も無いので整備ポイントは低い。しかし、道は綺麗に整備されていた
平均:2.5
合計:15.0
- 遺構:遺構の多さ、貴重度
- アクセス(目安):新幹線が最寄り→5、駅が近い→4、駅から歩いて行ける距離→3、駅から遠いがバスが走っている→2、車が無いと行けない→1
- 満足度→攻城のトータル総評
- 歴史→時代に影響を与えた歴史の舞台→5、有名な武将や合戦があった城→4
- 整備:トイレの有無、城内の解説板、パンフレットのクオリティの評価
- 城郭範囲:観覧範囲の広さと、遺構の残存度。見どころの多さにも直結
※全ての城にそれぞれの魅力があるのは前提での主観的評価になります。
白浜城の御城印
※スタンプ設置場所や御城印販売所の場所、営業時間は最新情報をご確認ください。
■御城印販売
・道の駅 とみうら 枇杷倶楽部(地図)
販売時間:9時~17時 定休日:不定休
・道の駅 三芳村鄙の里(地図)
販売時間:9時15分~18時 定休日:無休

白浜城 周辺の天気
| 城郭構造 | 山城 |
|---|---|
| 天守構造 | なし |
| 築城主 | 安房里見氏 |
| 築城年 | 不明 |
| 主な改修者 | 不明 |
| 主な城主 | 里見義実 |
| 廃城年 | 不明 |
| 遺構 | 曲輪、堀切 |
| 指定文化財 | 房総市指定史跡 |
写真で見る白浜城
マップ
アクセス
■公共交通機関
・観音堂側登城口
JR内房線「館山駅」からJRバス関東「青木」バス停下車、徒歩10分
・櫓口側登城口
JR内房線「館山駅」からJRバス関東「野島埼灯台口」バス停下車、徒歩6分
■車・バイク
・富津館山道路・富浦ICから30分
白浜城とは
白浜は、中世東国の太平洋海運にとって極めて重要な地でした。里見氏が安房に来る前から、安房支配にかかわった関東管領上杉氏が、太平洋の海上交通を押さえる拠点にしていました。そのため、鎌倉公方足利氏と関東管領上杉氏が対立した享徳の乱において、安房地方を上杉氏から奪うために公方派から送り込まれたのが、房総里見氏初代の里見義実です。そして、義実が最初に拠った城が白浜城だと考えられています。その後、稲村城が安房支配の拠点となってからも、隠居した里見義通が白浜城に入り、稲村城の義豊を支える重要な役割をもったようです。
中世以前の白浜城直下の海岸線は現在よりかなり山側にあり、特に青木観音堂あたりは大きな入り江になっていたようです。そのことからも白浜が房総沖の太平洋海運の拠点の湊であり、白浜城は広大な城域をもつ重要な湊城だったと考えられます。
歴史的に不明な点が多い城ですが、登山道入り口にある青木観音堂には里見義豊の関係者が奉納したとされる賓頭蘆尊者(びんずるそんじゃ)坐像があり、周辺には、里見成義像があり、成義の墓があったと伝わる福寿院、里見杢入道(さとみもくにゅうどう)の墓がある満願寺、里見義実(義堯)の娘が創建したといわれる種林寺の跡、さらに、里見義実が開いたとされる杖珠院が点在しています。ここ杖珠院には、義実・成義・義通・義豊の木像、義実の供養塔、義孝の短冊、義実創建の銘文がある文政7(1824)年の半鐘などがあります。このように城下には里見に関するものが数多く残っています。
また、義豊が滅びて、庶流の里見義堯が実権を握ってからも、白浜には里見氏嫡流が住み続けていたと考えられています。今も白浜城跡周辺には、里見義通の兄である里見義富の子孫という里見氏や、前期里見氏の重臣だった木曽氏の子孫と考えられる人々が住んでいます。
安房文化遺産フォーラムより引用
構造
白浜城跡は、房総半島の南端にある野島崎の北約700m、標高140mの山頂を中心に東西1km、南北400m以上にわたる、太平洋側に面した城郭跡の中では最大規模を誇る山城。
謎が多い城で白浜城一帯は地元の人たちに畑として利用されていました。
城内の平場は曲輪なのか畑の跡なのかを識別するが難しく、また第二次世界大戦時には日本軍が軍事施設として改変したことで、ハッキリと遺構とは認識はできない。
現在、第一展望台と第二展望台が設置されており、展望台からは東京湾を一望することができる。
MEMO
近くには駐車場がないので注意が必要です!城に向かうための看板が全く無いので、青木観音堂をマップで目指せば登城口に到着することができます。
標高は低い山ですが、険しい道もあるので動きやすい靴をおススメします!
白浜城 周辺スポット
道の駅 とみうら

房総の地魚や、地物のとれたて野菜が揃うおさかな市場。飲食店も揃っており、浜焼きや寿司などが食べ放題の「浜焼き屋」はおススメ!
安房国一之宮 安房神社
2670年以上の歴史を持ち、商売繁盛・学業向上などを願う人々が関東各地から多く訪れています。主祭神は伊勢神宮に祀られていることもあり、神社の本殿は同じ建築様式である神明造り。
樹齢約500年を数えるご神木、県の史跡として指定されている海食洞窟遺跡などがあります。
野島埼灯台
野島埼灯台は、千葉県房総半島の最南端の岬に立つ、八角形の美しい灯台です。この灯台は、開国の歴史を飾る慶応2年にアメリカ、イギリス、フランス、オランダの四ヶ国と結んだ 「江戸条約」によって建設を約束された八つの灯台の一つになります。
白浜城 周辺宿泊施設

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千葉県の城を攻める
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