【千葉県】本佐倉城

CASTLE DATA FILE.44
登城日:2024年10月14日
交通手段:京成電鉄「大佐倉駅」から徒歩15分
ステータス:続日本100名城・国指定史跡
ジャンル:連郭式 平山城
遺構:曲輪・土塁・空堀・土塁・虎口
スタンプ:「京成大佐倉駅」で押印
御城印:「国史跡本佐倉城跡案内所」で購入

関東に覇を唱えた千葉宗家の本城

7月から怒涛の忙しさで、なかなか休みがとれない今日この頃。
3連休に城巡りをすると決め、この日のために1週間やり抜いた自分へのご褒美として、城巡りを決行!

本日は千葉県にある、続日本100名城の本佐倉城と100名城の佐倉城へ。
朝7時半に家を出発し、京成線に乗り約2時間ほどで大佐倉駅に到着。

ローカルな駅。
本佐倉城の続日本100名城スタンプは、駅の改札を出て左手にありました。

映画に出てくるような駅舎。
電車本数も少なく、駅の周りにはコンビニすら無いので不便と思われるかもしれませんが、一人旅をしているようでエモーショナルになります。

車で城に行くのも便利で良いのですが、電車で行くと旅の雰囲気が出るので個人的には好きですね。

周りは田園が広がり、快晴の空と合わさってまさに絵に描いたような風景。
駅から本佐倉城まではGoogleで25分となっていましたが、全く苦を感じることなく歩くことができます。

京成電鉄と田園風景に心が癒されます。

Googleの地図通りにショートカットの農道を進みます。
※車の場合はちゃんと舗装された道路で無料の駐車場まで行くことができます。

遠くに木が生えていない場所があるので、おそらく本佐倉城であろうと思い、周りを注意しながら目指します。

明らかに城の雰囲気が漂います。
近ずくと、堀切?切り通し?のようになっていて間違いなく城郭であることが確認できます。
しかし、ナビに沿ってまずは案内所を目指します。

奥の黒い建物が本佐倉城の案内所。
こちらで御城印も販売。本佐倉城や千葉氏の歴史を学ぶことができます。

千葉氏はこの一体、下総を納めていた有力大名。桓武天皇の血を引く関東の名族で、源頼朝に鎌倉に拠点を構えることを進言したり、源平合戦や奥州合戦にも参戦して活躍したことで、鎌倉幕府の中でも屈指の御家人になりました。

案内所でパンフレットもらうことをオススメします。
本佐倉城のパンフレットは とても分かりやすいので、持ち歩いて散策すれば間違いなく楽しさが倍増します。

案内所の前は駐車場になっていますが、駐車場の目の前には断崖絶壁。

本佐倉城は1469年から1486に築城。1590年に豊臣秀吉による小田原征伐で北条氏と共に千葉氏が滅びるまで110年以上、戦国時代に活躍した城です。

絶壁の上が本佐倉城の主郭となります。
案内所があるこの一帯は、まるでスタジアムのように囲まれています。
これは自然の地形なのか、造られたものなのかは分かりませんが、スタートから圧倒されます。

主郭方面に進むと矢盾が並びます。
もちろん、家紋は千葉氏の月星紋。ちなみに三日月の上にある星は、神秘な力を持つ存在として神格化されてきた北極星。

関東屈指 土塁と空堀が語る土造りの名城

先ほど堀切と思っていた遺構は東山虎口で、ここが正門とされていたようです。
高さのあるダイナミックな土塁を貫通する形で、食い違いの虎口になっています。
写真だとやや分かりづらいですが、近くで見ると圧倒されます。

土塁の上からのショット。
東山虎口の素晴らしい遺構に、既に満足感があります。しかし、本佐倉城はこんなものではありません!

土塁上からの景色。

ガイドさんに聞いたら、当時はこの近くまで印旛沼の水があり、足利公方などお偉い方は船で近くまで来てこの正門から入城していたようです。

東山虎口の土塁の上は尾根のようになっており、そのまま東山方面に向かうことができます。
下は落差のある空堀になっています。

東山は北側に突き出した細長い曲輪で、防御性を高めていると思われます。

東山には土塁や物見台の跡も残っています。

東山を引き返して奥ノ山方面へ向かうと、城山と奥ノ山を仕切る大堀切が現れます。
草木が生い茂っているが見事な堀切なのが分かります。ここにも門があったのかなと思われます。

高低差6m以上はありそうな、ダイナミックな堀。
中世城郭全開の本佐倉城。

後ほど周った城山から、堀切の下を撮影。
上から見ると垂直に削り落とされており恐怖を感じる高さ。
本佐倉城は全体的に遺構の保存状態が良好です。

大堀切で道が分岐し、左は城山で右は奥ノ山に進むことができます。
まずは奥ノ山に向かいます。
薄暗く、細い道を進むと開けた曲輪の奥ノ山に到着です。

さらに奥に進むと倉跡に到着です。
こちらも大きな曲輪で、発掘調査で炭化した米が見つかったことで、この場所に蔵があったと考えられています。

見どころは、倉跡の先にあるセッテイ山と倉跡を分断する巨大な空堀。
階段があるのですが、今は降りられないようにロープが張ってあります。

しかし、遠回りして周り込んで空堀の底を歩いたので、写真と共に後ほど説明したいと思います。
妙見神社方面に進んで、一度城外へ抜けます。

一度城外に出て、水ノ手方面から再度入城してセッテイ山を目指します。
こちらは割と険しい道で、まるで探検しているかのようでワクワクします。

右手はセッテイ山。
セッテイ山は接待する場とも言われているし、千葉氏は北条氏の傘下になったので、北条氏が常駐した場所とも言われていて、この曲輪の意味合いは今でも謎のままです。

いずれにしても、セッテイ山は主郭とは分離されていて完全に独立した不思議な曲輪となっています。

セッテイ山は深い空堀で守られており、草木が多くて上手く写真を撮ることは難しいのですが、目の前で見れば圧倒されます。

空堀は驚愕の高低差16m!
中世の城でこのスケールの空堀は珍しいと思っています。

続いてセッテイ山と倉跡の空堀。
迷路のようになっていて、敵が攻めてきても一網打尽することができます。

左側が倉跡で右側がセッテイ空堀。
こちらも高低差10m。

左の階段は先ほど倉跡から見た階段。この倉跡-セッテイ山の空堀は長く続いています。
空堀沿いに進むと東光寺ビョウという曲輪があり、一番最初に周った東山虎口に繋がります。

最後は城山のいう本佐倉城の主郭に向かいます。
東山虎口から再び大堀切から城山を目指します。

分岐を先ほどは奥ノ山方面に進みましたが、今回は城山方面に進みます。

曲輪の入り口には城山虎口があり、喰違いになっています。
城山に行くにはこの道一本しかありません。本佐倉城にとって重要な場所であったことを示しています。

城山は広めの曲輪となっていて、ここで城主は執務をこなし住んでいたと考えられています。

下を覗くと、入城した時に見上げた駐車場があります。かなりの断崖絶壁なのが分かります。

本佐倉城はまさに戦国時代の城!という見どころが満載でした。
江戸時代は本佐倉城の近くに佐倉城が下総の拠点となった為、本佐倉城は歴史から消えてしまいますが、良好な状態のまま生き続け、平成10年には国の重要な財産として国指定史跡になり、続日本100名城にもなっています。

そこには間違いなく千葉氏の息吹を感じることができます。また、ガイドさんや案内所で働くスタッフさんもとても親切。

発掘調査もしっかりされており、案内のパンフレットも分かりやすく充実している為、理解しながら周ることができます。そういった献身的な力も感じれるので、とてもオススメの城といえます。

資料が少ないので謎な部分も多いようですが、まるでタイムカプセルのように遺構がそのまま残っている城。

次は電車に乗って、日本100名城の佐倉城へと向かいます!