【滋賀県】安土城

CASTLE DATA FILE.10
登城日:2023年9月23日
交通手段:JR琵琶湖線「安土駅」からレンタサイクルで15分
ステータス:日本100名城・国指定特別史跡
ジャンル:山城
遺構:天守台・曲輪・石垣・堀
スタンプ:安土城跡受付で押印
御城印:安土城跡受付で購入

革命の城。全ての近世城郭は安土城に通ず

関西方面 城めぐり2日目
明石城→信長の館→安土城考古博物館→安土城跡の順でやってきました。

安土城考古博物館から自転車で約5分ほど。安土駅からは自転車で15分ほどで到着できます。

安土城跡の前にやってきました。
天気が良く絶好のサイクリング日和となりました。

今は安土城の周りは田園地帯となっていますが、信長の時代はこの一帯も琵琶湖で安土城を囲むような形だったようです。

安土城は歴史上とても貴重な城で、城郭の概念を変えた革新的な城でした。
国の特別史跡に指定され、日本100名城にも選定されています。

特別史跡は史跡の中でも特に学術的に価値が高く、日本の文化を象徴する重要な遺跡のことを指します。

全長180m 石垣で形成された安土城の顔「大手道」

早速入城です。
車の方は無料の駐車場がありました。

安土城は総見寺というお寺が管理しています。入り口にはグッズが売っているお店があるので、飲み物など事前に買っておくことをお勧めします。

安土城に入るには大手道の料金を支払うゲートから入城するのですが、そこを通過すると自販機もトイレもありません。
あるのは大自然と壮大な石垣のみです。

早速登っていきます。
まず、目の前に現れるのはひたすら続く石階段。

ここは大手道で安土城に向かうメインルート。当時は限られた人しか通れなかった道でもあります。

石階段で左右には立派な石垣が残っています。

すぐ右手には伝前田利家邸跡があります。
加賀百万石の祖。敵が攻めてきた時は戦国時代の横綱が右手を固めて迎え撃ちます。

門の跡ですが、石垣の形状から大手道を防備する隅櫓、そして枡形虎口もあり多聞櫓で囲むような形状になっています。

石垣が現代に伝えるメッセージです。

後世に大きく破壊されてしまったようで、礎石が残っていなく建物の形まではハッキリとは分からないそうです。

一方、前田利家邸の反対側左手には伝羽柴秀吉邸跡があります。
大手道の入り口を後の天下人と、戦国の大横綱が固めるという非常に堅固な城です。

ちょっと想像しただけでワクワクしてしまいます。

秀吉邸は横長に広大に石垣が広がっています。
安土城は日本で初めての総石垣の城ですが、入り口の時点で既に天守閣のような巨大な石垣が積まれています。

秀吉邸の方は礎石も残っているので、建物のおおよその形が発掘調査によって分かっているようです。

入り口には櫓門があったようです。

今まで誰も発想してこなかった城郭の新しい形。安土城の遺構を目の前にして、信長の凄さを改めて感じます。

大手道の中腹くらい。登ってきた道を振り返ります。
左側の高い石垣は現在総見寺になっていますが、伝徳川家康邸です。

大手道には羽柴秀吉、前田利家、徳川家康の戦国オールスターズが守ります。ひとつの町のようになっています。

信長がカリスマと言われるのは、こういった後のスターを輩出したことにも由来していると思います。

安土城の特徴として、安土城築城の際に大量の石が必要になった為、石階段にはお墓や地蔵なども転用されています。

大手道の先は左に曲がり、さらに右に曲がります。天主は、まだまだ先です。
昔は大手道からも巨大な天主が見えていたようです。

石垣だけでも迫力あるのに、まさに威厳の塊のような城です。

先は長いです。
ひたすら階段を登り続けます。

ワタクシは運動靴を履いてきているので問題ありませんが、軽い気持ちでヒールの高い靴では登ることはできないレベル。
安土城登城の際はある程度 覚悟して登った方が良さそうです。ちなみに、帰りはもっと急な階段を降りてこなければなりません。

天守に近づくと織田信澄邸と森蘭丸邸があります。

織田信澄とは信長の弟信行の長男。
森蘭丸は織田信長を側近として最後まで支えた武将。美少年だったらしく、最後は信長と共に本能寺で散ります。

側近らしく天主に近い場所に住んでいました。

テイストが一変!信長の息吹を一層 感じるゾーンへと突入

いよいよ安土城の見どころの一つでもある、黒金門にやってきました。
ここを通過すると本格的な安土城の城郭内になります。

二度折れして曲がりくねった枡形虎口。
安土城を攻めるには、大手道をクリアしてもこの黒金門が待ち構えます。

この場所には大きな門があり、鉄壁の守りを敷くために黒の鉄板を施した、威圧ある門だったそうです。

そして、この位置で十字砲火を受ける仕掛けとなっています。
近世城郭の礎を見ることができます。

安土城は本能寺の後、謎の火災によって消失してしまいます。
平成の発掘調査でこの黒金門も焼失したことが判明しています。

黒金門の先には、今度は二の丸の高い石垣が現れます。

黒金門を突破できたとしても、次はこのエリアで再び集中砲火にあいます。
安土城はどこまでも鉄壁な守りです。左側は黒金門跡、右側が二の丸の石垣。

二の丸の石垣は高さ6mほどあり、東西180m、南北100mもあるそうです。
石垣は滋賀県の坂本を拠点としていた石工集団、穴太衆が積みました。

この安土城を皮切りに、権力の象徴として石垣の城が全国に普及します。
そして、全国の名城の石垣のほとんどは穴太衆によって築かれました。

二の丸の石垣沿いに歩いていくと、左に曲がり再び門跡を通過します。

さらに喰違いで90度折れ曲がっており、大手道とは変わって防御体制がかなり高いエリアになっています。

二の丸を右に進むと、天守台があります。
大規模な総石垣の城は安土城から始まりますが、まだ石垣の技術も初期という印象。自然石をそのまま使用する野面積み。

既にこの時から穴太衆の技術の高さを感じます。400年以上経過しても崩れていないのが何よりも証拠。
この安土城以降、石垣の城はスタンダートになり、技術はさらに急速に進化します。

右側が天守台石垣。

天主台沿いに進むと本丸があります。
東西50m、南北34mの敷地に本丸があったとされています。

本丸には昭和と平成の発掘調査によって、119個の礎石が見つかっています。
礎石の配列から、東西34m南北24mで中庭を挟んで3棟に分かれた建築物でした。

それは天皇の住まいである、内裏清涼殿に非常に似ている造りとされています。
発掘調査でここまで分かるのが凄い。

この本丸の前を通って、さらに天主に向かう階段を登ります。

階段を振り返っての一枚。
下には先ほどの清涼殿の礎石が見えます。なぜ天主の下に天皇の清涼殿に似た建物が造られたのか。

信長公記には「御幸の御間」と呼ばれる建物が天主の近くにあり、内には「皇居の間」が設けられていたと記されています。

実現こそなかったが、信長が天皇のために用意した行幸御殿だったと考えられています。
ここも非常に信長らしさを個人的には感じてしまいます。自分の城に天皇専用の御殿を用意するとは、誰も考えもつかない発想。

政治的な意味も含めて、何人たりとも攻め入ることができなくなります。
自分が住んでいる天主の下に、皇居の間を用意するあたりがね。
凄いです。下にです。

このようなエピソードを含めて安土城は権威の象徴でもある城でした。

いよいよ、ここから天主の中に入城です。
安土城は五層七階なので、入り口は地下部になります。

ここ安土城が石垣の上に巨大建築物の天主を建てるという発想の原点となる、日本初の城です。

石垣の上に天守閣という高層建築物は、信長の安土城から始まって江戸時代まで日本の代表的な建築物として進化していきます。

現在は礎石のみが残っています。
安土城はこの巨大な城郭にも関わらず3年で完成。しかしその3年後の天正10年、本能寺の変後に焼失してしまいました。

その後、一時的に城として使われていたものの、秀吉が近江八幡城を築城したことで城下町も全て近江に移され、栄華を誇った安土城は歴史から消えてしまいます。

登城前に信長の館と考古博物館で天守のイメージを付けてから来たので、礎石を見ながらこのフォルムをイメージします。

実際はこんな巨大な城で・・・
五階六階はこんな豪華絢爛な建築物だったと。

草木でやや見えずらいですが、目の前には琵琶湖が広がります。
織田信長はこの景色を見ながら何を考えていたのでしょうか。

有名な楽市楽座で安土の町は大変賑わっていたそうです。当時、日本の中心地はこの安土だったのでしょう。
常識を逸した石垣と大天主、信長が夢見た城・・・
そして天下統一目前で、共に表舞台から姿を消した城・・・

標高200mの山頂に吹く風が気持ちよく、妙に感情的になってしまいます。

帰りに二の丸跡にも足を踏み入れました。

二の丸には、信長の霊廟があります。
写真は撮りませんでしたが、ちゃんと手を合わせてきました。

信長は本能寺で最期を迎えますが、骨が見つからなかったそうです。
そこもまたミステリーで、実は・・・みたいな話が多く存在します。

帰りのルートは総見寺の方から帰ります。
総見寺三重塔の前には綺麗な琵琶湖が見渡せます。

総見寺は信長が建立したとされています。
この三重塔は指定文化財となっています。

総見寺の脇を階段で下っていくので、ちょうど二階の部分が目の前で見れます。
鬼瓦もハッキリ見ることができます。

最後は羽柴秀吉邸の脇から出てくるルートで帰りました。
不揃いな石階段を下ったりするので、足の疲労がピークに達します。

安土城の周りは田園風景が広がります。
戦国時代に賑わいを見せた町とは思えぬほど、のどかで静かな時が流れています。

安土城は歴史から名前が消えた忘れ去られた城だったので、昭和初期の発掘調査の際は、長年の土などの堆積によって全てが埋もれていたそうです。

天主閣跡も完全に埋もれていたそうですが、昭和15年の調査で先ほどの礎石が見事に状態よく見つかったそうです。

その後も調査は続き、金箔瓦なども見つかったことで、城の全容が見えてきました。大手道も埋もれていて、最初はこんなに大きい道ではなかったとか。

存在していた期間が短かっただけに、資料も少なく謎多き城。
そして、この度令和の大調査が2023年10月から始まります!

20年計画という記事も見ました。しかも礎石の状況から、天主は焼失して北側に倒壊したと言われています。

その北側に今回調査が入ります。ものすごく貴重なものが発掘される可能性が高く、期待が高まっています。

歴史が覆る可能性を秘めた城です。