千葉県の城を探す
日本100名城

【佐倉市】
江戸幕府の老中・土井利勝の居城として知られている佐倉城。江戸を守る要衝の地として代々譜代大名が封ぜられている。佐倉城は石垣を使用しない土造りの城で、印旛沼を外堀の一部にした近世城郭だった。
遺構:堀、土塁
縄張り:連格式平山城(市指定史跡)
【佐倉城データベース】
続日本100名城

【酒々井町】
千葉氏後期の本拠地となった城。半島状の丘陵地に建ち、残る三方が湿地帯に囲まれた天然の要害。土塁や空堀などの遺構がほぼ完全な状態で残っている。駅から近くアクセスが良いのもポイント。
遺構:空堀・土塁・虎口・郭
縄張り:連郭式 平山城(国指定史跡)
【本佐倉城データベース】

【大多喜町】
徳川四天王 本田忠勝が居城とした城で本丸跡には模擬天守が建てられている。遺構としては大多喜高校に二の丸御殿薬医門が移築されており、さらに二の丸には周囲10m、深さ20m 日本一の大井戸が現存している。
遺構:土塁・横堀・堀切・曲輪・井戸
移築建築:薬医門
復元建築:天守
縄張り:連郭式 平山城(県指定史跡)
【大多喜城データベース】
国指定史跡

【館山市】
前期里見氏の居城で、里見義豊が義堯に攻め滅ぼされた「天文の内訌」の舞台となった城。里見氏の嫡流は途絶えることとなり、里見義堯を祖とする後期里見氏が始まり、稲村城は廃城となった。土塁や堀切、切通しなどの遺構を確認することができる。
遺構:土塁・堀切・切通し・曲輪
縄張り:平山城(国指定史跡)
【稲村城データベース】
その他城

【館山市】
里見氏が築城した城で、里見八犬伝のモデルとなった城でもある。模擬天守の内部には里見氏を題材にした『南総里見八犬伝』に関する読本、絵草子、錦絵などが展示されている。館山湾を一望できる絶景も魅力的。
遺構:曲輪・堀切・空堀・水堀
復元建築:模擬天守
縄張り:連郭式 山城(市指定史跡)
【館山城データベース】

【君津市】
室町時代には真里谷氏の居城として、戦国時代には里見氏の居城として知られている。房総半島の代表的な城郭で、現在は城山公園として整備されており、展望台として模擬天守が建てられている。
遺構:土塁・堀切・郭・土橋・井戸
復元建築:模擬天守
縄張り:連郭式 山城
【久留里城データベース】

【佐倉市】
太田道灌や上杉謙信など何度も合戦の舞台となっている城。1590年(天正18年)、小田原征伐により原氏が滅びたのちは豊臣側に接収され、酒井家次が封じられる。以後、廃城となる。
遺構:土塁・空堀・土橋・郭
縄張り:平山城(市指定史跡)
【臼井城データベース】

【柏市】
高城氏の家臣 平川若狭守の居城。高城氏は北条氏に属していた為、1590年の「小田原攻め」の際に廃城となったと考えられている。土塁や空堀、虎口などの遺構も良好な状態で残っている。
遺構:曲輪・堀・土塁
縄張り:連郭式 平山城

【市川市】
太田道灌の弟、太田資忠によって築かれた城。江戸川と坂川の合流地点という要所であったため、北条氏と里見氏を中心とした房総諸将らによって行われた国府台合戦など、争奪戦が繰り返された。
遺構:堀・土塁・井戸
縄張り:連郭式 平山城

【八千代市】
村上氏の居城で文明年間には大田道灌に攻められ落城したと伝わる。本丸や二の丸など中枢部分が破壊されているが、腰曲輪などは確認できる。城址の北側には村上氏の菩提寺である長福寺がある。
遺構:空堀・土塁
縄張り:連郭式 平山城

【富津市】
房総半島を支配した里見氏の家臣、正木氏の拠点。東京湾を挟んで対峙する北条水軍に備えた城郭。岩盤を切り込んだ堀切を各所で見ることができる。
遺構:空堀・石垣・土塁・井戸
縄張り:連郭式 山城

【印西市】
臼井氏の居城である臼井城の支城として、師戸氏によって築かれた城。印旛沼の対岸にある臼井城とは「渡し」で結ばれ、臼井城の防衛に大きな役割を果たした。小田原征伐で落城。現在も大規模な遺構を見ることができる。
遺構:土塁・空堀
縄張り:平山城(沼城)

【南房総市】
白浜城は安房里見氏発祥の地とされる城で「結城合戦」に敗れた里見義実がこの城を拠点に安房平定に乗り出したと伝わる。堀切や土塁のない初期の山城構造で、切岸や岩盤を削ったダイナミックな切通を見ることができる。
遺構:切岸・切通
縄張り:山城(南房総市指定史跡)
【白浜城データベース】

【君津市】
第2次国府台合戦により北条軍に攻められ落城。その後は北条氏の城として機能していたが、1590年の小田原征伐で浅野長政が率いる房総別働隊によって攻められ廃城。現在も土塁や堀切などの遺構が良好な状態で、戦国時代の山城の姿をとどめている。
遺構:土塁・堀切・堀・土橋・切岸
縄張り:山城

【いすみ市】
戦国時代に美濃国からきた土岐氏によって築かれ、房総でも代表的な山城である。北条氏に臣従した土岐氏は1590年の小田原合戦で本多忠勝が率いる徳川軍に攻め落とされ滅亡。徳川家康の関東入封後に忠勝が大多喜城に入る前に一時的に万喜城を居城とした可能性があるとされている。
遺構:曲輪・堀切・切岸・土塁・井戸
縄張り:山城

【松戸市】
1590年の豊臣秀吉による小田原征伐で落城するまで、高城氏3代の居城として栄えた城。その後、徳川家康の五男・信吉の居城となるが、信吉が本佐倉城に移ると廃城となる。発掘調査で検出された障子堀や畝堀など北条系の城郭特有の遺構が残る。
遺構:曲輪・土塁・障子堀・畝堀
縄張り:平山城(市指定史跡)
【東北】青森・岩手・秋田・宮城・山形・福島
【関東】茨城・栃木・群馬・千葉・埼玉・神奈川・東京
【甲信越】山梨・新潟・長野
【北陸】富山・福井・石川
【東海】静岡・三重・愛知・岐阜
【近畿】滋賀・京都・大阪・和歌山・奈良・兵庫
【山陰】鳥取・島根
【中国】山口・広島・岡山
【四国】香川・愛媛・高知・徳島
【九州】福岡・佐賀・長崎・熊本・大分・宮崎・鹿児島




